すれ違いの始まり
ある朝、仏壇に手を合わせていたA子ちゃんが、私に背を向けたままぽつりと言いました。
「本当のママはすごくきれいだったんだよね……」
その言葉に胸がチクリとしました。亡きお母さんを思う気持ちは理解できます。それでも、比較の対象になっているようで、心のどこかが痛みました。
少しでも受け入れてもらいたくて、髪を染めたり明るめの服を着てみたりしましたが、A子ちゃんは「似合わない」とそっけない返事。外見へのこだわりが強く、自分の世界をしっかり持っている子でした。
授業参観の日には、「あんまり目立たないで」と言われ、当日は後ろのほうで静かに見守りました。帰宅後、A子ちゃんが「やっぱり来てほしくなかった」とつぶやいたとき、私はただ笑ってうなずくことしかできませんでした。
家族の空気が変わったころ
そのころから、夫の帰宅が遅くなりました。「仕事が忙しい」と言いながら休日出勤も増え、A子ちゃんと過ごす時間も減っていきました。
彼女は寂しさを抱えていたようで、時々「パパ、なんでまた行っちゃうの?」と声を上げることも。夫は「家のために働いてるんだ」と答え、互いに気まずい空気が流れるようになりました。
ある日、出勤前の夫の鞄の中から、偶然ブランドの紙袋を見つけました。「それ、どうしたの?」と尋ねると、「取引先に渡す小物だよ」と慌てて答える夫。少し不自然な様子に、胸の奥に不安が残りました。
崩れていく信頼
その日を境に、夫の態度はさらに冷たくなりました。夕食を用意しても「食べてきた」と言って部屋に閉じこもり、私が話しかけても上の空。眠っているときに、誰かの名前をつぶやくこともあり、心の中に疑問が積もっていきました。
真実を確かめたくても、スマートフォンを勝手に見るようなことはできません。けれど、夫の目の奥にある“やましさ”のような影を、私はたしかに感じていました。
三者面談を前にして
数日後、A子ちゃんの学校で三者面談があると知らされました。私も保護者として出席するつもりでしたが、A子ちゃんは顔をしかめて言いました。
「母親面して来ないで。恥ずかしいから」
ショックでした。けれど「本当にいいの?」と確認すると、「いいってば!」と突き放すような口調。私は「わかった。絶対に行かない」と、静かにうなずきました。
――この家での役割は、もう終わったのかもしれない。
その夜、最低限の荷物だけまとめて兄の家に身を寄せました。
すれ違いの果てに
数日後、夫から「どこにいるんだ」とメッセージが届きましたが、返信はしませんでした。その夜、A子ちゃんから電話がかかってきて、「なんで来なかったの! 進路の話だったのに!」と怒鳴る声が聞こえました。
私は静かに答えました。「あなたが『来ないで』と言ったからだよ」。一瞬の沈黙の後、電話口に夫の声が割り込み、「母親なら行くべきだった」と責めるように言いました。
私は深呼吸して「家族のために働いていると言いながら、どこに誰といるの?」と返すと、夫は黙り込みました。その沈黙が、何よりも雄弁(ゆうべん)でした。
新しい道へ
その後、夫との話し合いの末、私たちは離婚という形を選びました。慰謝料などの話し合いも穏やかに進み、私は兄の家で静かに新しい生活を始めました。翻訳の仕事を続けながら、自分の心を少しずつ取り戻していったのです。
数か月後、A子ちゃんから涙声の電話がかかってきました。
「ごめんなさい。あのときの言葉、ずっと後悔してる。パパもいろいろあって……」
詳しくは話しませんでしたが、どうやら夫の仕事上のトラブルが原因で家庭も職場もぎくしゃくしているようでした。
それでも、彼女が「また会いたい」と言ってくれたことが、何よりうれしかった。私はそっと、「いつでも話せるからね」と伝えました。
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家族の関係は、見た目や立場ではなく「信頼」と「思いやり」で築かれるものですよね。夫の小さな秘密や娘の反発に傷つきながらも、ようやく「自分の人生を選ぶ強さ」を手に入れられてよかったですね。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
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