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余命宣告に夫「保険金は?」義父「病気の嫁は面倒」誰も私の心配はせず…ショックで実家に帰った結果!

結婚生活において、義実家とは適度な距離感で良好な関係を築きたいもの。しかし、同居や帰省をきっかけに、信じていた夫や義両親が冷酷な本性を現すことがあるようです。義家族に理不尽な要求をされても夫は見て見ぬフリ。そんな生活が続いたら……?

そこで今回は、理不尽な義家族と、それを傍観する夫に、限界を迎えた妻が「勇気ある決断」をしたエピソードを2本ご紹介します。非常識な人々に、妻たちはどう立ち向かったのでしょうか!?

 

夫「保険金いくら?」義両親「病気の嫁はいらない♪」余命宣告に冷酷な態度→だーれだ♡そのまま家を出た結果

ケース1

 

私は35歳。夫と結婚して5年、子どもはいません。義両親との関係は良好……だったはず。夫の提案で同居を始めたころまでは。

 

しかし同居後、義両親の態度は一変。「孫はまだ?」「嫁の役割を果たしていない」とチクチクと嫁いびりが始まり、夫まで同調するようになったのです。そして“ある勘違い”が引き金となり、義家族の本性が露わになったのです。その瞬間、私の心は完全に冷めきってしまったのです。

 

同居を始めた当初、私は「うまくやっていける」と本気で思っていました。 義両親は穏やかで、あいさつに行けば笑顔で迎えてくれたし、夫も長男として家族を大切にするタイプ。ところが、同居生活が始まると義両親の口から出る言葉は徐々にトーンが変わっていったのです。

 

やさしかった義母は「本来、この部屋には孫がいる予定だったのにねぇ〜」と言うようになり、穏やかだった義父も「嫁の役割は跡取りを産むことだろ?」と。最初は冗談のつもりだと思い流していたけれど、 次第に“圧”が強くなり、言葉もストレートに。私はフルタイムで働きながら、「認められたい一心」で義実家の家事をほとんど引き受けてきたのに……。

 

夫も最初はかばってくれたけれど、 同じ家で暮らすうちに義両親の意見に傾き始め、終いには「結婚して3年以上経つのに、妊娠しないなんてやっぱりおかしいよな。検査行ってきなよ」と言い放ったのです。心ない夫の言葉に、 胸の奥がギュッと縮むような苦しさを感じました。

 

 

“余命”を喜ぶ義家族

そんな中、実家の母から“愛犬の余命宣告”の知らせがありました。私は動揺してしまい、夫にうまく説明できず、“私が余命宣告をされた”という勘違いが発生してしまったのです。しかし、その勘違いこそが義家族の本性を露わにする決定打となったのでした。

 

義家族は、私の心配は一切なく、“お金”に反応。夫は「保険金は!? 保険はかけてるだろうな!?」と。義父は「病気の嫁は面倒だからいらない! 孫も産めないだろうし」と突き放し、義母は「最後の手切れ金になるんなら孫を産めなくても許してあげる」と、私の死を前提に話し始めたのです。

 

私は頭が真っ白になりました。夫と義両親の本性が見えた瞬間、私は「この人たちは冷静じゃない」と自分に言い聞かせ、涙をこらえながら部屋へ戻りました。

 

その夜、私は荷物をまとめ「この家にはもう戻らない」と決意し、実家へ戻りました。両親にすべてを話すと、母は泣きながら私を抱きしめ、 父は険しい顔で「離婚を考えるべきだ」と呟きました。

 

余命宣告をされた愛犬は、私が帰ると不思議なことに少しずつ元気になっていったのです。私はただ穏やかに、愛犬と一緒の時間を過ごしました。その間、夫からは私の死を確認するようなメッセージだけが届くように。そしてついに、夫と義両親が“なかなか私が死なないこと”に焦り、 私の実家へ乗り込んできたのです。

 

 

本性暴露と逆転劇

玄関を開けると、夫と義両親が立っていました。すると義母は「どうして元気なの?  余命宣告されたんじゃないの?」と。義父も「危篤の連絡が来ないから来たんだ!」と言うのです。私は深く息を吸い「余命宣告されたのは私じゃなくて愛犬です」と真実を伝えました。

 

