15年間の献身と理不尽な宣告
高校卒業後、僕は父の経営する製作所で、営業から製造管理、経理まで幅広く担当してきました。社員が安心して働けるように調整をしたり、取引先との信頼関係を築いたり。小さな会社だからこそ、一人が担う責任は大きく、まさに身を粉にして働いてきたのです。
しかし、社長である父と母にとって、僕の仕事は「雑用」でしかありませんでした。
「お前は現場仕事がお似合いだ。言われたことだけやっていればいい」
「都会の大企業で働く弟のほうが、よっぽど優秀よ」
給料は雀の涙、感謝の言葉一つない日々。それでも、いつかは認めてもらえると信じていました。しかし、その期待は最悪の形で裏切られます。ある日、両親に呼び出された僕は、こう告げられたのです。
「この会社は、次男に継がせることにした。大企業で揉まれたあいつの方が経営者の器がある。お前はこれまで通り、裏方で弟を支えるんだ」
15年間の努力が、ガラガラと崩れ落ちる音がしました。
即決の退職と両親の誤算
頭が真っ白になり、怒りで体が震えました。僕の15年間は、一体何だったのか。会社の実務をほとんど知らない弟に全てを譲り、自分はこれからも「雑用係」として搾取され続けろというのか。
父と母は、学歴のない僕は、それでも会社にしがみつくと信じて疑っていないようでした。しかし、その侮辱的な言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが吹っ切れました。
「分かりました。じゃあ、辞めます」
実は以前からライバル会社に声をかけてもらっており、その気になればいつでも転職することができたのです。
両親は驚愕していましたが、すぐに強気の姿勢に戻ります。
「そうか、好きにしろ!要領の悪いお前がいなくなれば、会社ももっと効率的になるわ!」と言い放ちました。
崩壊する会社と、僕が手にした本当の居場所
僕が去った会社は、すぐに混乱に陥りました。
取引先からは「前の担当者は意図を汲んでくれたのに」とクレームが殺到。製造ミスや納期遅延が相次ぎ、長年の顧客も次々と離れていきました。
さらに、母が「経費削減」と顧問契約を切った経理業務は回らなくなり、税務署の調査や銀行からの返済要請まで重なり、経営は完全に行き詰まったのです。
大企業で順風満帆にやってきた弟に、この泥沼をどうにかできるはずもありません。
結局、父の会社は倒産……両親は借金返済に追われることになりました。
一方の僕は、新しい会社で正当に評価され、やりがいを感じる毎日を送っています。家族という理由だけで搾取されてきた15年に終止符を打ち、ようやく自分の力を正しく生かせる場所に辿り着いたのです。
目に見える肩書きや数字だけではなく、日々の努力や積み重ねこそが本当の価値を生む。そう強く学びました。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。