ある日の午後、単身赴任中の夫から、私宛に1通の速達が届きました。封を開けた私の目に飛び込んできたのは、あまりにも非現実的な「離婚届」の3文字で……?
夫から突然届いた離婚届
何かの悪い冗談に違いない。そう思いながら、震える手で夫にメッセージを送りました。
「ねえ、さっき届いたこれ……離婚届って、どういうつもり? 説明してくれる?」
すると夫は悪びれる様子もなく、こう言ったのです。
「あ、もう届いたか! 早かったな〜。中身、見たんだろ? 俺の欄はもう全部記入済みだから、あとはお前のところな? ちゃちゃっと書いて出しといてくれよ!」
私は全身の血の気が引いていくのを感じました。夫を信じ、彼の留守宅と、決して簡単ではなかった義母の介護を1人で背負ってきた日々が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていくようでした。
「ちょっと待って、いきなり紙切れたった1枚送りつけてきて……離婚したい理由くらい聞かせてよ!」
すると夫は、「まぁまぁ、そう怒るなって」となだめるように返してきた後、私の人生を根底から覆す言葉を続けたのです。
「正直に言うとだな……。こっちで運命の人に出会っちゃってさ。俺の心にはもうその人しかいないんだわ。だから、お前とは終了ってことで!」
怒りを通り越して、虚しさがこみ上げてきました。これまで私たちが夫婦として積み重ねてきた時間を、夫がどれだけ軽く扱っていたのかを思い知ってしまったからです。
「運命の人ってなによ……。単身赴任先で真面目に働いてるって、ずっと信じてたのに……。まさか裏で浮気してたなんて、馬鹿にするのも大概にしてよ!」
私の言葉に夫は反省するどころか、「お前には感謝してるんだぞ? お前がいたから、本当に大事な人に気づけたんだ」と、信じられない言葉を平気で口にするのです。まるで私が、彼の新しい恋のための踏み台であったかのように。
「私が、あなたにとっての『大切な人』なんじゃないの? 結婚してるのに……。あなたが単身赴任してから、私はずっと気難しいお義母さんと2人きりで暮らしてきて、家事も介護も理不尽な要求も全部1人でやってきたのよ。自分の時間も、友人と会う約束も諦めて、あなたのことを支えたい一心で……」
例えば、私が作った料理をひと口食べては義母に「あら、薄いわね」と小声で呟かれたり、私が休みたいと伝えるとため息交じりに「仕方ないわね」と言われることが続いていたのです。義母からは感謝の言葉よりも“当然”という口調が増えていったのです。
私の必死の訴えも、夫にはまったく響きませんでした。挙句の果てには、「嫁なら同居も介護もやって当然だろ?」と、私のこれまでの献身を「当然の義務」として切り捨てたのです。夫の言葉は私の心を深くえぐりました。
義実家を出る決意
夫はその「運命の人」が若くてかわいく、さらに義母との同居も介護も「私に任せて」と引き受けてくれたのだと、幸せそうに語りました。
「運命の女性と一緒になるから、頼むから離婚してくれよ」
その言葉で、私の中で何かがぷつりと切れました。私は「本当に、いいのね……?」と夫に念押ししました。夫からは「おう!」との返信。それに続き、「じゃ、離婚届よろしくな!」と、まるでゴミ出しでも頼むかのような軽いメッセージが送られてきました。
その言葉を最後に、悲しみも怒りも通り越し、不思議なほどの静けさが心を支配したのです。
その日の夜――。
私は義母にも離婚することを伝えました。夫が若い彼女を連れて帰ってくること、そしてその彼女が介護も同居もしてくれると話すと、義母は顔色を変えたのです。
「へぇ……若い子ねぇ……。そういうことなら、まあ、歓迎してあげてもいいかしら。あんたより気が利いてマシかもしれないし、期待しちゃおうかしら」「そうね、あんたはとっとと出て行きなさい! これからは若い嫁に介護をしてもらうわ〜」
あまりに見事な手のひら返し。やっぱりこの人はこういう人だったんだ……と、私は隠れてため息をつきました。
