育児雑誌「ひよこクラブ」の編集長を経て、ベビーカレンダーに移籍し、編集長となった二階堂。20年以上育児メディアの中心にいた二階堂は、子どもを持ちたいと思い続けながらも、その願いが叶うことはありませんでした。自身の経験から強く思うのは「産みたい人が当たり前に産める社会になってほしい」。離婚、再婚を経て、40代で不妊治療を始めるまでの背景を取材しました。
仕事が充実し、妊娠はどんどん後回しにした30代
「私が最初の結婚をしたのは1999年、27歳のときです。当時は『妊活』という言葉もなく、私自身もいつかは産みたいけれど、もう少し先でもいいだろうという認識でした。
そして30歳のとき、転職をしてずっと携わりたかった育児雑誌の編集部で働くことになりました。徹夜もいとわずバリバリ働いていて、日々が充実するなかで感じたのは、『妊娠~出産で1年以上休むのはキャリアアップを考えると厳しいな』ということ。30代前半は仕事に打ち込みたいと、避妊のために低用量ピルを服用することにしたんです。
35歳を超えても出産はできるだろう、という楽観的な考えがあったんですね。
育児雑誌は主に出産したママ・パパが読むもの。取材でお会いするママたちのなかには、30代で産んだ方がたくさんいて、お子さんを無事授かった方のメディアということもあり、不妊で悩んだという話は当時あまり聞かなかったんです。医療も発達しているだろうし、なんの根拠もなく、私も本気を出して望めば子どもは自然に授かるもの……と思い込んでいました」(二階堂)
厚生労働省の人口動態統計によると、第一子の平均出産時年齢は2005年当時29.1歳。晩婚化・晩産化の上昇傾向はじりじりと続いていて、2016年には30.7歳となり、現代の不妊症の大きな要因と考えられています※。
※出典:内閣府「平成30年6月4日内閣府 少子化克服戦略会議(第7回)」における「少子化関係資料」6枚目「平均初婚年齢と出生順位別出生時の母の平均年齢の年次推移」
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/meeting/kokufuku/k_7/pdf/ref1.pdf
不妊治療を躊躇し、37歳で自己流の「ゆる妊活」
「その後、育児雑誌『ひよこクラブ』の編集部で役職に就くなど、仕事はさらに忙しくなりました。妊活を意識したのは、ようやくその仕事に慣れてきた37歳くらいだったでしょうか。
プライベートでは、独身の友人に『生殖医療の進んでいるアメリカに行って、一緒に卵子凍結をしない?』と半分冗談、半分本気で誘われたりもしました。
といっても、当時私がしていたのは、市販の排卵チェッカーを使うくらいで、自己流のもの。朝早く出勤し夜遅く帰る生活は続いていたので、その妊活すらしっかりとは出来ていなかったですね。
ただ、自分としては妊活をしているという気持ちはあったので、胸が張ったりやたら眠くなったりと、偶然、妊娠の初期症状のような体の変化を感じると、『もしや?』と思うこともありました。ただ、期待は募るもののやっぱりできなくて……。そのときも『30代後半なのだから、人より時間はかかっても仕方がないよな』と、あまり大事には考えていませんでした」(二階堂)
―このとき、不妊治療を受けることは考えなかったのでしょうか。
「うーん、不妊治療をしている知り合いから、治療と仕事の両立の難しさを聞いて躊躇してしまったんです。彼女は、通院を理由に仕事を休むことを上司に責められたと言っていました。
10年ほど前は、不妊治療に対する理解が今以上に進んでいませんでした。『不妊治療は病気ではない。それなのに、部下を抱えるような立場で、たびたび、そして急に休んでいいものだろうか……』。そう考えれば考えるほど、不妊治療に進むハードルを高く感じてしまって、断念しました。
今だったら、通院で休めるようになんとか仕事を調整すると思うし、不妊治療中の同僚がいたら、全力でサポートに回るんですけどね。
そして39歳のとき、不妊が理由ではなかったのですが、夫と離婚。シングルになり、子どもを持つという選択肢はいったんリセットせざるを得ませんでした」(二階堂)
再婚、そして46歳からの不妊治療スタート
―妊活に取り組んだのは37歳からの約2年間になります。妊娠適齢期を考えると、少し遅かったのかもしれません。後悔していることはありますか?
「それはやっぱり、妊娠・出産に対する正しい知識を得ようとしなかったことですね。当時仕事で関わっていたのは育児分野一筋で、妊娠・出産分野については今ほど知識がなかった。あとは、『芸能人の○○さんが40代で出産』なんてニュースを聞いたりすると、勝手に自信をもらって、『やっぱり自分も自然に産めるはず。人一倍体力もあるし、まだチャンスはある!』と思い込んでしまった。自分にとって都合のいい情報ばかりを信じようとしていたのかもしれません。
でも、妊娠のしやすさは人それぞれだし、医療技術が進んで高齢出産の割合が増えたとしても、人間の体そのものは昔と大きく変わらないのに……。女性の産める時期にはタイムリミットがあることを、もっと現実として冷静にとらえるべきだったと思います。
私にとって、人生のプライオリティは、仕事より、子どもを持つことのほうが高かった。それなのに、目の前にある忙しさを優先してしまった。もっと俯瞰で自分にとって何が大切であるか、見極めるべきでした」(二階堂)
妊孕性(妊娠のしやすさ)は20代後半から低下していくといわれています。排卵日を意識して性交した場合でも、30代後半になると妊娠率は約3割に。さらに夫の年齢が5歳上になると妊娠率は2割を切るのだそうです※。
※出典:厚生労働省「平成25年5月2日第1回不妊に悩む方への特定治療支援事業等のあり方に関する検討会」資料「生殖補助医療の現状からみた特定不妊治療助成のあり方」16ページ「年齢別にみる排卵と妊娠率の関係」より
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r985200000314vv-att/2r98520000031513.pdf
「離婚から7年が経ち、46歳のときに高校の同級生だった相手と再婚。彼と過ごすうちに、『この人との子どもを見てみたい』という思いが強くなりました。以前、不妊専門クリニックを取材したことから信頼できる医師とのつながりもあり、妊活には遅すぎる年齢ですが、夫と話し合い、不妊治療を受けることを決めました。ここからが、私の不妊治療の始まりでした」(二階堂)
<第2回に続く>
取材・文/来布十和