新聞記者として活躍していた清家愛さんも、結婚・出産を機にキャリアを手放したひとりです。しかしその経験こそが、「子育てもキャリアも諦めない社会をつくりたい」という強い原動力となり、港区長としての歩みに結びついています。
そんな清家区長に、当時の葛藤を乗り越えたからこそ見えてきた、働く女性や子どもたちの未来へのビジョンについてお聞きしました。
「子どもかキャリアか」二者択一を迫られ新聞社を退職
――結婚・出産を機に新聞記者を辞められたそうですが、キャリアを手放すときにはどのような決意や葛藤があったのか、教えてください。
清家愛港区長(以下、清家):当時は「結婚や出産をすると女性は仕事を続けられない」という考え方が当たり前のように受け入れられていました。私の職場も子育てに理解がある環境ではなかった上、保育園に運よく入れたとしても送り迎えも子どもの急な体調不良に対応するのも、母親である私の役目になるのだろうと思いました。
ましてや現在よりも保育園に入れる確率が格段に低かった時代のことです。とても悩みましたが「命を産み育てることとキャリアの両立は難しい」と感じ、私は子育てを優先する決断をしました。
出産後、子どもを連れて児童館に行くと、そこには私と同じようにキャリアを積んできた女性たちが大勢集まっていました。本当は仕事を続けたいのに「子どもを産むには人生を一度リセットしなければならない」「キャリアを諦めるしかない」と口々に話していたのです。
私はその状況に強い違和感を覚えました。私たちは真剣に仕事に向き合っており、対等に評価されるべき存在です。それなのに、子どもを持ったというだけで何の落ち度もないのにキャリアを積む道から外れなければなりません。とても理不尽だと感じましたし、それはまるで“ペナルティ”のようだとも思いました。
このままでは女性が安心して子どもを産めなくなり、社会全体が歪んでしまう。そんな強い危機感を抱いたことを、今でも鮮明に覚えています。

――子育てをめぐる理不尽さを実感された後、どのようにして政治の道を選ばれたのですか?
清家:まずは、私の得意分野である文章を書くことで、子育てをしながら働く女性の現状を多くの人に届けようと思い、ブログで発信することから始めました。すると「私も同じ経験をしている」「声を上げてくれてありがとう」といった共感の声が寄せられ、同じ悩みを抱える母親たちとつながっていきました。その広がりの中で生まれたのが『港区ママの会』です。
『港区ママの会』は単なる交流の場ではなく、「待機児童問題を解決したい」「子育て環境をよくしたい」という思いを持つ母親たちが集まり、保育園や学童に入れない不安、仕事と子育ての両立の難しさを共有しながら、課題の解決に向けて行政に声を届ける活動をしていました。
その中で「清家さん、あなたが動いてほしい」「私たちの声を届けてほしい」と背中を押されるようになりました。最初は戸惑いましたが、自分ひとりの問題だと思っていたことが、実は多くの女性が直面する社会全体の課題だった、ならばその声に応えたい。そしてみんなと共有した課題を解決し、子育てもキャリアも諦めなくていい社会をつくりたい、その思いが、政治の世界へ踏み出す大きなきっかけになったのです。
――新聞記者とはまったく異なる、政治の世界に飛び込むとき、何が一番のハードルでしたか?
清家:子どもがまだ3歳だったので、預け先がなければ選挙にも出られませんし、そもそも選挙の仕方がわからないことがとても大変でした。公職選挙法(選挙制度を定めた法律)も難解で、何が許されて何が禁止されているのかもまったくわからなかったんです。
でも本当にたくさんのママたちや家族、友人、ご近所の方々が応援してくれました。私が立候補した時期はちょうど東日本大震災の直後で、外出することへの不安があった中で、わざわざ街頭演説に足を運んでくださったりと、強い熱意でみなさんに後押ししていただきました。
そのときの「これだけ応援してもらったのだから、必ず結果を出さなければ」という思いは、今でも変わらず私の原動力になっています。
働く女性への提言。キャリアと子育ての両立を社会で支える
――ママがキャリアを捨てず、子育てと両立するためには、何が必要だと思いますか?
清家:私自身、出産を機にキャリアを手放さざるを得なかった経験があり、その後『港区ママの会』を通じて多くの母親たちと悩みを共有してきました。そこで見えてきたのは、まず「保育園に預けられない」という問題、そして子どもが小学校に入ると保育園のような長時間保育がなくなり、親がフルタイムで働きにくくなる「小1の壁」と呼ばれる問題でした。
これらの問題を解決するために、港区では保育園の拡充に加え、朝早くから子どもを受け入れる「モーニングスクール」のモデル実施や学童クラブの定員拡大など、親が安心して働き続けられる環境づくりを進めてきました。
ただ、忘れてはいけないのは子どもの権利です。親と一緒に過ごす時間を大切にできなければ、本当の意味で「子どもにやさしい社会」とは言えません。働き方や社会の価値観そのものを変え、子どもと大人の両方が幸せになれる環境をつくることが必要だと考えています。
たとえば北欧の国々では、子育て経験そのものがキャリアにプラス評価されます。子育てで培った生活者の視点や共感力は、製品開発や行政サービスの質を高める大切な力です。日本でも「子育てはキャリアの中断」ではなく「キャリアの価値を高める経験」だと、社会全体で認識していくことが欠かせないと思います。
――子どもをもって初めて気がつくことも多いですよね。キャリアやライフプランについての学びが少ないことも、日本の社会課題ではないでしょうか。若いうちに、人生設計やキャリア形成について学ぶ場があればと思います。
清家:本当にそう思います。私自身も、出産や子育てとキャリアの両立については社会に出て初めて直面しました。学校で体系的に学んでいれば、もっと早い段階で準備ができたのではないかと感じます。
人生設計やキャリア形成は、就職活動の直前だけではなく、学生のうちから考えておくべきテーマです。たとえば、結婚や出産のタイミング、子育てと仕事の両立、ライフイベントに応じた働き方の選択肢などを、授業の中で具体的に学ぶ機会があると良いと思います。
港区としても、キャリア教育やライフデザイン教育を充実させ、子どもたちが将来の自分をイメージしながら学べる環境を整えていきたいと考えています。

