夫が「起業する」と言って会社を辞めてから、もう2年が経ちます。
最初は、彼の夢を心から応援するつもりでした。会社員時代には見せなかった情熱的な瞳の輝きに、私も希望を感じていたのです。でも、現実はそう甘くはありませんでした……。
妻の給料をあてにして働かない夫
その日も、私は仕事の休憩中に、家にいる夫に電話をかけました。
「ねえ、今日はなにか進んだ? 起業の話……少しは具体的になってきたかな?」
期待を込めて尋ねた私に、夫は気の抜けた声で答えました。
「まぁ、ぼちぼちかな。あ、それより腹減ったんだけど。夕飯なに? 何時に帰ってくる?」
その言葉に、全身の力が抜けていくのを感じました。今日もまた、同じ答えしか得られなかったのです。
「……今、休憩中なの。それと今日は残業で遅くなりそう」
「えっ!でも早く帰ってきてくれると困るんだよな。冷蔵庫もう空っぽだし」
もう、ため息しか出ませんでした。
「はぁ……私がなんでここまで仕事しているか、わかってる? あなたが会社を辞めて、もう2年も経つのよ!? そのせいで私は休日も潰して副業までして、家計を回してるの!」
私の悲痛な訴えに、夫は逆ギレ。
「な、なんだよ! まるで俺がお前に苦労させてるみたいな言い方しやがって。起業準備は一番大事なことなんだ。確実な成功のためには、細かな準備が必要なんだよ!」
すでに私は、夫の言う「起業準備」が、一日中SNSやYouTubeを見ていることなのは知っていました。しかし、「これも市場調査の一環だ」と夫は言います。
最近では「起業セミナーに参加する」と言っては、なにかと理由をつけてお金を要求してくるようになりました。本当にセミナーに参加しているのか、私にはたしかめようもありませんでしたが、日に日に疑いの気持ちは大きくなっていました。
「じゃあその情報収集で培ったものは? 起業のアイデアにつながった?」と私が問い詰めると、「そこは……まあ、まだだけど……」と夫は口ごもりました。
この2年間、ずっと「まだ」という言葉しか聞いていません。しかも、一日中家にいるのに、家事1つ手伝ってくれません。私が指摘すると、「家事はお前がやるもんだろ!」と怒鳴る始末。
「もう……本当にやる気あるの? ないならいっそ、もう再就職でもしなよ……」
私の言葉に、夫は激昂しました。
「なんだと! 俺が2年もかけて準備してるのに……! 全部、無駄にしろって言うのかよ。お前はなんて非情な嫁なんだ!」
その2年間、ずっと家計を支えてきた私に、よくそんなことが言えるものだとあきれました。生活費がどこから出ているか、夫自身が一番よくわかっているはずです。私のお給料で、彼の「起業準備」という名のニート生活が成り立っているというのに。
「大人なんだし、自分のごはんぐらい自分で用意して。今日は残業で遅くなるから」
そう言って、私は電話を切りました。彼への愛情が、日に日にすり減っていくのを感じながら。
反撃の準備
それからしばらく経っても、夫の態度は改まることはありませんでした。夫との未来がもう描けないと悟った私は、静かにある決意を固めたのでした。
ある日の仕事の休憩時間、私は夫にこんなメッセージを送りました。
「実はね、会社から長期出張の話があって。来週から、しばらく遠方に行くことになったの」「期間は1カ月くらいかな。でも安心して、生活費はちゃんと振り込むから」
「マジか! やったー! 口うるさいのがいない生活とか、最高なんだけど」と絵文字付きで返してきた夫。その返事を見て、私の計画は間違っていなかったと確信しました。
「長期出張」というのはもちろん嘘です。私は実家に戻り、そこから普段通り仕事に通いながら、父に夫の状況と私の決意を打ち明けました。父は静かに私の話を聞いた後、「よく決心したな」とだけ言って、すぐに知り合いの弁護士を紹介してくれたのでした。
そしてその1カ月後――。
「なぁ、今月分の生活費さ、ちょっと多めにお願いしてもいい?」と夫からメッセージが。私が使い道を尋ねると、彼はいつものように逆ギレしてきました。
「あーもう、うるさいな! そうやってお前が細かく口を出すから、俺の起業準備はうまくいかないんだよ! 一度支えるって決めたなら、口出ししないで金だけ出しておけよ!」
完全に私のことをATM扱いし、「早く生活費を振り込め」と繰り返す夫。
「夫婦なんだから、お前は嫁として夫の夢を支えろ!」
「早く今月分の生活費を振り込めよ! 起業には何かと金がかかるんだ!」
ぎゅっと拳を握り、私は用意していた言葉を、一言一句間違えないようにゆっくりと入力しました。
「じゃあ、あなたは慰謝料ね?」
「……は?」
私はすぐさま夫に電話をかけました。
「あなたの言い分はわかりました。そこまで言うなら、すぐにでも生活費を振り込んでやるわよ……夫婦生活最後の生活費をね!」「でもその代わり、あなたは私に今すぐ慰謝料を振り込んで。私が渡したお金で、浮気相手にプレゼント買ってたよね? ……全部、知ってるんだから」
