長い年月をかけて判明したPTSD
PTSDについてはメディアを通じて知っていましたが、自分自身がそうだとは気付きませんでした。今でも戸惑うことは多いものの、一歩ずつ前に進もうとしています。
私の最も古い記憶は、父から心ない扱いを受ける母の姿です。現代であれば即座に周囲が中に入ることが必要とされるような状況でした。母は抵抗することなくそれを受け入れ、私はその光景を幼いときから見続けてきました。医師からは、それが私のPTSDの主な要因だろうと説明を受けました。私自身へは、心無い言葉や無関心など、子どもへの不適切な対応は続いていました。
周囲の目を気にして離婚しなかった母
高校生になると、父の理不尽な言動に対して声を上げ、母を守るようになりました。母は若くして結婚し、程なくして父への愛情を失っていたそうです。「父親がいない子」という周囲の目を気にして離婚をちゅうちょしたと語っていますが、今振り返ると、その選択が私たち家族にとって最善だったのかはわかりません。
解放後に襲いかかった恐怖の日々
私の助言もあり、母は最終的に離婚を決意しました。皮肉にもそのときから、私のPTSD症状が出始めました。父が近くにいるだけで動悸や息苦しさ、吐き気を感じるようになり、次第に症状は深刻化していきました。
離婚が成立した後も、年月が経過するごとにどんどん症状が悪化。最初は男性の大きな声への怖さから始まり、やがて性別を問わず人の声におびえるようになりました。外の人の話し声を聞くだけでも不安を感じ、ベランダにさえ出られなくなりました。外出時は家族の同伴があれば何とか過ごせますが、時として身近な存在にも怖さを感じることがあります。
さらに症状は進行し、カーテンを少し開けることにも怖さを感じるようになりました。ささいな叱責に対して過剰に反応し、パニック症状に襲われます。相手に怒りの意図がなくても、怒っているように感じてしまい、怖さで心が満たされてしまいます。また、ふとした瞬間につらい記憶が思い出され、息苦しさを感じることもあります。
現在は専門家の助けを借りながら、PTSDの原因と向き合う方法を学んでいます。治療を始めたことで、わずかながら希望が見えてきました。回復には時間がかかるかもしれませんが、これが私の新しい一歩です。ゆっくりと、でも着実に、本来の自分を取り戻していきたいと思います。
心理療法で前を向けるように
治療を始める決心がつくまでに時間はかかりましたが、専門家による心理療法を受け始めてから、少しずつ前を向けるようになりました。道のりは長いかもしれませんが、一歩一歩、自分のペースで進んでいこうと思います。毎日の小さな進歩を大切にしながら、自分らしい生活を取り戻していきたいと考えています。
まとめ
PTSDと診断されてから、私の人生は新しい段階に入りました。症状との闘いは続いていますが、専門家のサポートを得て、少しずつ回復への道を歩んでいます。この経験を通じて学んだことは、自分のペースを大切にしながら、希望を持ち続けることの大切さです。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
著者:海山りつ子/40代女性・パート
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2025年1月)
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