――「保育サービスのお断りゼロ」を実現するためのマッチング型のベビーシッターの利用料助成のように、安心して働き続けられる環境をつくるなど、働くママへの支援は進んでいますが、一方で「働かずに子育てに専念する」という選択をするママもいます。そうした方を支えるために、港区としてどのような取り組みが必要だとお考えですか?
清家:これは本来、国全体で取り組むべき課題ですが、子どもを育てながら安心して生活できるだけの収入や制度が保障されなければなりません。子育てがリスクにならないようにしていくことが必要だと思います。そうでなければ、今の子育て世代が抱える不安は解消されませんし、少子化も止まりません。
一方で、自治体としてできることもあります。港区では、教育や子育てにかかる費用の負担をできるだけ減らす取り組みを進めています。たとえば、区立小・中学校の給食費や学用品の無償化などです。
さらに、企業の取り組みを後押しすることも重要です。港区では、子育てに軸を置いた働き方ができるよう、リモートワークやフレックス・時短勤務などの働き方改革を進める企業を「ワーク・ライフ・バランス推進企業」に認定し、補助金などで優遇する制度を設けています。自治体としても、社会全体の変化を後押ししていく役割を果たしていきたいと考えています。
子育てに関する制度を変えるには意思決定の場に女性がいることが大切
――さまざまな制度がつくられ、以前に比べるとママが働きやすい社会に変わっているものの、それでもなお、子育てする女性が大変な思いをする世の中は続いていると感じています。これを打破するために、今、何が必要だと思いますか?
清家:制度などの意思決定の場に女性がもっと増えることだと思います。女性がいなければ、女性が直面する出産や子育てに関する課題に当事者としての実感をもって取り組むことができず、社会の仕組みも変わりにくいのです。日本のジェンダーギャップ指数が低迷しているのも、教育や健康では世界的に評価が高い一方で、政治や経済分野で女性管理職や女性議員が少ないことが大きな要因です。
だからこそ、女性を積極的に登用し、参画しやすい仕組みをつくることが必要です。港区役所においても女性管理職50%を目標に掲げています。高い目標ではありますが、制度をつくる側に女性が増えれば、働き方やキャリアプランに合わせた人事制度、子どもにお金のかからない仕組みなどが“当たり前”に進んでいくはずです。

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子どもをもつことは決してペナルティではありません。むしろ、子育てを通して培われる視点や力は社会をよりよくする原動力となります。区長の歩みは、そのことについて改めて考えさせられました。
「子育てもキャリアも諦めない社会」を実現するには、制度や価値観を変えていくことが欠かせません。私たち自身も行動し、相手を理解して、支え合うことこそが、子育てしやすい未来をつくるのかもしれませんね。
子育てが誰かの犠牲や我慢ではなく、人生の豊かさにつながるものとなりますように……。ベビーカレンダーもそんな歩みを、皆さんと一緒に重ねていきます。