川崎希さんは元アイドルで、AKB48グループに所属していたことでも知られていますが、昨年の10月に第二子となる女の子が誕生し、現在は2児のママとしてお子さんの育児に奮闘中です。また、その一方でご自身のアパレルブランドの経営をおこなっていて、最近では子育てママさんのために考案したマザーズリュックがSNSでも「高機能!」「使える!」など話題になっています。
そんな育児も仕事も充実しているイメージの川崎希さんですが、実は不妊治療で苦労したり、昨年の出産はコロナ禍の出産だったので、戸惑ったりすることも多かったようです。今回は川崎さんの不妊治療の体験談を中心に、不妊治療で悩んだことやつらい時期をどのように乗り越えたのか……などを取材させていただきました。
きょうだいが欲しいという思いから不妊治療をスタート
ー2020年8月20日にオフィシャルブログで娘さんの妊娠を報告されていましたが、その時に「出産してからずっときょうだいができたらいいな〜と思っていた」と書いてあったのですが、きょうだいが欲しいと思ったのはどうしてでしょうか?
川崎さん:私がひとりっ子だったので、小さいときからきょうだいがいるのはいいな〜と思っていたからです。
ー息子さんを出産後、タイミングを見て妊活をされていたのですか?
川崎さん:息子を出産してすぐに次の子の妊娠を考えていたので、出産したその日に次の妊娠はいつから可能かお医者さんに聞いたりしていました。そして出産後、半年くらいしてから妊活のための通院をスタートしました。
ー川崎さんの場合、第1子も不妊治療で授かったとのことですが、それまでにかかった期間は約4年、第2子についても体外受精で授かったとのことを伺いました。第2子のお子さんを妊娠するまで、不妊治療はどれくらいの期間だったのでしょうか?
川崎さん:長男を出産して半年くらいで妊活をはじめたので、約2年半くらいだったとは思います。でも2年半ずっと通院をしてるわけではなく、気分転換のために通院せずに休む月もありました。
ー今回は体外受精を迷わず選択されたとのことですが、その理由を教えてください。
川崎さん:自然でできたらいいなとは思ったのですが、やはり妊娠できる期限が限られてる中で、ステップとしてはタイミング法や人工授精もありますが、以前に人工授精などを何回しても妊娠したことがなかったので……。自分の体質では、1番妊娠への近道が体外受精だったと長男の妊娠のときに思ったので、妊娠の可能性か高い体外受精にしました。
「まだ見ぬわが子に会いたい!」その一心で乗り越えた治療
ー実際、不妊治療中の期間は苦しかったり、つらかったりすることも多かったと思います。川崎さんが一番つらいと思ったことはなんでしたか?
川崎さん:仕事との両立が大変でした。治療はあまり先のスケジュールまでわからず、ホルモンの数値を見て急にスケジュールが変更になることもあるので、仕事のスケジュールがあると調整が大変でした。あとは採血が多いので注射が苦手な私は毎回気合いを入れて通院していました。
ーそういったつらいことは、どのようにして乗り換えたのでしょうか?
川崎さん:子どもに会うことだけを考えると、治療などなんてことない! と思えて頑張れました。
ー不妊治療中、パパはどのように接してくれていましたか?
川崎さん:長女を妊娠するための治療中は長男をみていてくれたり、すごく協力的で助かりました。治療の内容などあまり詳しく説明したりはしませんでしたが、体調を気遣ってくれるなど、やさしくしてくれていました。
ー不妊治療中が保険適用化される話が出てきていますが、川崎さんはそのことについて賛成ですか?反対ですか?
川崎さん:私は賛成です。
ーその理由を教えてください。
川崎さん:不妊治療はすごく高額なので、金銭的な理由でできない方や数回でやめてしまう方もいると思いますし、私は20代から通院していましたが、体外受精は特に1回あたり50万近くする病院が多いです。そのため、かなり経済的な負担があると思います。国が少子化対策と言っていても、自然妊娠がなかなかできない方は通院するほうがいいと思うのに、今までなんで保険適用外なんだろうと思っていました。妊娠は年齢が低いときから通い始めれば年齢的に妊娠の可能性は上がるのに、若年層ほど貯蓄がないために先延ばしにしてしまうこともあると思うので、保険適用はいいことだと思います。
さて、次回は川崎さんが妊娠生活を送る上で感じた不安や、出産時に大変だったことなど、コロナ禍の妊娠・出産をテーマにインタビューさせていただきました! また、コロナ禍の妊娠・出産以外にも、子どもがいる生活についてや、子どもが生まれて変化した夫婦関係についても取材しています。次回もぜひお楽しみください!
PROFILE:川崎希さん
1987年8月23日生まれの神奈川県出身。タレント活動をおこなうほか、自身のアパレルブランド(株式会社アンティミンス)を経営し、その代表取締役を務めている。