義両親は凍りつき、夫はあぜん。そして夫は「じゃあ、保険金は……?」とひと言。私は冷静に「ペット保険に入ってるわよ」と伝えました。その瞬間、義両親と夫の顔がスッと青ざめたのです。そして義母は血相を変え「どうするのよ! 保険金目当てでブランド品買っちゃたのよ!」と。追いつめられた夫は、 私の保険金を当てにして豪遊していたと白状。 

 

私は静かに「あなたとは離婚します。人の命を何だと思ってるの? 人の不幸を願い、それを利用しようとした代償です」と告げました。すると夫は肩を落とし「ごめん……。俺が悪かった」と呟いたのでした。

 

その後、無事に離婚が成立。愛犬は穏やかに最期を迎えました。私は、最期の時間を一緒に過ごせたことに感謝しています。

 

◇ ◇ ◇

 

人のやさしさは、言葉ではなく行動に表れます。見返りや損得で揺れる関係ではなく、相手を大切にできる関係を選ぶこと。それは“誰かを切り捨てる”決断ではなく、“自分を守る”最初の一歩です。境界線を引いていい。離れていい。あなたの暮らしと心に、健やかな居場所を作ることが大切です。

 

※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

 

 

続いては、初めての義実家への帰省で、とんでもないモラハラ洗礼を受けたエピソードです。「嫁は家政婦」と怒鳴り散らす義父と、妻を置いて飲み会へ逃げた夫。

 

孤立無援の妻が怒りの反撃に出ようとしたそのとき、事態は思わぬ方向へ!? 傲慢な義父に引導を渡した、意外な人物とは……?

 

 

義父「嫁は家政婦。酒を注げ」夫「嫁なんだから我慢して」時代錯誤な親子に限界…意外な人物が仕返し!

ケース2

 

近々、初めて義実家の集まりに参加します。私たちは式を挙げていないので、初めて会う人たちがほとんど。義両親ともまだ2、3度しか会ったことがありません。夫は「ごく普通の家庭だから大丈夫だよ」と言いますが、私はとても緊張していて……。

 

以前、友人から嫁いびりの話を聞いたことがあったので、私は夫を頼りにしていました。

 

ところが、夫は久しぶりの帰省ということもあり、地元の友人から飲みに誘われているとのこと。「夜遅くに少し顔を出すだけだから」と聞き、ひとまず安心したのですが……。

 

そして当日、緊張しながら義実家に伺った私を待っていたのは、想像以上にひどい対応で、戸惑いを隠せませんでした。実は、義父がとんでもない人だったのです。

 

 

「俺が一番偉い」横暴な義父

夕食のとき、義父からお酒を買いに行くよう頼まれた私。しかし、出かける直前に親戚の方から別の用事を頼まれ、それを済ませていたら出発が遅れてしまいました。すると店へ向かう途中、義父からお叱りの電話が……。

 

「俺は本家の跡取りで親戚中で一番偉いんだから、俺の言うことを最優先にしろ。早く帰ってこないと、東京の嫁はお使いすらできないと笑われるぞ」と言われ、私はあ然としました。

 

買い出しから戻っても、お説教の嵐でした。義父いわく、私には「嫁の自覚」が足りないそう。「女は愛嬌があって家事ができ、男に従順なのが絶対条件だ」と力説され、「嫁は家政婦だ。酒を注げ」と命令され……。その後は休む間もなく、義母の料理の手伝いや親戚の男性たちへのお酌回りと、本当に大変でした。

 

義父が私に暴言を吐いても、夫は見て見ぬふりで、何も言ってくれません。私がそんな地獄のような時間を過ごしているうち、なんと夫は、約束の時間より早くこっそり義実家を抜け出していたのです。夫の行動も、義父の発言も信じられません。

 

お酒が入って、ますますひどい態度になる義父。あまりにつらいので私は電話で夫に助けを求めたのですが……。

 

「お義父さん、私のことを家政婦だって言ったのよ!?」
「何で怒らないの?」

友人と飲み会中の夫に電話で助けを求め、詰め寄った私に夫から返ってきたのは、信じられない言葉でした。

 

「嫁なんだから我慢してよ……」

 

 

頼りにならない夫に失望した私は…

「は?」
嫁だから我慢しろだなんて……夫から返ってきたまさかの発言に私は耳を疑いました。

 

