私はここ数年、お金に関する勉強をしてきたので、貯蓄や運用について少しは知識があります。しかし、夫は専業主婦である私を見下し、「稼ぎゼロのお前が偉そうに俺に金の話をするな」と言います。
定年まで真面目に働いてきた自分には、安泰な将来があると言い、「お前は俺に捨てられたら終わりだ。長く養ってもらいたかったら口うるさいことは言わないことだ」なんて言われました。私は夫を心配しているだけなのに……。
青天のへきれき
そして、いよいよ定年を迎えた夫。
「定年まで勤め上げた! 俺の役目は今日で終わりだ!」
「第二の人生は好きにさせてくれ! ということで離婚してくれ」
思いがけない言葉をかけられました。長く養ってもらいたかったらなんてことを言っていたのに、きっと定年したら離婚しようと考えていたのでしょう。
「お世話になりました」
はじめは冗談かとも思いましたが、夫は本気のようだったので、私は離婚を受け入れることに。
「え? それだけ?」
あまりにあっさり離婚を受け入れた私に驚いていましたが、夫は第二の人生について語り出しました。
後悔なく生きようと思った結果、第二の人生は独身に戻って若い女性と出会い、最後の恋愛を楽しんで、看取ってもらうことにしたと言います。私のような専業主婦を養い続けるメリットは無い、無職のババアと暮らして何が楽しいのだと暴言まで。
30年以上、私は文句を言わず夫を支えてきたというのに……許せません。さらに夫は「すぐに出ていけ。それができないなら宿泊代を支払え」と言い、薄ら笑いを浮かべながら「しなびた漬物のようなみすぼらしい女を隣に置いておくのは恥ずかしくて耐えられない」と嫌みを放ってきました。
夫の大誤算
その後、私たちは弁護士を雇い、きちんと財産分与をすることに。退職金もきっちり半分いただきます。結婚後に得た財産は折半するものなので、私にももらう権利はあるのです。貯金と退職金を合わせると、それなりの額を受け取れることになりました。
予想していたよりも私に大金を渡すことになり、夫は困惑。「俺が稼いだ金だ。なんでそんなにこいつに恵んでやる必要があるんだ」と納得いかない様子の夫でしたが、弁護士からの説明にしぶしぶ納得し、私たちの離婚は無事に成立。
今後一切、夫を頼らないという約束をして「長い間お世話になりました。さようなら」と告げ、夫と別れた私。
しかし、離婚から2年ほどが経ったころ突然、元夫から連絡が入りました。娘から、私がマンションを買って悠々自適に暮らしていると聞いたようなのです。元夫から分与されたお金だけでは私が自由に暮らしていけるはずがないと思い、何をしたのかと尋ねてきました。
元夫は、貯金も退職金も無駄に浪費してしまっていたようですが、私はただ浪費せず運用していただけ。そのことを教えてあげました。元夫は、専業主婦だった私にそんな知識があるわけがなく、成功するはずもないとまったく信じませんでしたが、私は長年デモトレードをして勉強してきていたのです。
もちろん、投資にはリスクがつきもの。長年の勉強をしていても資産を失っていた可能性もありましたが、幸いにも、私の場合は市場の動向が味方してくれたのです。そのおかげで今は、中古ですがマンションも買うことができて、生活費の心配なく暮らせています。
何で教えてくれなかったのだと言ってきましたが、今まで私をバカにして、まったく聞く耳を持たなかったのは元夫。そもそも、退職金をもらったら離婚を突きつけてくるような人です。離婚後に私がどれだけ大金を手にしようと、言うわけがありません。
あわれな貧乏高齢者に…
元夫が私に連絡してきた目的は、言うまでもなくお金の無心です。元夫は私と離婚後、第二の人生のパートナーを見つけるため若い彼女を探し、詐欺まがいの被害に遭ってしまったそう。
娘から聞いたのですが、複数人の若くてきれいな女性に退職金も貯金も貢ぎまくっていたのです。今は再雇用で働いていますが、お金がなくなり、少ない給料では女性たちを満足させることができず、あやしいところからお金を借りてしまったとか。
自分の生活のすべてを今までずっと私に任せてきたので、何にどれほどのお金がかかるかもわからずやりくりに失敗。もう私に泣きつくしか方法がないようでした。
もちろん、復縁なんて考える余地もありませんし、今まで散々虐げられてきたのです。生活費を援助してあげる気もありません。元夫と離れて私はようやく自由な生活を手に入れたのです。私の第二の人生に元夫は不要です。
元夫はお金だけでも貸してほしいと言ってきましたが、何を言っているのでしょう。離婚した後、私には困っても自分を頼らないと約束させたのに、自分はこうも堂々と……。離婚直後は雀の涙ほどの情は残っていましたが、今はもうわずかな情さえも残っていません。
その後も元夫からは、何度かSOSの連絡がきましたが、今は連絡先をブロックして完全に縁を切りました。人生はまだまだこれから。元夫のことなど考えず、最期にやり切ったと思えるよう、私は私の残りの人生を自由に楽しんでいこうと思っています。
◇ ◇ ◇
誰かの貢献を無価値だと切り捨てたとき、本当に価値を失うのは自分自身なのかもしれません。目に見えるものだけで相手を判断し、その陰にある努力を侮った結果、元夫が送ることになったのは想像とは真逆の第二の人生でした。目先の欲望ではなく、長年築いた信頼こそが、豊かな老後を送るための本当の財産となるのでしょう。
【取材時期:2025年6月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。