育児雑誌「ひよこクラブ」の編集長を経て、ベビーカレンダーに移籍し、編集長となった二階堂。20年以上育児メディアの中心にいた二階堂は、子どもを持ちたいと思い続けながらも、その願いが叶うことはありませんでした。自身の経験から強く思うのは「産みたい人が当たり前に産める社会になってほしい」。離婚、再婚を経て、40代で不妊治療を始めるまでの背景を取材しました。
奇跡にかけて期限付きの不妊治療に挑む
――二階堂編集長は再婚した46歳で不妊治療を決意します。どんな思いでスタートしましたか?
「さすがにこの年齢で妊娠することは難しいと理解していました。だけど、以前のように何もしないまま、ラストチャンスを逃したくない。『万が一の可能性があるならかけてみたい』と夫と話し合い、1年間の期限つきで不妊治療に挑戦することを決めたんです。少しでも早い方がいいので、再婚して1か月後には専門医を訪ねました」(二階堂)
不妊治療にはステップがあり、排卵日を予測して性交を行う「タイミング法」、濃縮された精液を子宮に注入する「人工授精」、体外で受精した受精卵を培養し、子宮に戻す生殖補助医療の「体外受精」「顕微授精」※と段階を踏んでおこなわれることが多い。
※体外受精は、培養液の中で卵子と精子が自然に受精するのを待つ方法で、顕微授精は、卵子に針を使って精子を注入して受精させる方法という違いがあります。
――二階堂編集長はもっとも確実性の高い「顕微授精」から治療を始めたそうですね。
「私には時間的な余裕はもうなかったので、最終ステップの一択です。一刻でも早く顕微授精を試みたいところでしたが、まずは採卵から。しかし、卵子はいつでも自由に採れるというわけではありません。卵子はある程度育たないと受精できないので、排卵日が来る前まで卵胞が成熟するのを待つ必要があるんですね※。
そのため、週に1~2回は病院に通い、卵子の育ち具合や子宮内膜の厚さをモニタリングしてもらい、状況に合わせてホルモン剤などを服用。採卵のタイミングを計っていました」(二階堂)
※卵胞とは、卵細胞とそのまわりの細胞の集団で、成熟するにつれ卵胞膜が大きくなり、水の入った袋のようになり、その中に卵子があります。また卵胞は半年くらい前から複数育ちはじめ、3ヶ月前ぐらいから卵胞刺激ホルモンの命令により育ちます。そのなかで大きくなった1個の卵子が卵胞を破り、卵巣から飛び出します。これが排卵です。なお、同時に、卵子が受精して受精卵となった場合に備えて、受精卵が着床しやすいように子宮内膜は厚くなります。不妊治療では、卵胞の発育を促し、採卵後は子宮内膜を厚く整えるためのホルモン剤が投与されることがあります。
実は、クリニックの方針で、不妊治療の方法は大きく異なる
「私の通っていたクリニックでは、卵巣の中で卵胞をなるべくたくさん育てて、1回の採卵で受精可能な卵子をすべて採取しましょう、という方針でした。クリニックによっては母体の負担を考えて1回の採卵数が少ないところもありますが、時間のない私には1回でなるべく多くの卵子を採取するこの治療方法しかないな、と思っていました。
余分に採取した卵子は凍結し、着床がうまくいかなかったときに次の治療に回すことができますし、少しでも若い卵子を使用できる、というメリットもありますね。
主治医によると年齢と共に卵子はどんどん老いていき、妊娠力も低下するとのことでした。子どもが欲しいという思いがあったのならば、妊娠時期を遅らせるにしても、20代や30代の若いうちに卵子凍結だけでもしておけばよかった※。今は、そこも後悔しています」(二階堂)
※健康な女性による将来のための卵子凍結は、日本産婦人科学会では「推奨していない」、日本生殖医学会は「40歳以上での採卵・凍結、45歳以上での凍結卵子の使用は推奨していない」としています。
日本生殖医学会のデータによると、ART(体外受精・顕微授精)の妊娠率・出産率は35歳から急低下することがわかります。ただし若い人から卵子を提供された場合は、妊娠率は一定で加齢の影響を受けていません。このことから、卵子の老化が妊娠率を低下させると考えられています。
※参考:日本生殖医学会「ART妊娠率・生産率・流産率」
妊娠できたら奇跡、とわかっていても結果を聞いて涙
――不妊治療はどのように進みましたか?
「1回目の治療では3個の卵子を採取することができました。採卵数も加齢の影響があり、若い人の方が多く採れるといいます。ところが皮肉にも、妊娠するためには高齢の人ほどたくさんの卵子が必要なんですよね」
卵子のもととなる卵母細胞は、生まれる前から作られていて、胎児のときに約700万個とピークを迎えます。その後急激に減り、思春期には約20~30万個となり、1000個以下になると閉経となります。
※出典:Human+(日本産婦人科学会監修)
「主治医と相談し、少しでも妊娠の可能性を上げるために、2個の受精卵を子宮に戻し、1個は凍結保存することにしました。無事に着床すれば、妊娠、ということになります。
主治医からは、2個の受精卵を使うため双子を妊娠する可能性があります。でも年齢的にその確率は低いでしょう、と。産めるのであれば、私は双子でもまったく問題なかったんですけどね。
無事に着床し、その後育ったかどうかが判明するのは、子宮に受精卵を戻してからおよそ10日後。病院からの帰り道は気持ちが高揚していて、赤ちゃんを授かることができるかもしれないと、かなり前向きになっていました。けれど数日後に出血が……。
ただ、着床の時も出血することがあるので、『大丈夫、これはきっと着床出血だから』と無理やり思い込んだものの、10日後の妊娠判定の結果、妊娠はしていませんでした。
2回目は、凍結しておいた受精卵を子宮に戻しましたが、こちらも妊娠に至らず。その後、再度採卵を試みたのですが、そのときは卵胞がなかなか成熟せず、採卵するまでに長く時間がかかりました。それでもようやく2個の卵子を採ることができて受精卵を戻したのですが、この3回目の治療でも、妊娠は叶いませんでした。
そして、この3回の治療の間に、私も47歳に。予定していた通り、不妊治療を終了しました。
これまでも親に子どもがいないことを指摘されたことは何度かあり、当時は何を言われてもあまり気にならなかったんですね。でも、不妊治療中に言われた『子どものいない人生は寂しいわよ』という実母の言葉はかなりこたえました。母にとっては不妊治療を頑張っている私へのエールだったかなと思うのですが、『子どものいない人生』が現実味を帯びてくると、その言葉の重さが、ずしんとのしかかってくるようでした。
クリニックでも、泣きながら診療室を出てくる人の姿をよく見ました。私は高齢での治療だったので冷静に受け止めようとは思っていましたが、結果を聞くたびにやっぱり涙が出るんですよね……。とくに3回目の結果を聞いたときは、もう本当に赤ちゃんは産めないんだと、最後の希望の光が潰えたことに、涙が止まりませんでした」(二階堂)
<第3回に続く>
医療監修/医療法人浅田レディースクリニック 理事長 浅田義正先生
取材・文/来布十和