「けが、大丈夫か……? うわぁ、すごい格好だな……」いまの私の状態はひどいものでした。右足は吊られているし、腕も包帯でぐるぐる巻きにされています。でも、何もわざわざ口に出さなくたっていいのに……。
自己で入院した妻と空気の読めない夫
「退院までは少しかかりそうだし、家のこともあるから両親に少し手伝ってもらおうかと思って」と続けた夫に、私はびっくり。まさか、義両親がこちらに来ているなんて思ってもいなかったのです。
「お前が事故に遭ったって話をしたら、2人とも心配してたよ。それで、しばらく家事とかを手伝ってほしいって頼んだら、それなら、しばらく一緒に住むのもありかもって話になって……」「実家も古くなって建て替えを考えていたみたいだし……これを機にきれいな新築に住めてうれしいって喜んでた」
「ちょ……ちょっと待ってよ! 私が入院している間手伝ってもらうだけじゃないの? このまま同居するみたいな話になってない?」と私が聞くと、「そうだけど? お前が退院したら、4人で楽しく暮らそうな!」とにこにこと話す夫。
胸の奥が冷たくなりました。私は、まだ自分のけがに向き合うことで精一杯なのに……。なのに、この人はもう「4人での生活」を始める準備をしているのです。
前から相談もなしにいろいろ夫が勝手に決めてくることはありましたが……それでも、こんな大変なときに、無断で同居を決めるなんて……。信じられませんでした。
「親父も定年を迎えたばっかりだし、タイミング的にもちょうどよかったよ」「退院後に俺の両親がいたら、お前も心強いだろ?」と夫は言ってきましたが、私にはまるで事故に遭ったタイミングがいいと言われているように聞こえました。
「俺、お前がいないと何もできなかったけど、父さんと母さんがいるんだ、安心だろ? こっちは気にせず、治療に専念しろよ」「退院は焦らなくていいけどさ……母さんの料理、ちょっと味が濃くてな。やっぱりお前のごはんが一番落ち着くよ」
勝手に話を進める夫に、私はイライラしていました。夫は気遣いや励ましのつもりで言っているのかもしれませんが、まったく逆効果です。
「退院後は母さんたちと一緒に暮らすからな!」
「みんなでお前の退院を楽しみにしてるぞ」
「ごめん、もう帰れないかも…」
「え?」
驚いた夫を、私は「ごめん……今日は帰ってくれる? いろいろなことがありすぎて、冷静になる時間が必要みたい」と言って病室から追い出したのでした。
心配しているふりをして不謹慎なことを尋ねてきた義母
翌日――。
義母から数件の着信が。看護師さんに車椅子で電話OKなところまで運んでもらい、私は義母へ折り返しの電話をかけました。
「大変だったわね~。でも、私たちが来たからには安心よ! 息子のことは任せてちょうだいね」と義母。「ありがとうございます」とお礼を言って、「ところで、どうして電話を……?」と義母に尋ねました。
義母は声をひそめて「あなた……『もう帰れないかもしれない』って息子に言ったそうじゃない……もしかして命にかかわるの? 念のため、保険やその手続き関連、どうなってるのか教えてくれないかしら」と義母。
夫は私の「もう帰れない」という言葉をそのまま義両親に伝えたようです。私はただ、義両親と同居する家に帰りたくない……と思って言っただけだったのですが……。
「生命保険には入っていますが……掛け捨てなので、そこまで高額ではないですよ?」と正直に答えると、「あとから内容の見直しってできるのかしら? 念のため、って話よ」と言ってきた義母。その言い方は、まるで私がこのまま亡くなるかもしれないと決めつけているようで、背筋にゾクリと冷たいものが走りました。
一体、いつからこんなふうになってしまったんだろう。事故に遭ったのは私なのに、なぜか私がいなくなることを前提に、周りが“その後”の準備を始めている。そんな現実に気づいたとき、心の底から寒気がこみ上げました。
「でも、ここまで話せるなら、しばらくは大丈夫そうね。声を聞けて安心したわ」「お仕事もお休みしてるんでしょう? 時間はあるだろうから、保険について調べてみてくれない?」とやけにやさしい声色で言ってきた義母。義母とはある程度良好な関係を保っていたと思っていたのですが、私は完全に義母を信じられなくなっていました。
「体調がもう少し安定したら、改めて確認してみますね」と言って、私は電話を切りました。
そのまま、私は夫に電話をかけました。
「お義母さんから聞いたけど……あなた、なにを勘違いしているの? 私がまるでもうすぐ亡くなるって……そんなこと、一言も言っていないでしょう」と言うと、「はぁ? お前、言ってたじゃないか……『もう家には帰れないかも』って」と沈んだトーンで言ってきた夫。
「……家のスペースがけっこうギリギリでさ、荷物の整理とか、少しずつ進めてもいいかなって思って」「いろいろ整理しといたほうがいいよな……お前のものも、使う予定ないなら処分していいか?」と夫に言われ、私は言葉を失いました。まるで私がもう二度と家に戻らないことが決まっているかのように、当然のように話を進めるなんて……!
