ある日、義母が倒れて緊急搬送されました。幸い命に別条はないものの、足を骨折したとのこと。また、わずかに認知症の疑いもあると言われてしまいました。
これまで通りの生活は難しいでしょう。みんなで義母をサポートしていかなければ……と思っていたところで、義姉が口を開きました。
「お義母さんの介護、お願いね! プロに任せられるなんて最高だわ~♡」
早々に訪れたワンオペ介護の限界
義姉の言葉に耳を疑いました。たしかに私は介護職ですが、フルタイムで働いています。しかも義母宅は片道1時間以上。とても毎日「ワンオペ介護」ができる状況ではありません。
「1人では到底無理!」と伝えると「私も忙しいし。やっぱり、信頼できる人にお義母さんのことを任せたいじゃない?」と義姉は涼しい顔で言いました。義姉は専業主婦で、義母宅まで自転車で10分。どう考えても分担が妥当なのに……。
しかし私は、責任感から、結局介護を引き受けてしまいました。
その後、私はフルタイム勤務を続けながら、出勤前と退勤後に義母宅へ通いました。食事の準備、着替えの介助、服薬管理、入浴のサポートまで、ほとんどの介護をひとりで担っていたのです。
しかし、やはり体力の限界はすぐに訪れました。これ以上はひとりでは無理だと感じ、義姉に「週に1回の病院の付き添いだけでもお願いできませんか?」と頼んだのです。
しかし、義姉は、「ここだけの話、実は私、インフルエンサーをしていて忙しいの。PR案件もあるから気は抜けないし、イメージも大事でしょ? だから、私には難しいかな」と言います。
ITに疎い私は、インフルエンサーがどのような仕事をしているかはわかりませんでした。だから、そういうものなのか……とその場は納得するしかなかったのです。
義姉の正体
その数時間後、珍しく義兄から「いつも母の介護をありがとうね」と電話がありました。ようやく繁忙期が終わり、しばらくの間義母の介護を分担しようと言う申し出です。
限界を迎えていた私は、義兄の気持ちが嬉しく、思わず涙を流しました。
私が泣いていることに気付いた義兄は「え、大丈夫? どうしたの?」と慌てた様子。私が1人で限界を感じていたので申し出が有り難かったのだと説明すると、義兄は不思議そうに言いました。
「え? うちの妻と君とで分担してるんでしょ?」なんと義姉は、私と介護を分担していると嘘をつき、日々出掛けているというではありませんか。
インフルエンサーのことを聞いてみると、義兄は「たしかにインフルエンサー気取りで画像とか動画とか作ってるけど、フォロワーは200人いないくらいだぞ? PR案件なんて来たこともないはず……趣味レベルだよ」と笑いました。
私は呆然としつつも、滑稽さに思わず笑ってしまいました。あれほど堂々と「忙しい」と言い張っていた義姉の虚勢が、一瞬で崩れ去ったのです。
義姉の変化
その後、義兄は「俺たち長男夫婦が母さんと同居する」と決断。義姉は顔を真っ青にし「同居なんて無理!」と叫びましたが、義兄は譲りません。こうして義姉は望まぬ“同居介護”を始めることになったのです。
しかし、義姉はわずか1週間で泣きついてきました。「もう無理! 3食作って掃除して、お義母さんのお世話の繰り返し……。私、インフルエンサーなのに! こんな生活、フォロワーに見せられない!」
その言葉に、私は冷ややかに返しました。「フォロワー200人もいないアカウントのことですか?」一瞬、電話口がシンと静まり返りました。
「そ、それは……」と言葉に詰まる義姉。普段は虚勢を張っていた彼女が、真実を突きつけられて恥をかく姿に、私は胸のつかえがすっと下りていきました。
その後、義姉は少しずつ変わっていきました。「今まで押しつけてごめんなさい」と謝り、今では介護の勉強を始めたのだとか。
そして私も義姉夫婦だけが負担にならないように、義母の介護を分担しています。みんなで協力して介護ができている今、家族が一番バランスよく回っている気がします。
大切なのは誰かひとりに寄りかかることではなく、支え合うことだと実感したのでした。
【取材時期:2025年7月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。