自転車事故で始まった父の介護生活
私の父が要介護者となったきっかけは、仕事帰りに遭った自転車との接触事故でした。青信号で道路を横断中、携帯電話を操作していた20代男性の自転車が父の存在に気がつかずに突っ込んできたのです。
接触と道路に倒れたときの衝撃で、足に全治3週間のけがを負った父。けがは完治したのですが、自宅療養中に主治医から言い渡されていた歩行のリハビリを怠ったため、自力での立ち上がりや歩行ができなくなりました。
早くに母を亡くした父はずっと1人暮らしをしていましたが、日常生活が困難になったため唯一の家族である私が共同生活することになったのです。
思い通りにならない悔しさから八つ当たり
介護が必要になった父との共同生活で大変だったのは、立ち上がり介助です。父は若いころに柔道を習っていたこともあり、60歳を超えても身長182cm、体重90kgの大柄体形でひとりで支えるだけでもひと苦労です。
おむつの着用を頑なに拒否していたため、トイレのたびに立ち会いでサポートが必要になります。最初は素直に私のサポートを受けていましたが、思い通りにならないことにストレスを感じ、支えるたびに怒りをぶつけてくるようになりました。いつも通りのやり方でサポートをしても難癖を付けたり、ときには暴力をふるってくることもありました。
父のイライラの真意と最後の言葉
起きている間は終始不機嫌、介助以外でも私がやることすべてに文句を付けるようになり私の精神は徐々に疲弊していきました。介助を必要としている人に対してやってはいけないことだとわかっていても、我慢ができずに暴言を吐いてしまったこともあります。
毎日の衝突で父とは溝ができてしまい、次第に口を利くこともなくなりました。父は介護生活から10年後に他界することになりましたが、最後は私に「苦労をかけさせてごめんな、支えてくれてありがとう」と伝え、息を引き取りました。
この言葉を聞いたとき、身勝手な自分の行動を激しく後悔しました。理不尽な事故で生きがいの仕事や自由な生活を失った悔しさを理解してあげれば、もっとやさしく接することができたと今でも悔やんでいます。
まとめ
現在、私は介護の仕事に就いています。IT業界で働いていた私にとって未知の世界でしたが、父の介護を経験したこともあってすぐに慣れることができました。父の介護での過ちを繰り返さないように、相手の気持ちに寄り添って1人でも多くの人の支えになりたいと思います。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
文/大沢 康夫
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