怖かった父の背中








小さなころの父は、笑わない人でした。怒っていなくても怖い顔に見えて、家の空気がぴんと張りつめるのです。酒を飲むと陽気になり、別人のようにしゃべりだす。そのギャップも子どもには不安でしかありませんでした。
母と喧嘩すると、灰皿やポットが飛んでくることもあり、私は母を守るように覆いかぶさったこともあります。そんな記憶が強すぎて、父を「敵」のように思っていました。
母のやさしさに揺れる気持ち
それでも母は、父を思いやっていました。若いころから病気を抱えていた父を案じて、「飲み過ぎじゃない」と声をかけ続けていたのです。
私は母が好きだったから、そんな母を傷つける父を許せませんでした。でも同時に、母のやさしさに触れるたび「母がここまで気にかける父を、私は憎むだけでいいのだろうか」と、心のどこかで揺れていた気がします。その答えを見つける前に、母はがんで倒れ、あっという間に亡くなってしまいました。
母を失って見えた父の姿
母を亡くしてからの父は、思いの外、寂しげでした。ある日、「一緒にお茶でも飲んでゆっくり過ごしたかった」と、つぶやいた父。その声は、怒鳴るときの強さではなく、弱さを含んでいました。
さらに、母がまだ地元のクリニックに通っていたころのことを振り返り、「もう少し早く大きな病院に連れて行ってあげたら……」とも口にしました。クリニックでは、診断がつきにくい状況が続き、通院を重ねている間に病状が悪化。初めて大きな病院を受診したときは、すでにがんはかなり進行していたのです。
その後悔が父の言葉の端々ににじみ出ていて、私は初めて「父にとっての母」という存在の重さを感じたのでした。
年齢を重ねるにつれて父の表情も柔らかくなり、昔ほど家に緊張感は漂っていません。私自身も大人になり、自立してから心に余裕ができたからこそ、父の不器用な一面や弱さを受け止められるようになったのかもしれません。
まとめ
父との関係は、幼いころからずっと怖さと嫌悪感が中心でした。特に、母に物を投げつけたり傷つけたりする父の姿は、今も決して許せない思いとして残っています。けれど、母を失った後に父が漏らした「もっと大きな病院に連れて行ってあげればよかった」というひと言。その背景には、母を救えなかった悔しさや、進行してから知ったがんの現実がありました。
その弱さや後悔を見て、私の中に少しずつ揺らぎが生まれているのも事実です。親子や夫婦の間には、他人にはわからない物語があるのだと、今しみじみ感じています。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:岩下カナコ/40代女性。2015年生まれの娘、2017年生まれの息子、2019年生まれの双子の息子たち4児の母。育児に癒やされたり疲れたり、時には自己嫌悪したり。そんな日々を送っている。
マンガ/山口がたこ
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2025年9月)
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