義母「長男の孫と高級焼き肉だから♪」娘の誕生日会はドタキャン!?露骨な孫差別に限界の私は実家総出で…

私は34歳の主婦。夫と、もうすぐ8歳になる娘との3人暮らしです。今年の娘の誕生日は、家族で盛大にお祝いしようと胸を弾ませていました。
しかし、その数日前に待ち受けていたのは、義実家で開催される甥っ子の誕生日会。義両親は長男の息子である甥っ子を溺愛する一方で、うちの娘にはどうにも冷たい態度を取ります。「今年もまた、あからさまなひいきがあるのかな……」と内心ため息をつきつつ、私たちは義実家へと向かったのです。
こんなのいらない!?
義実家での甥っ子の誕生日会は、毎年豪華なケータリングが並びます。義両親の惜しみない愛情は、すべて彼に注がれていました。過去には、誕生日プレゼントの予算に信じられないほどの差があったことも。気乗りしないまま義実家の玄関を開けると、待ち構えていた義母が不満げな声で私たちを出迎えます。リビングに入ると、ゲームに夢中になっている甥っ子と目が合いました。彼は娘を見るなり「あれ、今年は来たの?」と鼻で笑うように言います。
娘は少し戸惑いながらも、包んだプレゼントを差し出しました。「誕生日おめでとう」しかし、次の瞬間。甥っ子は受け取った箱をテーブルに無造作に放り投げたのです。「は? こんなのいらない。俺、高いゲームしか欲しくないし」乱暴な振る舞いに、娘が少し肩をすくめました。
私は思わず一歩前に出ようとしましたが、義母の笑い声がそれを遮ります。「せっかくいただいたのにねぇ。この子、私たちが高いゲーム機を買ってあげたばかりだから、こういう普通のおもちゃじゃもう遊ばないのよ〜」悪びれる様子もなく、むしろ私たちをたしなめるような口調。さらに甥っ子は「お前ももうすぐ誕生日だろ。俺の誕生日みたいに豪華にはならないだろうけどな!」と、勝ち誇ったように言い放ちました。その言葉に、義母は「あら、子どもって素直ね〜」と口元を隠してくすくす笑います。私は嫌な汗が背中を伝うのを感じていました。
あからさまな孫差別
義実家での一件のモヤモヤを吹き飛ばすように、私たちは娘の誕生日の準備に奔走しました。当日は夫も仕事を休み、料理人の兄直伝のレシピで一緒に腕を振るいます。テーブルには、娘の大好物が色鮮やかに並びました。部屋中を飾るバルーンを見て、娘の瞳もキラキラと輝いています。
しかし、約束の時間になっても義家族は姿を見せません。連絡すら来ない状況に、私は意を決して義母に電話をかけました。「今日は娘の誕生日会ですが、今どちらですか?」電話の向こうからはにぎやかな声が聞こえます。
「あら、ごめんなさい! 長男一家とこれから高級焼き肉なのよ〜」信じられない言葉に、私は思わずあっけにとられました。さらに義母は、弾んだ声で続けます。
「だから今日の約束はキャンセルするわ〜」
「えっ、今日のために一生懸命準備をしたんですけど……」
私が気落ちした声で伝えても、義母は悪びれる様子もありませんでした。
一方的に切られた電話。思わず肩を落とし、リビングに戻ると、娘が不安そうにテーブルを見つめていました。「ごちそう、捨てちゃうの……?」その小さなつぶやきを聞いて、私はすぐに自分の実家へ電話をかけました。「お母さん、今から来られる?」私の母は、事の顛末を聞いて即答しました。「任せて! お姉ちゃんやお兄ちゃんも呼んで、今すぐ行くから」
数十分後、両親と兄姉がケーキやプレゼントを両手に抱えて駆けつけてくれました。部屋は一気に明るくなり、娘の顔にパッと笑顔が咲きました。楽しそうに笑う娘の姿を写真に収め、私のSNSにアップしたのでした。
モニターに映るまさかの人物
家族みんなで楽しい時間を過ごしていた矢先、突然インターホンが鳴り響きました。モニターに映っていたのは、なんと義母と甥っ子。高級焼き肉店で長男一家と食事中のはずの2人が、なぜここに。
不思議に思いつつ玄関のドアを開けると、義母がズカズカと上がり込もうとしました。「お店に行ったら、予約がいっぱいで入れなかったのよ。長男夫婦とはそこで別れたんだけど、この子がうちに来たいって言うから連れてきたの。帰りにSNSを見たら、ずいぶん豪華なものを食べてるじゃない。この子が食べたいって言うから来てあげたの」甥っ子も後ろから「早く肉食わせろよ」と急かしてきます。自分勝手な理由で断っておきながら、のこのこと現れた2人に、私ははっきりとした声で告げました。