電話の向こうで、夫が息をのむのがわかりました。 しかし、すぐさま「な、何の話だよ!? い、いきなり意味わかんねーし!」と白を切ろうとしてきます。
「とぼけないで。長期出張の話をする前から、私、知ってるのよ」
最低な夫の末路
……そう、私がすべてを知ったのは、長期出張と偽って家を出る数日前のことでした。
残業で疲れ果てて帰宅すると、夫はリビングのソファでスマホを握りしめたまま寝落ちしていました。テーブルの上には、コンビニ弁当のゴミが散乱しています。またか、と深いため息をつきながらゴミを片付けようとしたとき、彼の手から滑り落ちたスマホの画面が光りました。
通知画面に表示された、見知らぬ女性の名前とハートマークのついたメッセージ。
『今日のプレゼント、すっごくうれしかった! またすぐ会いたいな♡』
心臓が氷のように冷たくなっていくのがわかりました。ロックが解除された状態のスマホを、私はおそるおそる確認してしまいました。そして、見てしまったのです。私以外の女性との、甘い言葉が並んだやりとりを……。
嫌な予感をおぼえつつも、さらに私は夫がいつも無造作に置いているかばんの中を探ってしまいました。すると、夫宛に届いていたクレジットカードの利用明細書が封も切られずに数カ月分入っていたのです。
震える手でそれを開いた瞬間、私は言葉を失いました。そこには、私が「起業準備に必要だから」と毎月渡していたお金の、衝撃的な使途が記録されていました。高級アクセサリーショップでの高額な決済、おしゃれなレストランでの食事代……。私が必死で稼いだお金が、彼の浮気相手とのデート代に消えていたのです……。
私のなかでなにかが終わる音がしました。もう、この人を支えようという気持ちは欠片も残っていませんでした。
怒りで震える体をなんとか動かし、私は夫のスマホのメッセージ画面とその利用明細書を、自分のスマホで何枚も写真に撮りました。
そして決意したのです。彼に最大限の後悔をさせるために、もっと確実な証拠を集めようと。だから私は、彼を完全に油断させてさらなる証拠を掴む時間を作り、離婚への準備を抜かりなく進めるために、あえて「長期出張」という嘘をついて家を空けることにしたのです。私がいない1カ月間、彼がどんな行動に出るか、すべてお見通しでした。
「……というわけで、あなたのスマホ、見ちゃったの。私が起業資金として渡したお金の使い道……見覚えのないアクセサリーショップの利用履歴、あれ、ちゃんと説明してくれる?」
「う、浮気じゃないから! あの、全部ストレスのせいなんだよ……!」と見苦しい言い訳を並べる彼に、私は冷たく言い放ちました。
「もう、その家に帰ることはないから。もちろん離婚します。あなたが私と夫婦でいる価値を、自分で壊したのよ。自業自得だよね」
私が弁護士を立てたことを伝えても、夫はまだ「どうせ本当に別れる気なんてないだろ?」と高を括っていたようでした。しかし数日後、夫の元に弁護士から内容証明郵便が届くと、状況は一変したのです。
そこには私が撮りためた浮気の証拠写真のリスト、そして「起業資金」と偽って浮気相手との交際費に浪費した金額の明細が、具体的な数字とともに克明に記されていました。請求は慰謝料と、私のお金を流用した分の返還を求める内容でした。書面は「期日までに支払いの意思が確認できない場合は、訴訟等の法的手続きを直ちに開始します」という冷たい一文で締めくくられていました。
法的な強制力と、逃げ場のない証拠を突きつけられ、彼はついに観念したようです。無職の彼には、支払うあてなどありません。浮気相手はすぐに彼を捨て、友人たちもお金を貸してはくれなかったそうです。最終的に彼は、疎遠になっていた自分の実家に泣きつき、頭を下げてお金を借りたと聞きました。
その後――。
私と夫は無事に離婚。元夫から「助けてくれ! もう一度やり直してくれ!」と惨めな声で電話がありましたが、もちろんきっぱりと断りました。浮気した挙句に無職で貯金もゼロ、実家に多額の借金をしている元夫には、なんの魅力もありません。
風の噂によると、彼は実家への借金返済のため、今も日雇いのアルバイトで食いつないでいるそうです。「こんなはずじゃなかった」と嘆いているようですが、自業自得です。
一方の私は、実家でのんびりと穏やかな日々を過ごしています。あのとき、元夫と別れる勇気をくれた父には本当に感謝しています。今度、受け取った慰謝料で、両親を温泉旅行にでも連れて行ってあげようと計画しているところです。これからは、自分のため、そして大切な家族のために時間とお金を使っていこうと、心からそう思っています。
このつらい経験は、信じることと、ただ甘やかすことは違うのだと私に教えてくれました。誰かのためでなく、自分の人生をしっかりと歩むこと。その当たり前の幸せを、今、私は心から噛みしめています。
【取材時期:2025年5月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。