そんなある日、夫が唐突に「社宅に空きが出たから引っ越す」と言い出しました。社宅に住めば家賃が格段に安くなるのだとか……。
「将来のマイホームのために節約しよう」と夫は言います。もっともな話ですが、話はそこで終わりませんでした。
夫は社宅への引っ越しを機に節約をしようと言います。昼食は毎日弁当を持参、外食やコンビニ弁当は禁止、割高な冷凍食品の使用も不可。これらの節約の名の下に増えていくルールは、どれも「相談」ではなく「決定事項」でした。
しかし共働きのわが家、毎日手作りの弁当や食事は正直負担です。そこで私が「負担を減らすために家事を分担したい」と提案すると、返ってきたのは考える余地もない言葉。「女なんだから、それくらいやれよ」と一蹴されてしまったのです。
それ以上、話は進みませんでした。少なくとも私には、夫の言う「節約」は、私だけに我慢を強いるものに見えます。
それでも私は、夫の提示したルール通りに生活しました。波風を立てずに過ごすことが、当時の私なりの精いっぱいだったのです。そんな私を見て、夫はどこか満足げでした。
社宅での出会い
社宅での節約生活は、想像以上に苦しいものでした。無駄がないように、そして日々の節約商品を求めて買い物に出かける毎日……。
そんな中、同じマンションに住む夫の上司・明子さんと知り合いました。気さくな明子さんとのちょっとしたおしゃべりはいつしか私の息抜きに。
明子さんを通じて社宅の中にも知り合いが増え、何人かで集まってランチや宅飲みをする機会もできました。閉塞感のあった生活の中で、そうした時間が少しずつ息抜きになっていったのです。
次第に私はポツリポツリと夫のことを相談するようになりました。すると見えてきたのが夫の会社での姿……。
家庭とは違う夫の素顔
同じ会社の人たちと話していても、夫の名前が話題に出ることはほとんどありません。プロジェクトの話になると、自然と話題から外されます。私が夫の様子を聞いても「ああ〜」と微妙な反応だけ。それで会話が終わってしまうのです。
悪口を言われているわけではありません。ただ、何も期待されておらず空気のように扱われている——それはきっと、夫にとって苦しい状況だったのだと思います。
夫が社宅の人付き合いを極端に嫌がっていた理由も、ようやく腑に落ちました。関わりを持つことで、大きな顔ができる家庭とは違う、外での自分の立場が露呈してしまいます。
だからこそ私にまで「失礼のないようにしろ」と口うるさく言い、自分が目立たないよう、関わりを避けていたのでしょう。
思いがけない誘い
そんな中、明子さんから「うちの会社に転職する気はない?」と持ちかけられました。つまり、夫と同じ会社で働かないか、というお誘いです。
案の定、夫は猛反対でした。私が同僚と仲良くすることをよく思っていなかった夫が、いい顔をするはずがありません。
理由を聞いても、「家庭がややこしくなる」「立場がなくなる」と、どれも自分本位なものばかり。それでも私は、条件や仕事内容を冷静に比較し、転職を決意しました。
入社後は、これまでの経験を土台に、一つひとつの仕事に丁寧に取り組みながらスキルを磨いてきました。時間はかかりましたが、少しずつ数字にも表れ、ついにはプロジェクトを任されるように……。
けれど夫は、私の成果を一切認めようとしませんでした。「たまたまだろ」「上司に媚びているだけじゃないのか」と、どれだけ結果を出しても、夫の口から出るのはそんな言葉ばかり。
そんな態度を見てはっきりわかりました。夫は、自分より結果を出した人の努力を素直に認められず、「運がよかっただけ」「上司に気に入られているだけ」と受け取ってしまうところがあったのです。
すれ違いの末に
仕事が軌道に乗り始めた私は、改めて夫と話し合いました。家事の分担、仕事への向き合い方、これからの生活——。
しかし夫は、これまでと同じ言葉を繰り返すだけでした。「家事は女の仕事だろ」「俺は今のままで困ってない」その瞬間、これ以上話し合っても何も変わらないのだと、私の中で静かに理解してしまいました。
この人は変わる気がないのでしょう。そして私が成長することも、前に進むことも、受け入れられないのです。
私は離婚を選びました。大げさな修羅場があったわけではありませんでしたが「この人と一緒にいても、これ以上前に進めない」と確信したのです。
今になってやっと、誰かの価値観に押さえつけられることなく、自分の人生を歩けていると感じています。
◇ ◇ ◇
「家庭のため」「将来のため」という言葉は、ときに一方だけが我慢する状況に陥りがち。大切なのは、同じゴールを共有しながら、今の生活や負担についてきちんと話し合える関係であることではないでしょうか。
お互いがどんな思いで頑張っているのか、家事や仕事を誰がどれくらい担っているのか。一度立ち止まって見つめ直してみることが、よりよい夫婦関係への第一歩になるのかもしれません。
【取材時期:2025年12月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。