その日の午前中、私の自宅のリビングで指輪の相談をしていた私たち。
婚約者は、地元の有名企業に勤めていることもあり、私の妹にとっても、彼は「自慢の義兄になるハイスペックな人」。会うたびに妹は、彼のことを褒めちぎっていましたし、私もそれを誇らしく思っていました。
そんな彼がカタログで指を止めたのは100万円の指輪でした――。
誰もがうらやむ完璧な婚約者
「やっぱりこれにしよう。同僚もこのクラスを贈っているし、僕のプライドとしても妥協はしたくないんだ」
コーヒーを淹れる音が響くなか、彼は自信満々に言い切ります。年収1000万円を超え、羽振りの良さは人一倍。でも、その派手な暮らしぶりの裏で、私は密かにある不安を抱えていました。
しかし、高額な買い物とあって、私はどうしても慎重になってしまいました。もともと派手なことが好きではないので、二の足を踏んでしまったのです。
「100万円って……今の私たちには少し贅沢すぎるんじゃないかな。もっと現実的な選択肢もあると思うよ」
私の控えめな提言に、彼はあからさまに嫌な顔をしました。
「君はいつもそうやって水を差すよね。一生に一度のことなのに、君は本当にノリが悪い。僕の妻になるんだから、ふさわしい指輪を贈ろうと思っただけなのに」
彼はそう吐き捨てると、カタログを乱暴に閉じ、かばんを手に取りました。
「もう少しノリを良くしてくれないと、こっちも冷めるよ」と言い残し、彼はそのまま私の家を出て行ってしまったのです……。
妹に奪われた妻の座
数日後の昼下がり――。
妹から駅前のカフェに呼び出された私。妹の態度は、以前とはうってかわって攻撃的なものに変わっていました。
「お姉ちゃん……彼から聞いたよ。指輪を買ってもらう時に文句を言ったんだって? 100万円のダイヤを贈る男のメンツを潰すなんて、信じられない」
私の婚約者と妹は、連絡先を交換していました。しかし、彼は私への不満をたびたび妹にこぼしていたようです。妹も妹で、「私ならもっと喜ぶのに……」などと言って、彼を励ましていたのだとか。
「あのね、私は将来が心配なだけなの。このご時世、明日どうなるかなんてわからないじゃない?」
妹は深くため息をついて、私に向き直りました。
「出た、お姉ちゃんの正論。そうやって追い詰めると、何もかも失うことになるよ」
私は自分の考え方や伝え方にも悪いところがあったのだろう、と反省しました。しかし、これは妹からの一方的な宣戦布告にすぎなかったのです……。
それから2週間後――。
妹と会ったあと、婚約者にはすぐに「きちんと話をしたい」と連絡を送りました。しかし、それに対する返信はありませんでした。
この先どうなるんだろう……と暗い気持ちを抱えながら、彼のSNSを見ると――そこには結婚式場の写真と「仮予約してきた!」という投稿文。
「まさか、あれだけ揉めた後に、仲直りのサプライズのつもりで予約したの……?」という困惑と、「ここ、この辺りで一番格式高い老舗ホテルじゃない……? 地元の名士や富裕層しか使わないような場所で……。オプションをつけたら500万円、いえ、800万円はくだらないはず……」という不安な気持ちが同時にわいてきました。
そして、意を決して彼に電話をかけて、SNSを見たことを告げると、彼からは予想外の一言が返ってきたのです。
「……君とはもう未来の話はできない。僕のことは忘れてくれ。君より大切な人ができたんだ」
ぶつりと電話が切れた瞬間、頭が真っ白になりました。さっきまで式場の写真を見て「もしかしたら私のために……」なんて、心のどこかで淡い期待を抱いてしまった自分が、バカみたいで、惨めで、たまらなくなりました。
状況が飲み込めず、心臓が嫌な音を立ててバクバクしています。
「嘘……でしょ……?」
震える声で呟いても、返ってくるのは静まり返ったリビングの空気だけ。昨日まで、指輪を選び、これからの人生を共に歩むと信じていた時間は、すべて幻だったのでしょうか。 裏切られた悲しみと、ゴミ箱に捨てられたような惨めさで、吐き気がこみ上げてきました。 涙さえ出ないほどの衝撃に、私はただ、暗い部屋で立ち尽くすことしかできませんでした。
こうして、私と彼のお付き合いは終わったのです。
それから1カ月後――。
ようやく傷が癒えかけていた私の元に、妹から一枚の画像が送られてきました。そこに写っていたのは、幸せそうに頬を寄せる妹と、元婚約者の姿でした。
「お姉ちゃん、ごめんね。私、彼と結婚することになったから!」
「100万のダイヤの指輪も私がもらうね! 私の左手薬指にある方が似合うと思わない?」
メッセージを読んだ瞬間、心臓が跳ね上がりました。別れを切り出されたとき、彼が言った『君より大切な人ができた』という言葉。その大切な人が、まさか自分の妹だったなんて。2人が裏で繋がっていたという事実に、頭を殴られたような衝撃を受けました。
