あるとき「息子が倒れたって聞いたけど!?」と義母から電話がありました。なんの話かさっぱりわかりません。
「旦那が過労で入院するまで、仕事も家のことも全部押しつけたって聞いたけど……。子どものお世話もしないなんて呆れるわ!」と、義母は責めるような口調で続けます。
しかしそのとき入院していたのは私でした。
夫の嘘が明らかに
数日前の朝、出勤前に突然目の前が真っ暗になり、そのまま私は倒れてしまいました。気付いたときには病院のベッドの上。過労と睡眠不足が重なって私は限界を迎えたのです。
医師は数日入院するように言います。息子たちのお世話は、しばらくの間は夫にお願いするしかありませんでした。
そんな経緯を伝えると、電話の向こうの義母はしばらく黙り込んでしまいました。どうやら夫は、自分が過労で入院しているかのように話し、「嫁が子どもの面倒を見られないから助けてほしい」と義母を頼ったようなのです。
それを聞いた私は、これまでの生活をかいつまんで説明しました。夫が家事や育児をほとんどせず、仕事と称して飲み歩いていたこと。子どもが夜泣きしても起きるのは私だけだったこと。そしてその結果、私が過労で倒れてしまったこと……。
そして私が入院している今日も、息子たちのお世話を義母に託して、自分は飲みに行き、帰らないつもりなのでしょう。
話を聞き終えた義母は、深いため息をつきました。
入院した私にかける言葉は労りでなく……
義母との電話を切ってすぐ、私は夫にもメッセージを送りました。義母からの電話で事実を知ったこと、そして自分がどれだけ追い詰められていたかを、できるだけ感情的にならないように伝えたのです。
夫は「助けを求めて何が悪いんだよ、俺が入院したことにすれば話が早いだろ?」と返します。
助けを求めることは悪いことではありません。しかし、私が急な入院で息子たちが不安そうにしている今、義母に預けてまで飲みに行く必要はあるのでしょうか。
モヤモヤしましたが、今は息子たちが穏やかに過ごせることが第一。噛み付くことはなく話を終えようとしました。
しかし夫は「むしろさ、ちょっと体調崩したぐらいで入院って大げさだろ? どこの奥さんだって仕事と家のこと両立してるんだよ。少しくらいしんどくてもなんとかするものじゃないの?」と私を責め始めました。
私は自分の体を犠牲にしながら「妻だから」「母親だから」と踏ん張ってきたつもりでしたが、夫にとっては「やって当然のこと」。張り詰めていた気持ちが切れてしまいました。
夫が家事や育児をしないワケ
そんな中義母は、数日おきにお見舞いに来てくれるようになりました。夫は一度も顔を見せていませんでしたが……。
入院中、義母に聞いた話によると、義父も同じような振る舞いをしていたそう。義母がどんなに体調が悪くても、自分の食事を心配するような人だったと話します。
それでも我慢を続けてここまできたようですが、今の状況を見て「そんな自分のおこないが息子にも悪い影響を与えてしまったのかもしれない」と反省していました。
義母の話を聞いて私もハッとした私は、思わず「そうですね」とひと言。義母の言葉は私にもそのまま飛んでくるブーメランでもあります。
夫の振る舞いと私の我慢が息子たちにも悪い影響を与えてしまうかもしれない……そして私のようにつらい思いをする女性を生み出してしまうかもしれません。私は、この連鎖を断ち切ることにしました。
離婚騒動が飛び火!
退院の日が近づいてきたころ、私は夫に「退院後、子どもを連れて一度実家に戻ること」「今後は離婚を前提に話し合いたいこと」を伝えました。
「話が飛びすぎだろ」「そこまでしなくてもいいだろ」と言う夫に、私の気持ちは伝わっていないのでしょう。そんな私たちの合間に入ってくれたのは義母でした。私の気持ちを代弁してくれたのです。
私たちの離婚騒動は義実家にも飛び火しました。困った夫が義父にこの件を相談したのです。
義父は「家事は妻がやるもの」「飲みに行くのも仕事のうちだ」と夫の肩を持ったそうですが、その言葉に烈火の如く起こったのが義母でした。
義母は、これまで胸の奥にしまい込んできた思いを、初めて義父にぶつけたそうです。
「昔はそれで済んだかもしれないけど、今は違う。仕事も家のことも、夫婦で支え合わなきゃ続かないのよ」と、はっきり伝えたといいます。
結果的に、義母もまた義父との別居を決意。長年「夫の機嫌を損ねないように」と自分を抑えてきた生活に終止符を打ち「これからは自分のために生きたい」と動き始めたのです。
夫の末路
離婚は最終的に話し合いでまとまり、子どもの親権は私が持つことになりました。
夫は実家に戻り、義父と2人暮らしを始めたそうです。これまで家事をすべて妻に任せてきた男性2人が、今度は自分たちだけで生活を回さなければならなくなりました。
近所の人の話では、最初のうちは「嫁なんていなくても平気だ」「次の相手を探せばいい」と強がっていたものの、家事も生活も思うようにいかず、次第に人付き合いも減っていったのだとか。
一方、私は退院後、子どもを連れて実家と元義母の協力を得ながら新しい生活をスタートさせました。今、元義母は「息子の元嫁」という立場を超えて、これからもできる範囲で私たち親子を支えたいと言ってくれています。
子どもの送り迎えを手伝ってもらえたり、仕事で帰りが遅くなる日は夕食を一緒に作ってくれたり――誰かと支え合いながら暮らすのが、こんなにも心強くて、こんなにも当たり前にうれしいことなのだと、あらためて実感しました。
子どもたちも義母が寄り添ってくれる毎日を楽しそうに過ごしているので、決断をしてよかったと思っています。
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「妻だから」「母親だから」と無理を重ねた結果、心や体が限界を迎えてしまうことは、決して珍しいことではありません。家事や育児は「気付いた人がやるもの」ではなく、家族で分かち合うもの。誰かの我慢の上に成り立つ日常は、やがて大切な人を傷つけてしまうでしょう。
子育てをしていると、きつい思いをすることもありますが、助け合って暮らしていきたいですね。
【取材時期:2025年11月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。