私より20歳年上の夫と結婚して20年。かつて「君を守りたい」と言ってくれた彼は、いつしか私を家政婦か何かのように扱うように。私はただ黙ってそれに従うだけの日々。でも、心の中ではずっと何かが燻っていました。
そして、運命の歯車が大きく動き出したのは、深夜に鳴り響いた1本の電話からだったのです……。
深夜の理不尽な呼び出し
「おい! 今すぐ店まで迎えに来い!」
スマホから響く、酔って機嫌の悪い夫の声。私は深いため息を隠せませんでした。
「今、何時だと思ってるの……? もう夜中の1時よ」
「は? だからなんだよ? どうせ家で寝てただけだろ? こっちは仕事の飲み会で遅くなってんだ。妻なら旦那を迎えに来るぐらい当然だろ?」
また、これです。私が反論しようものなら、「誰が稼いだ金で生活してるんだ!」という決まり文句が飛んでくるのは目に見えていました。言い争う気力も、もう残っていません。
「はいはい。で、どこに行けばいいの?」と聞くと、「駅前の居酒屋だ。あと、部下も一緒だからな。ちゃんと服とかメイクとかしろよ! 寝間着にすっぴんで来たら許さんからな!」と部下の手前、体裁を気にする夫。相変わらずです。
私は重い腰を上げ、虚しさを押し殺して最低限の身支度を整え、深夜の街へと車を走らせました。
翌朝――。
家事が一段落したころ、玄関のチャイムが鳴りました。そこに立っていたのは、昨夜の夫と一緒にいた部下でした。
彼は深々と頭を下げて、「部長の奥さま……! 昨夜は本当にすみませんでした! あんな時間に送っていただいて……」と言ったのです。
私が冗談めかして「いえいえ、気にしないでください。こういうの、慣れてますから」と笑うと、彼は夫がいかに素晴らしい上司であるかを熱心に語り始めました。
「部長には本当にお世話になってます! 奥さまを大事にしている姿勢とか、男として尊敬してて」「部長、いつも『奥さんへの感謝を忘れるなよ』ってみんなに言ってるんですよ」
家での横暴な姿しか知らない私には、彼の話がまるで別人のことのように聞こえました。……感謝――あの人が? 私の心の中に、長年積もりに積もった冷たい感情が、まるで氷のように固まっていくのを感じました。
そんな私の心中を知らない彼は、キラキラした目で続けます。そんな素晴らしい部長のために、部下有志でサプライズの定年祝いを企画していること、そして『奥さまにもぜひ参加してほしい』と熱く誘われたのです。
最初は乗り気でなかったものの、話を聞いているうちにあることを思いついた私。最後には、にっこりと微笑んでうなずきました。
「えぇ、喜んで参加させていただきます」と。
結婚20年目で白日の下にさらされた裏切り
数カ月後――。
定年を間近に控えた夫から、珍しくメッセージが届きました。
「さっき会社から言われたんだが……退職金が3,500万円も出るらしいんだよ!」
それを聞いた私は、「すごいじゃない! あなたが長年頑張ってきた証ね!」と素直に喜びました。
これで少しは夫婦の関係も変わるかもしれない。そう、淡い期待を抱いて、退職したら2人でゆっくり温泉旅行でも、と提案したのです。
しかし返ってきたのは冷たい返事でした。
「おいおい、まさか俺の退職金を使ってか? 人の金を勝手に使う計画なんて……どこまでもあさましいやつだな」
そして、夫は信じられない言葉を続けたのです。
「単刀直入に言う。俺と離婚してくれ」
頭が真っ白になりました。
「専業主婦で寄生してただけのやつに、俺の3,500万円を持ってかれるなんて最悪だろう? だから退職金が支払われる前に離婚するんだよ」「いいか! この3,500万円の退職金は、俺のものだ!」
法的な知識に疎い夫は、離婚さえしてしまえば、婚姻期間中に築いた退職金もすべて自分のものになる、と誤解しているようでした。
「俺が会社に尽くしてきたからこそもらえる退職金だ!」
「家にいただけのお前には1円もやらんぞ」
そして、損だの、生産性がないだの、夫から送られてくるのは私を見下す言葉ばかり。20年間、夫だけでなく、義両親が倒れたとき、仕事を辞めて必死に介護したことも含め、どれだけ家庭を支えてきたか。その日々は、彼にとっては「家にいてぐうたらしていた」だけに見えていたのです。