頭では理解しようとしても、気持ちがまったく追いつきませんでした。事故で心も体も弱っているなか、夫の言葉はまるで他人事のように冷たく響いて――私は、ただひたすら混乱していました。
事故で弱っている私の気持ちを考えもせず、勝手に物事を進める夫と義両親。その姿を見て、この人たちとは一緒に暮らすのは無理だと、心の底から思ったのです。
夫と義両親の勘違いを逆手に取った妻
翌日――。
「なあ、ポストに……お前が書いた離婚届が入ってたんだけど、これ本気か? お前か? お前がやったのか!?」と電話をかけてきた夫。
「そうよ、ちょうど友だちがお見舞いに来てくれるって言ってたから、役所から離婚届を持ってきてもらったの。その友だちが帰りに家のポストに入れてくれたのよ」と淡々と答えた私。
「勝手に同居を決めたうえに、私がもうすぐ亡くなるとまで勘違いして……挙句に保険金の話なんて。不謹慎すぎてあきれたわ。そんな人たちとは暮らせないから、離婚します」
「そ、それは……謝る! 謝るから! ただの勘違いだったんだよ、許してくれよ……」と言ってきた夫。
「そもそも、その家のローンは私名義で組んだの、覚えてないの? 離婚手続きのなかできちんと財産分与について整理したいから、とりあえず出ていく方向で準備しておいてくれる?」と言うと、「あ……」とようやく夫は思い出したようでした。
夫は私に黙って車をローンで買っていたので、住宅ローンには通らなかったのです。当時住んでいたアパートからずいぶんと遠い駐車場を契約して、その車を隠していた徹底ぶり。あのときにも「何事もちゃんと相談する」って約束してくれたはずなのに……夫は勝手に義両親との同居を決めたのです。
「あらためて言うけど、あなたたちとはもう一緒に暮らせない。今後は弁護士さんを通じてやり取りするから、そのつもりでいてね。じゃあ、さようなら」と言って、私は電話を切りました。心なしか、昨日よりも傷跡が痛むような気がしました。
その後――。
私は事情を看護師さんたちに話し、面会制限をかけてもらいました。夫や義両親は何度か病院を訪ねてきたようですが、一切顔を合わせることはありませんでした。
私は父の知り合いの弁護士さんを頼り、入院中に離婚手続きを進めました。財産分与で新築のあの家は私のものになることに。元夫たちは出ていくことになり、だいぶガタが来ている実家に舞い戻ることになったようでした。
私は私なりに、元夫とうまくやっているつもりでした。でも事故に遭ってからは、元夫にとって私はなんだったんだろう……という気持ちが膨れ上がっていました。相思相愛で結婚したはずだったのに、どうしてうまくいかなかったんだろうという思いは今でもあります。
今、私は毎日リハビリ室に通い、少しでも早く社会復帰できるように頑張っています。完全回復まではまだまだ時間がかかりそうですが、体の傷と心の傷を同時に癒していきたいと思っています。
【取材時期:2025年5月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。