そんな義父がけがをしてしまいました。田舎の段差だらけの大きな家でひとりで暮らすのは難しいでしょう。私たち夫婦は同居を決意しました。
しかし、それを長男夫婦は気に入りません。特に義姉は、義実家を私たちに取られてしまうのではないかと思い、気が気ではないようです。
あののどかな環境と趣のある日本家屋、庭が気に入っている様子。いずれは夫が相続するのだから、きれいに使いなさいよと、義姉にくぎを刺されました。
義父の遺言書
同居して半年後のこと、義父が急逝しました。長男夫婦に連絡すると、旅行の予約があって葬儀には出席できないとのこと。義父への感謝が感じられないほど、あまりにあっさりした反応に、驚きを隠せませんでした。
しかし葬儀には出席しなかったものの、遺言書だけはしっかりと確認した長男夫婦。
「遺言書には、この家は長男夫婦に譲ると書いてあったの。悪いけど、ここは私たちが使うことになるから、出ていってもらえる?」と、葬儀を終えて早々に私たちを追い出したのです。
私たち夫婦に残されたのは、1冊のレシピノート。現役時代、義父が店で出していたメニューが載っています。義母にすら教えなかった、秘伝のレシピ。それを教えてもらえるだなんて、とても嬉しい気持ちでした。
というのも、実は私たち夫婦は小さな飲食店を経営しており、夫は板前です。ですから、このノートは願ってもないものでした。
そもそも、私たちは遺産をあてにしてはいませんでした。義実家に頻繁に通ったのも、同居をして義父のお世話をしたのも、ただ単純に義父のことが好きで手助けをしたかったからなのです。
義姉は、私たちが満足な遺産ももらえず、本当は悔しいはずだと思っているようでした。
電話口でもどこか勝ち誇ったような口ぶりで、私たちを気遣う様子はありませんでした。もちろん、私たち自身はそう思っていませんでしたが……。
他界して2年後の悲劇
義父が他界して2年。ある日、義姉が慌てた様子で電話をかけてきました。雨漏りがひどく、雨が降るとびしょ濡れになってしまうとのこと。お風呂のドアも壊れ、今にも床が抜けそうな箇所もあるようです。
義父が生きていたころはきちんと手入れをしていたので、風格のある素敵な家でしたが、とにかく古い家なのであらゆる手入れが必要です。しかし、義姉たちはそれをおこたってしまい、とんだ結果を招いてしまいました。
「家族なんだから、しばらく泊めてほしい」「このままじゃ住めない」と、必死な様子で頼まれましたが、それは無理でした。なにせ私たちは、義実家から遠く離れた土地へ引っ越しており、今の住まいにも人を泊められる余裕はありませんでした。
それならお金で支援してほしいと頼まれましたが、きっぱり断りました。お金の無心をされ続けた義父から、彼らには絶対お金を貸してはならないと忠告されていたからです。
たしかに義父の家はとても大きな敷地に立派な家が建っています。素敵な古民家ですが、義父のように丁寧な暮らしをしてこそ保てるもの。あれほど欲しがっていた義姉も現実を知ったよう。
手放そうと見積もりを取っているようですが、いかんせん郊外なのであまり高くつかず、上物である家は古すぎて値段がつかないとのこと。こんなはずじゃなかったと嘆いていました。
義兄夫婦の末路
一方私たちには、あのノートは宝の山で、義父のレシピのおかげで店は連日大盛況。私たちの順調な暮らしぶりを知り、長男夫婦は「ずるい!」と騒ぎます。お店の収益は遺産の一部だと言い張りますが、そんなわけがありません。
もしかしたら、義父はこうなることを予想していたのかもしれません。「長男夫婦が家のメンテナンスができるわけがない」と睨んでいたのではと思わずにいられません。
そもそも、義父の遺産が家とノートしかなかったのは、度重なる彼らの無心のためでした。
結局お金がない彼らは、家を直すことも、壊すこともできず、そのまま家を放置しているとのこと。売るにしても、名義の問題や手続き、費用の負担があり、簡単には動けない状況のようでした。今後どうするつもりかと聞くともういらないと言います。
義父が大切にしていた家だったこともあり、話し合いと必要な手続きを経て、最終的に私たちが引き継ぐことになりました。途端にこの家に住みたいと言い出したことも、正直なところ予想の範囲内。そのため、すでに名義も変えており、鍵も付け替えています。
私たちのお店は、義父のおかげで順調です。レシピや家はこれからも大事に守り続けるつもりです。
◇ ◇ ◇
義父が残した「家」と「レシピノート」には、それぞれ義父なりの想いが込められていました。手間を惜しまず作り続けてほしいレシピ、丁寧に暮らしてきた家——どちらも、大切に扱ってくれる人に託したかったものだったのでしょう。
遺産は、ただ受け取るだけのものではなく、残した人の想いごと引き継ぐもの。その想いにどう向き合うかが、受け取ったあとの未来を左右するのだと感じさせられる体験談です。
【取材時期:2025年11月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。