「いいよ、慰謝料もらうし。さようなら」
夫の言葉を聞いた瞬間、私の中で何かがぷつりと切れました。長年の我慢の限界だったのです。
夫の「え?」という返信を見て、私はすぐに彼に電話をかけました。「は? 謝っても退職金はやらんぞ?」と吐き捨てるように言ってきた夫に、私は静かに、でもはっきりと告げました。
「えぇ、私も第二の人生を楽しむわ。あなたと違って、私にはまだこれからがあるもの。あなたが支払う慰謝料があれば、老後は快適に暮らせそうだしね」
「な……、浮気なんてしてないぞ!」と言う夫の声には焦りがにじんでいます。
「あら? 私が何も気づいていないとでも? 半年前、あなたが雑に投げたスーツのポケットからホテルのレシートが出てきたの。あのときからよ、私があなたの裏切りを確信して、準備を始めたのは」
私は、プロの調査員に依頼して集めた、浮気相手との10年にわたる関係を示す、言い逃れのできない証拠一式を突きつけました。
夫は分が悪いと思ったのかしばらく黙っていましたが、すぐに開き直りました。
「それがなんだ! 慰謝料なんて払ってやる! 俺には3,500万円の退職金があるんだからな!」
そして彼は、勝ち誇ったように言い放ちました。
「勘違いするなよ! 俺を支えたのは、お前じゃない。俺が頑張れたのは、彼女のおかげなんだよ! これからは堂々と彼女と暮らすんだ!」
私は、その言葉を待っていたのです。
「あら、素敵ね。じゃあ堂々とご自身で浮気を認めたということで。いいわ、あなたがそこまで言うなら、あなたの退職金に対する私の権利を放棄する代わりに、今までの貯金を全額譲渡してもらう旨の書面を交わしてもらいましょうか。本当は離婚したって退職金の一部も財産分与の対象なんだけどね。ま、もちろん、それとは別に、慰謝料はあなたと浮気相手、それぞれにきっちり請求させてもらうから私はそれでいいわ」
そう言って私はあらかじめ用意しておいた離婚届にサインし、家を出ました。
地獄のサプライズパーティーを終えた元夫の末路
数日後――。
元夫から、怒りに満ちた電話がかかってきました。
「おい! どういうつもりだ! なんで今日の俺の定年祝いに、彼女が現れるんだ!」
そう、今日は元夫の部下たちが企画してくれた、あのサプライズパーティーの日だったのです。
「あら、もともとは私が誘われていたのよ」と言うと、「は? お前が……誘われてただと……?」と電話の向こうで、元夫が動揺しているのが伝わってきました。部下たちが企画したサプライズですものね。元夫が知るはずもありません。
「えぇ、そうよ。あなたの部下たちが私をサプライズゲストとして招待してくれていたの」「一度は参加するって返事をしたんだけど、離婚したでしょう? だから参加できないって連絡を入れて……そのときに、『私の代わりと言ってはなんですが』って、あなたの浮気相手さんの連絡先を教えておいたの」「ほら、彼女SNSやってるじゃない? 『夫が大変お世話になった方なので、サプライズにはぴったりだと思う』ってね。……まさか本当に招待するなんて、あなたの部下は素直でかわいいわぁ」
電話の向こうで元夫が絶句するのがわかりました。
「お前のせいで飲み会の空気が完全に凍ったぞ! 部下たちもみんなドン引きだ……!」「あいつ、酒の勢いもあって浮かれちまって、みんなの前でとんでもないこと暴露しやがったんだ!」
「10年間、日陰の身で部長を支えてきましたが、これからは私が妻として堂々と……!」と言ったのだとか。浮気相手は、自分がサプライズで呼ばれたということは、元夫が会社の人に自分のことを話していたのだと勘違いし、公に発表してもよい関係だと思い込んだのかもしれません。
「部下たちはみんな、俺がお前と20年間連れ添ってきたのを知ってるんだぞ! それなのに、10年も浮気してたってバレたらどうなるかわかるだろ! 俺が長年かけて築き上げてきた『愛妻家』のイメージが全部、台無しだ!」「それどころか、『長年妻を裏切ってきた最低の男』って部下たちが俺を白い目で見始めてるんだ……!」