「申し訳ありませんが、お帰りください」
義母は目を丸くして、甲高い声を上げました。「はあ? 家族なんだから少しぐらい分けてくれてもいいじゃない!」夫はあまりの非常識さにあ然としていましたが、私は構わずピシャリと言い放ちました。「今日はそちらから断られたはずですよ。今は私の大切な家族と、娘のための時間を過ごしています。お引き取りください」
いつもなら黙り込んでしまう私が隙を見せず言い返したことに、義母は言葉を失いました。さらに私の背後から、両親や兄姉が様子を見に出てきました。大人たちから一斉に冷ややかな視線を向けられ、義母はたじろぎます。
そこで、料理人の兄が明るい声で口を開きました。「ごちそうはもう、俺たちで全部平らげちゃいましたよ!」姉も「それ都合が良すぎませんか~?」と冷ややかにほほ笑みます。私の家族の静かな怒りに気圧された義母と甥っ子は、ばつの悪そうな顔をして、逃げるように帰っていきました。
自分の非を棚に上げて
後日聞いた話によると、自分の非を棚に上げた義母は、帰宅すると、すでに仕事から戻っていた義父へ「嫁に恥をかかされた!」と泣きついたそうです。しかし、事情を聞いた義父は「そもそもお前たちが勝手にお祝いを断ったんだろう!?」とあきれ果てていました。その後、義父が夫にも事情を確認したことで、これまでの理不尽な孫差別もすべて義父の知るところに。義母は大目玉を食らい、まさに自業自得の結末を迎えたのでした。これを機に、義実家での関係性は大きく変わり、義母はすっかりおとなしくなったそうです。
私たちは今、義実家とは適度な距離を保ちながら、穏やかな日々を送っています。
◇ ◇ ◇
本当の絆とは、互いを尊重し、分け隔てなく接しようとする思いやりから生まれるもの。特定の人ばかりを優遇したり、ないがしろにしたりする関係は、いずれ崩れてしまいます。思いやりと誠実な心を持って接することが、穏やかに過ごすための土台になるはずです。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、娘の誕生日会を欠席した義母が、ごちそう目当てで押しかけてきます。追い返された義母が義父に泣きついたことをきっかけに、これまでの孫差別まで明るみに出るのでした。
続く2つ目のエピソードでは、長男夫婦ばかりを優遇する義母が登場します。出産祝いにも露骨な差をつけられた嫁は、自分たち夫婦が義実家の会社を金銭的に支えていた事実を明かして……。
「義兄夫婦には頭金100万円で、私たちには2,000円のカタログ…」義父母の出産祝いにあ然→下した決断と義父母の末路は

結婚してから3年。夫の実家は、地方で長く続く物流会社を営んでいます。義祖父が創業し、長男が後継者として育てられてきた、いわば「家業あっての一家」です。
私の夫は次男でした。それだけで、ずいぶん多くのことが決まってしまう家でした。
結婚してしばらくすると、義母からのメッセージが届くたびに、スマートフォンを伏せる癖がつきました。別に怖いわけではなく、ただ、読む前に少しだけ心の準備が必要になっていたのです……。
兄弟での扱いに露骨な差があることは、結婚前から薄々感じていました。
長男夫婦は何かにつけて優遇され、次男である夫はそれを当然のように受け入れていたのです。夫は「昔からこうだから」と苦笑いするだけで、深く傷ついた様子も見せませんでした。
そのある種のあきらめが、逆に私の胸をざわつかせていましたが、当時はまだ「そういう家風なのかもしれない」と自分に言い聞かせていました。
そんなタイミングで、私と義姉の妊娠がわかったのです……。
嫁の序列
おなかが目立ち始めたころ、義母からこんなメッセージが届きました。
「週末、うちの会社に来てくれない? 伝票整理や備品の仕分けを手伝ってほしいのよ」
「座ってできることだからいいでしょう?」
体調を考えて断ろうとしたのですが、義母は「妊娠中だからって甘えないで!」「嫁としての義務ってものを果たさなきゃ」と畳みかけてきます。