うれしそうに私を追い出す義母を背に、私は荷物をまとめ、長年尽くしてきた義実家を後にしました。……もちろん、その前にやるべきことはすべて済ませたうえで。
私は弁護士に相談して作成した慰謝料や財産分与に関する離婚協議書を夫に送りつけ、「これを公正証書にしない限り、離婚届にはサインしない」と、きっぱり通告しておいたのです。
夫は一刻も早く彼女と一緒になりたかったらしく、渋々応じてくれました。記載したとおりの慰謝料と財産分与の全額が私の口座に振り込まれたのを確認してから、私は1人で役所へ向かいました。
自業自得の元夫と元義母の末路
2週間後――。
すべての法的手続きが完了したあとに、元夫から電話がかかってきました。彼の声は幸せの絶頂にいることを隠しきれていませんでした。
適当に相槌を打っていた私は電話を切る前に、最後に1つだけ、元夫が知らない、そして知らなければならない事実を、静かに告げました。
「新しい奥さんと、寝たきりのお義母さんと……3人でお幸せにね」
「……え? ちょ、ちょっと待て! 寝たきりって何? 母さんは……自分で歩けただろ?」と電話の向こうで、彼の声がうろたえました。
「昨年末に転んで大腿骨を骨折したの。リハビリも本人のやる気がなくて、もうほとんど寝たきり生活よ」「私はちゃんとすぐにあなたに伝えたわ。でも、あなたは『お前がいるから大丈夫だろ』と深刻に受け止めなかったじゃない。それに、お義母さんもあなたには見栄を張って『大丈夫よ』としか言わなかったみたいだし。あなたたちは、自分に都合のいい現実しか見てこなかったのよ」
単身赴任先で浮かれている間、私が義母の下の世話までしていた現実など、元夫は想像もしていなかったのです。
悲鳴を上げる元夫に、「新しい奥さんときちんとお世話してね。私はもう離婚した『元嫁』なんだから」と言い放ち、私は電話を切りました。
私の予言は的中しました。数日後には元義母から、その数週間後には憔悴しきった元夫から、泣きながら電話がかかってきたのです。若い彼女は、現実の過酷さにたったの3日で逃げ出したのだそう。
電話口で元夫は、「彼女が言うには、『トイレ』『お茶』と10分おきに呼びつけられ、食事を作れば『こんな薄味じゃ食べられない』と突き返され、夜中も安眠妨害されたって……。俺がつい、『元嫁はこれくらい普通にやってた』なんて言ったら、鬼のような形相で出ていってしまった」と、みっともなく泣きじゃくっていました。
「戻ってきてくれ」「慰謝料を少し返してくれ」と情けない懇願を繰り返す元夫に、私はきっぱりと「あなたたち親子に振り回されるのは、もうこりごりなの」と告げました。
そして私は、彼らの連絡先をすべて削除しました。私のささやかな反撃は、こうして終わりを告げたのです。
その後――。
共通の友人によると、新妻からは弁護士を通じて内容証明郵便が届き、あっという間に離婚調停になったそうです。彼女は「聞いていた話と違う、精神的苦痛を受けた」と主張し、元夫はさらに慰謝料まで支払う羽目になったとか。こうして彼は、正式な手続きを経て、晴れて「バツ2」になったというわけです。
今、こうして穏やかな日々を過ごしていると、元義家で必死に耐えていた自分のことが、まるで他人のことのように思えるときがあります。当時は「私が我慢すれば」「私が頑張れば」と、自分に言い聞かせることで必死に心を保っていましたが、今ならわかります。感謝も思いやりもない関係は、どんなに尽くしても、いつか必ず壊れてしまうのだと。
元夫や元義母にしたことは、少し意地悪だったかもしれません。でも、そうでもしなければ私はきっと、自分を犠牲にし続ける人生から抜け出せなかったと思います。
離婚届を突きつけられたあの日は、人生で一番どん底の日でした。でも、同時にそれは、誰かのための人生ではなく、自分のための人生を歩き出すスタートラインでもありました。これからは当たり前の日常を、一つひとつ大切にしながら生きていきたいと思います。
【取材時期:2025年8月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。