美食家気取りの夫の文句
ある日の夜、私は新鮮な白身魚を自分でおろし、松茸の香りを移したお吸い物を添えました。美食家気取りの夫に文句を言われないように丁寧に下ごしらえをし、自信満々で料理を並べました。
すると、夫は皿をのぞいた瞬間に眉を上げ「なにこれ? 魚の下処理ができてない!」と、料理の工程も見ていないのに文句をつけ始めました。さらに夫は「素材が生きてない!」とひと言。一拍遅れて、デザートの手作りプリンを見て「プリン? 子どもの食べ物だろ。俺の舌は満足しない」と鼻で笑うのです。言葉を失った私の代わりに、娘が「作ってくれた人に失礼だよ! せっかくママが作ってくれた料理にケチをつけるなんて、パパ良くないよ?」と言ってくれたのです。それでも夫は「本当のことを言っただだけだよ? パパは料理にはうるさいんだ! パパが満足する料理を作るのがママの役目だろ?」と言い、娘も私も呆れてしまいました。
翌朝、トースト、目玉焼き、サラダを並べると、夫は「はい、手抜き!」と言い放ち朝食に手もつけず仕事へと向かうのでした。結婚前、惣菜を皿に移しただけの一皿にも「おいしい」と笑った人が、いつから“美食家”になったのだろう。呆れと寂しさを抱え、私は母に相談をすることにしました。
母の意外な提案
事情を聞き終えた母は「先入観が味を曇らせてるね。目隠しで“美食家”チェックをしてみようか!料理を2つずつ比べてどっちが手の込んだ料理か当ててもらおう」と提案してきたのです。私は母の提案に同意しました。私は夫のリクエスト通り、完璧な料理を2づつ用意しました。さて、美食家の夫にだしの香りがわかるのか……。
その後、帰宅した夫に私と母は「美食家なら簡単よね?」と言いアイマスクを渡しました。すると夫は自信満々に、香りと温度と舌だけを頼りに箸を進めました。テーブルには小さな札でA・Bだけ。 みそ汁は「A:だしあり」と「B:だしなし」。魚は「A:私の焼き魚」と「B:人気店の焼き魚」。プリンは「A:市販」と「B:私の手作り」。最初のみそ汁を飲んだ夫は「……Bのほうがだしの味がする。Aは軽い」とボソッ。次に焼き魚に手をつけた夫が「Aは素材が生きてない。Bは……しっかり処理もできていて、味が整っている」とひと言。最後のプリンは「Bが手作りだね。味にムラがある!Aは甘さもしつこくなくプロの味だ」とすべて撃沈!
アイマスクを外し一瞬で青ざめる夫。夫が美味しいと言ったのはすべて私の手作りだったのです。母は「難しい言葉やプライドを置いて食べれば、ちゃんとわかる。今まずいのは料理じゃなく、“格好つけたい気持ち”のほうじゃないかな?」と夫に声をかけました。すると夫は「今までこんなに美味しい料理を作ってくれていたのに……本当にすまん!」と謝罪してくれました。
改心した夫からまさかのひと言
翌日からは、私が先生となり夫と一緒に買い出しと料理をすることに。手洗い、まな板の使い分け。魚の捌きたかや焼き加減など丁寧に教えました。すると夫が私を見て「こんなにも手間暇かけて作ってくれてたんだね。ありがとう」と感謝の気持ちを伝えてくれました。
その後、料理作りにハマった夫が週末の夕飯担当に。夫と娘と3人で食卓を囲み「美味しいね」「作ってくれてありがとう」と温かい言葉か飛び交う幸せな食卓へと変わりました。
◇ ◇ ◇
“おいしい”は値札や店名で決まるものではありません。清潔を守る手間、温度と水分の見極め、相手においしいと思ってもらいたい気持ち、そして作り手への敬意――そうした目に見えにくい積み重ねが味になります。先入観が味を曇らせていると感じたら、一緒に料理を作ってみるのも良いかもしれません。最初のひと言を「ありがとう」に変える。そのひと言でさらに食事が美味しくなるでしょう。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
改心したところで、離婚考えるな。