私は心の底から湧き上がる冷たい喜びを感じながら、ゆっくりと言葉を返しました。
「『妻には感謝を忘れるな』、だっけ? 会社じゃ随分と愛妻家っぷりをアピールしてたみたいだもんね。だから、もし私が『すみません、離婚したので妻として参加できません』なんて言って断ったら、あなたの顔に泥を塗ることになるでしょ?」「それもあって、これからはあなたの“本妻”になる彼女が登場した方が、よっぽど盛り上がると思ったのよ。元嫁なりに、あなたの“新しい人生”の門出を誰よりも祝ったつもりなんだけど……パーティーの邪魔しちゃ悪いから。部下の皆さんにも、あなたの新しい人生を応援してもらえるといいわね」
これが、20年間の結婚生活で元夫に尽くしてきた私からの、ささやかなお祝いでした。
それから半年後――。
見知らぬ番号から着信がありました。出てみると、それは元夫からでした。以前の横暴さが嘘のように、弱々しい声です。
「少しだけでいいから話を聞いてくれないか?」と言った元夫に、「連絡してこないで。あなたと話すことはもうないわ」と私は冷たく返しました。
私がすぐに電話を切ろうとしていることに気づいたのか、元夫はあわてて続けました。
「いや……その、ちゃんと謝りたくて……。俺が……俺が間違ってたんだ。本当に今まですまなかった……」
まさかあの元夫に謝罪されるとは思わず、私は通話終了ボタンから指を離しました。
「反省してるんだ。だから……俺と復縁しないか? あの女とはもう別れたから! やっぱりお前じゃなきゃダメなんだ!」
詳しく話を聞いて……私はそのあまりの身勝手さに、やっぱり早く電話を切ればよかったと後悔しました。
退職後、浮気相手と沖縄で新生活を始めた元夫。私への慰謝料と貯金を支払った後、残った退職金は彼女の浪費でまもなく底をついたそうです。お金が尽きた途端、彼女は「甲斐性のない男に興味はない」と言って、去ってしまったのだとか。
さらに元夫はほかの役員のように再雇用で70歳まで働けると思っていたようですが、例のサプライズパーティーが原因で部下たちから猛反対されたとのこと。完全に道を断たれていたのです。
自業自得とはいえ、哀れでした。さすがになにか慰めの言葉をかけようか……と悩んでいると、「だから頼む! もう俺にはお前しかいないんだ! 俺を支えてくれ! 一緒に暮らしてくれ!」と夫。
その言葉を聞いた瞬間、20年間の自分の献身を思い出した私。そして一気に心は冷え切りました。
「ふざけないで。大体、『支えてくれ』なんて簡単に言わないで。私はもう十分に、20年間もあなたを支えてきたわ。あなたの人生が終わるその日まで、妻として側にいようと覚悟していた。そんな私の20年間の『支え』を、10年も続けた浮気のために、必要ないって捨てたのは、あなたでしょうが!」
「だ、だからそれは謝ってるだろ!? 20年連れ添ってきた情ってものがないのか!」と言う夫に、「ないわね」と私はきっぱりと告げました。彼が息をのむのがわかりました。
「じゃあ、俺は……本当にひとりに……?」とつぶやいた元夫に、「えぇ。そして、お金も、信頼も、家族も、全部失ったってことに、ちゃんと向き合って生きていってね」と事実のみを突きつけました。
黙ってしまった元夫に、「それじゃあ、どうぞお元気で。お互い、これからの人生を楽しまなくっちゃね」と私は最後の言葉を告げ、静かに電話を切りました。
その後――。
元夫は沖縄の小さなアパートで孤独な老後を送っていると共通の友人から聞きました。
一方、私は慰謝料と財産分与で手に入れた小さな古民家を、少しずつ自分好みにリフォームしながら、猫とのんびり暮らしています。
あのときの決断は、決して簡単なものではありませんでした。でも、勇気を出して一歩踏み出したからこそ、今の穏やかな毎日があります。自分の心を大切にして、自分らしく生きていくこと。人生、いつからだってやり直せるんだなって、猫の寝顔を見ながら、そんなことを思う今日このごろです。
【取材時期:2025年7月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。