夫は、私が義両親に嫌われないよう穏便に済ませるべきだと言います。自分の発言がどれだけ私を傷つけているのか、まるでわかっていませんでした。挙げ句の果てには「楽しく飲んでいるのに変な連絡をしてくるな」と文句を言い、「ネチネチ言うな、話を聞いて損した」とまで吐き捨てる始末。結局夫は、深夜に義実家に戻ってきました。

 

さらに、親戚の男性たちも厄介でした。私がお風呂に入るとき脱衣所をのぞこうとしてくる人や、肩もみを強要してくる人もいました。私が断ると、義父に「生意気だ。いいからやれ! 家長命令だ!」と怒鳴られました。

 

夫に失望し、義父や親戚の男性たちに腹が立ち、私は翌朝、まだみんな寝ている時間に、誰にも告げずに義実家を出て、ひとりで自宅へ帰りました。

 

その後、起床して私がいないことに気付いた義父から連絡が。黙って帰ったことや嫁として不十分な振る舞いなどについて怒られ、最後には「俺に従わないなら離婚させる」と脅されました。しかし、決意を固めた私にはもう義父は怖くありません。夫も頼りにならないので離婚で結構です。

 

義父からお叱りの電話を受けたあと、お昼ごろになって、起きてきて私がいないことに気付いたのか、夫からも電話がかかってきました。寝起きの声で「黙って帰られたら困るよ……父さんがカンカンだよ……」と言う夫に、私は本気で離婚を考えていると告げ……。

 

 

そして、結局離婚したのは…?

すると夫は動揺し、「すまなかった! 離婚を避けられるなら何でもする! チャンスをくれ!」と必死に。そこで私は義父との絶縁を提案。夫はそれで離婚を回避できるならと承諾しました。

 

そのあとすぐに帰宅した夫は、電話で義父に絶縁を宣言。その後は、義父からの連絡を無視していました。夫と連絡が取れなくなり、怒って再び私に連絡してきた義父は「跡取り息子がなぜ俺と縁を切る必要があるのだ! 嫁の言いなりになるなんて」と激怒。さらに義父は、義母の姿が見当たらないと言い、義母にも何かを吹き込んだのかと私に詰め寄ってきました。

 

私は、義母が今、わが家にいることを伝えました。私が出ていったことに気づいた義母は覚悟を決め、最後の務めとして義父や親戚たちの朝食を準備すると、私を追って義実家から逃げてきたのです。横暴でひどい言動が目に余る義父に30年も耐え続けてきた義母は、もう我慢の限界だったようで、私の行動に勇気をもらったと言い、わが家を訪ねてきました。そして、義母から熟年離婚の相談をされたのです。

 

もう口も聞きたくないという義母に代わって私が義父にすべてを告げると、義父は低姿勢になりましたが、義母の決意は固く、もはや手遅れでした。

 

その後、義両親は弁護士を交え話し合い、ほどなくして離婚。この一件で夫は義父を反面教師として心を入れ替え、私たち夫婦の関係は良好になりました。離婚後、ふさぎ込む義父とは対照的に、義母は私たち夫婦と同居して、第二の人生をいきいきと楽しんでいます。

 

◇ ◇ ◇

 

つらいときに寄り添ってくれない相手とは、一度距離を置いて関係を見つめ直す時間も必要なのかもしれませんね。理不尽に対し、ただ我慢するのではなく勇気を持って行動したことが、義母を助けることになり、夫を変えるきっかけとなりました。この先も、幸せな未来を自らの選択で作っていけるといいですね。

 

※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

 

 

パートナーや義両親からの裏切りは、深い傷を残しますが、同時に「これから先も生活を共にすべきか」見極める機会にもなり得ますね。相手の非道な振る舞いに対し、我慢を重ねるのではなく、毅然と「No」を突きつけた妻たちの行動力は、自分自身の尊厳を守るための見事な選択だったのではないでしょうか。

 

理不尽な扱いを受けたとき、大切なのは周りの目や世間体ではなく、自分自身の心が壊れてしまわないこと。もし自分の身に同じようなことが降りかかったなら、勇気を持ってその場から立ち去る決断力と、自分の幸せを最優先に考える強さを持ちたいですね。

 

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    ライターベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

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