しかし、その驚きは数秒しか続きませんでした。 怒りよりも先に、「ああ、そういうことだったんだ」と、霧が晴れるようにすべてが腑に落ちたのです。 彼への未練が、一瞬で氷のように冷めていくのがわかりました。
私は深呼吸をして、あえて明るいトーンで返信を打ち込みました。
「どうぞどうぞ!」
すぐに妹から「え?」と、拍子抜けしたような返信が来ました。私は続けて返信しました。
「びっくりした! まさか2人で会っていたなんてね。でも、おめでとう! 派手なことが好きな彼には、私よりあなたのほうがずっとお似合いだと思う。指輪、大切にしてね」
妹は、私に発狂して泣きつかれるか、激しく罵倒されると思っていたのでしょう。予想外の私の潔さに、困惑している様子が伝わってきます。
「強がらなくていいよ。本当は悔しくてたまらないんでしょ?」 必死にマウントを取ろうと追いすがってくる妹。でも、私は本気で笑みがこぼれていました。
(ううん、全然。むしろ、その時限爆弾を自ら引き取ってくれて、心から感謝してるくらいよ……)
そう、このときの私は確信していたのです。見栄のためにリボ払いを繰り返す彼と、中身を見ずに華やかさだけで彼を選んだ妹。この2人が歩む道の先に、どんな未来が待っているのかを。
崩壊した理想
翌日――。
私は妹に電話をかけました。昨夜までの動揺を押し殺し、努めて事務的なトーンでこう告げました。
「すべてあなたに譲る。でも、派手な見た目だけで選んだら後悔するわよ。これだけは忠告しておくわ」
私の言葉を、妹は「負け惜しみね」と笑い飛ばしました。彼女は念願の「金持ちエリートの妻」の座を私から奪い、彼と2人で豪華な結婚準備にのめり込んでいったのです。
私ももう2人と会うことはないだろうと思っていました。しかしその後、事態は思わぬ形で急展開を迎えたのです。
地元のローカルニュースで、地元経済の特集として、元婚約者の勤める会社の窮状が報じられました。報道によると、業績不振で今年のボーナスはカットのよう。それからしばらくして、妹からこんなメッセージが届いたのです。
「お姉ちゃん、彼のカードが止まったんだけど! 督促状も来てる!」
そこで私は、指輪の購入に慎重にならざるを得なくなったある出来事を思い出しました。
彼の部屋で偶然見つけてしまった督促状。そこには、ブランドものを「リボ払い」で購入したという信じがたい事実が記されていたのです。
毎月の支払額が一定になるリボ払いは、一見余裕があるように見えますが、その裏では15%近い手数料が重くのしかかるようです。彼は「月々数万円払っているから大丈夫」と自分に言い聞かせながら、雪だるま式に膨らんでいく負債から目を逸らしていたのでしょう。
彼に直接聞くことは叶いませんでしたが、あのときの私は「まさか指輪もリボ払いで買うのでは……」という不安を抱いていたのです。
「……見栄を張りたいがために、彼は前からリボ払いをしていたわよ。私が知ったときで数百万の負債があったはず」「『給料やボーナスが入るから支払いは大丈夫』って言ってたけど……。ボーナスを支払いのあてにして、リボ払いで自転車操業を続けていたんでしょ。ボーナスが出なかった時点で、もう限界だったのよ」
しばらくしてから、妹から返信がありました。どうやら彼を問い詰めていたようです。おおかた私の推測通りだったようで、「お姉ちゃん、どうしよう……」と嘆く妹。
元婚約者の見栄っ張りを、妹は「気前がいい」と勘違いしていたのです。すでに彼は首が回らない状態でした。だからあれほど「見た目だけで選ぶな」と忠告したのに……。
その後――。
元婚約者が勤めている会社は、業績不振が続き、大幅に人員整理を行うことに。元婚約者もその対象となったと妹から聞きました。
元婚約者からは「頼む、助けてくれ。妹とは別れる。君なら、この状況を一緒に立て直してくれるだろ?」とメッセージが届いていました。そこにはかつての傲慢さはありませんでしたが、もう彼と一緒に歩む未来は見えませんでした。
母から聞いた話では、入籍してわずか1ヶ月、豪華な挙式を目前にして二人は破局したそうです。キャンセル料の支払いも巡って、泥沼の争いになっているのだとか。例の100万円の指輪も売ったそうですが、借金の半分も返せなかったそう。
私は今、静かな部屋で、自分のペースで生活を送っています。派手な飾りも、うわべだけの言葉も必要ありません。
毎月決まった額を貯金し、身の丈に合った生活を送る――そんな当たり前の日常が自分には合っていると感じています。
私が元婚約者とともに借金地獄に落ちずに済んだのは、不幸中の幸いだったのだと思います。現実をしっかり見ること、見栄という形のないものを追いかけるのではなく、地に足をつけて生きていくこと――この2つを、私はこれからの人生で決して忘れることはないでしょう。
【取材時期:2025年12月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。