私は小学校のときに両親を事故で亡くし、10歳上の兄が育ててくれました。
恩人である兄との悲しい別れ
12年前、私が仕事をしていると、警察から電話が。なんと兄夫婦が事故に遭ったとのこと。急いで病院に駆けつけるも、もう2人は息を引き取ったあとでした。
私は、親代わりになって育ててくれた兄に感謝の気持ちを持ちながらも、迷惑をかけずに独立した姿を見せたいと、彼との距離を保っていたのです。もっと話すべきだった、会うべきだったと後悔の念にかられたのですが、それはもう叶いません。
気持ちの整理がつかないまま、私が喪主となり葬儀をすることになりました。
双子の姪っ子を引き取り、家族に
2日後の葬儀のとき、兄の双子の娘(3歳)の行く末について、親戚たちは話し合っていました。誰も彼女たちを引き取りたがらず、施設への入所が提案されていたのです。2人は部屋の隅で泣きながら立っています。
彼女たちは兄夫婦の生きた証であり、大切な姪っ子。兄から受けた恩を返す番だと、私は2人を引き取ることを決め、大事に育てようと心に誓いました。
2人と一緒に暮らし始めること数カ月。2人は夜になると寂しさから少し泣くこともありますが、保育園では元気に過ごしてくれています。
保育園の先生・A美は、彼女たちの心の支えになって、2人の様子を見に家に来てくれることもありました。A美の存在は1人で子育てを始めた私にとっても癒しの存在でした。
数年後、2人が小学生になったとき、私はA美に「俺と付き合ってくれますか?」と告白。A美は喜んで受け入れ、私たちは恋人となりました。
2人の娘が望んだのは、育ての父の幸せ
数年後の2人の中学入学式前日、ハレの日だというのになぜか2人はご機嫌斜め。理由を聞いてみたところ、「入学式にママも来て欲しい……」とのこと。そして2人はA美に、「本当のママになって!」と頼んだのです。2人は私に、自分自身の幸せを考えてほしいと懇願しました。
驚いた私は、実は入学式が終わったらA美にプロポーズするつもりで、指輪を既に用意していたことを打ち明けました。そしてA美にプロポーズ! A美も家族の一員になってくれることに。これからも娘たち、そしてA美と一緒に幸せな日々を送ります。
幸せいっぱいの新生活~手作りのスタイと共に~
その後、小さな教会で4人だけの結婚式を挙げました。式のあと、娘たちは私たちにお祝いの言葉をくれ、かわいらしい手作りのスタイをプレゼントしてくれました。実は2人とも、弟や妹を待ち望んでいたのです。
その後A美はすぐに妊娠し、娘たちは近々お姉ちゃんになる予定。これからは家族も増え、新しい生活をスタートさせます。父母や兄との別れによって苦労を重ねましたが、今では幸せいっぱい。きっと、天国の兄夫婦も見守ってくれていることでしょう。
【取材時期:2024年8月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。