仕方なくそのときは行ったのですが……実際には「ついでに」という名目で掃除まで頼まれました。「ちょっとくらい、いいでしょ」と言うのです。
それからも、義母は内容を少しだけ軽いものにして頼みごとを繰り返しました。私が断ろうとするのを察すると、「そんなにたいした作業じゃないから」「妊娠中も適度に動いたほうがいいのよ?」と言って、逃げ道を塞いでしまうのです。
一度、「お義姉さんも、手伝いに来てるんですか?」と尋ねたことがあります。私に対しては、義母は「あちらは体調が安定していなくて……」と説明していました。ところが親族の集まりで、義母が「跡取りを産む嫁に無理はさせられないでしょう」と話しているのを聞いてしまいました。体調の問題ではなかったのです。
義姉もまた、その空気を当然のものとして受け取っていました。私が産休に入ったことを知ると、「コンビニのこれ買ってきて、うちに届けてくれる?」と軽くメッセージを送ってくるように。断ると、「気が利かないのね……」と一言だけ返ってきます。
最初のうちは「嫁同士、仲良くしていきましょうね!」と言ってくれていたのに……。
ある妊婦健診の帰り、電車の窓に映る自分の顔を見て、思いました。私はいつから、こんなに疲れた顔をするようになったのだろう、と。
露骨な出産祝いの格差
出産後、初めて義実家を訪れた日のことは、おそらく一生忘れないと思います。
長男夫婦への出産祝いについては、以前から聞いていました。義父母がマイホームの頭金として100万円を援助したというのです。それを義母は「出産祝い」と呼んでいました。
一方、私たちに手渡されたのは、1冊のカタログギフトでした。自宅に戻ってから中を確認し、念のため公式サイトで調べてみると、2,000円のコースだとわかりました。
「……2,000円」と思わずつぶやいた私。一緒にいた夫も、さすがに言葉を失っていました。
高価なお祝いを期待していたわけではありません。つらかったのは金額ではなく、長男夫婦とあまりにも露骨に差をつけられたことでした。
翌日、私たちは義母に電話を入れました。
「お義兄さんたちにはマイホームの頭金を100万円援助していましたよね? さすがに、この扱いの差はあんまりだと思うんですけど……」
そう言うと、義母は「わかってないわねぇ」と言って、こう続けました。
「長男夫婦は、立派な跡取りを産んでくれたの。それに比べて……あんたたちには、2,000円でも十分すぎるくらいよ」
スマホを持つ手が、一気に冷たくなりました。おなかを痛めて産んだわが子が、最初からこんなひどい扱いを受けなければならないなんて……。
頭ではわかっていたはずなのに、改めて突きつけられると、思っていた以上に重い現実であることを実感しました。
手痛い反撃
私はすっと息を吸い込み、気持ちを落ち着けて、義母にこう告げました。
「何もわかってないんですね」
自分でも驚くほど、静かな声が出ました。
「え?」
と返す義母。
実は、義父が経営している会社は、ここ数年赤字続き。長男にも会社の経営が厳しいことは伝えていたものの、長男夫婦には援助できるほどの余裕がなかったそうです。そこで義父は、安定した収入のある夫に相談を持ちかけました。義母には知らせないでほしいと頼まれたうえで、私たちが毎月、金銭的な支援を続けていたのです。もちろん、やり取りの記録や送金履歴も、手元に残っています。長男夫婦に渡された頭金についても、当時から無理をして用意されたものだろうとは感じていました。けれど、その後の経営状況を聞いて、あのときの違和感が間違いではなかったのだと確信しました。
「支援は打ち切ります」「今月分で、最後にしますから。これ以上の支援は一切行いません」
「信じられない……」とつぶやいた義母。義父は義母に心配をかけまいとしたのか、自分のプライドを守るためか、義母には資金繰りのことは一切話していなかったようでした。
昔から義兄との扱いの差を感じていた夫。義実家の中で、唯一夫に寄り添ってくれたのが義祖父だったそう。その義祖父が創業した会社を守りたい、という一心で、夫は支援を続けてきたのです。私も何度か「もうやめたほうがいい」と夫に言いました。けれど夫は、義祖父が守ってきた会社だけは見捨てたくない、と言って聞かなかったのです。
「そんな……うちが赤字……?」
「まさか、次男たちに援助を受けてたなんて……」
義母ほど露骨ではないにせよ、義父もまた、長男を後継者と決めていたこともあり、次男の夫には冷たく、距離を置いていました。義父からも軽く扱われていた夫は、家業に関わることなく、早い段階で家を出ていました。地元から少し離れた安定した企業に就職し、私と結婚。それからは異例の出世を果たし、今では管理職です。一方の私も、別の会社でリーダーを任され、キャリアを築いていました。
私たちは毎月決して少なくない金額を援助していましたが、それでも十分生活できるだけの収入があったのです。
これまで軽く扱っていた私たちから援助を受けていた事実を知り、義母は不服そうでしたが、だんだんとその声からは勢いが消えていきました。
「援助をやめるって……じゃあ、会社はどうなるのよ……」
「私たちにはもう関係のないことです」と伝えた瞬間、不思議なほど落ち着いた気持ちになりました。
続けて私は、「今後の連絡は夫を通してください。うちの子どもに会うのも控えてくださいね。これからは、長男ご夫婦とそのお孫さんだけを大切にしてあげてください。では、失礼します」と一気に伝え、電話を切りました。
義母の「待って! ちょっと待ってよ!」という声を最後まで聞かずに切ってしまったのは、失礼にあたるのかもしれません。ただ、電話を切ったあとの気持ちは、今までにないくらい爽快なものでした。
家族3人での新たな生活
当時、私たちは義実家の敷地内にある離れで暮らしていました。
その日のうちに、私と子どもは夫が手配したホテルへ移りました。
後から聞いたのですが、夫は以前から義実家と距離を置くべきか迷っていたそうです。けれど、あの電話をきっかけに「もう限界だ」と腹をくくり、その週末、2人で新居を探し始めました。
荷物の本格的な搬出は数日後でしたが、その夜をしのぐために必要なものだけは夫が急いでまとめてくれており、ホテルで3人で静かに過ごしました。
それから半年後、義実家の物流会社は資金繰りに行き詰まったと聞きました。複数の取引先との関係悪化や、金融機関から追加融資を断られたことも重なり、私たちの支援打ち切りがその一因になったのかどうかは、今となってはわかりません。
私たちはその後も義父母と距離を置いていました。親族によると、会社の経営が本格的に悪化すると、長男夫婦も次第に義父母との関わりを避けるようになったそうです。その後、義父母は離婚。長男夫婦のために頭金を援助した家も、最終的には売りに出されたといいます。
◇ ◇ ◇
義実家での理不尽な扱いに怒っていたのは本当です。でも一番堪えたのは、自分自身の「慣れ」でした。
義母の言葉に傷つきながら、義姉に軽くあしらわれながら、それでも「これが普通なのかもしれない」と自分に言い聞かせていた時期がありました。誰かに怒りをぶつける前に、「いつものことだから」と流していた自分がいました。
子どもの誕生さえ軽んじられたことは、今でも許せません。でも、あの言葉があったからこそ、私はようやく目を覚ませたのだと思います。新居はあたたかい日差しが入ってくる家です。もう誰と比べられることもない。そんな当たり前のことが、とても幸せです。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、子どもの大切な節目をめぐって、義家族の偏った扱いに向き合った女性たちのエピソードをご紹介しました。
誕生日や出産のお祝いは、金額や豪華さだけで価値が決まるものではありません。けれど、片方だけを特別扱いしたり、もう片方を「これで十分」と見下すような態度を取ったりすれば、子どもや親の心には深い傷が残ってしまいます。軽く扱っていた相手から距離を置かれた義家族たちは、自分たちの言動が信頼を失わせたことに気づかされたのかもしれません。
家族だからといって、理不尽な扱いを我慢し続ける必要はありません。大切な子どもを守るためにも、違和感を覚えたときは曖昧にせず、必要な場面できっぱり線を引くことが大切ですね。
面白いポイント何もないぞ