義母の教え方は厳しいけれど、「できるようになるまで見守る」という姿勢でいてくれる人です。毎日小言を言われ怒られながらも、私は義母を尊敬していました。
義母が突然の要介護に
そんなある日、義母は家の中で転倒し救急搬送されました。幸い命に別状はなかったもののしばらく入院することになり、日常動作に少し介助が必要な状態になりました。
退院のとき、医師からはこう説明されました。
「今は少し介助が必要ですが、リハビリを続ければ、自分の力でできることが増えていきます。ご家族も、できる範囲で“自立を助けるサポート”をしてあげてください」
家に戻ったその日、義母は少し悔しそうに眉を寄せて言いました。
「嫁のアンタが介護しなさい」
「わかりました」
強い言い方でしたが、それは弱い自分を認めたくない義母なりの意地。私は静かにうなずきました。義母が私に“できるまで見守る姿勢”を教えてくれたように、今度は私が義母の「もう一度立ち上がる力」を信じたいと思ったのです。
医師とリハビリスタッフのアドバイスを受けながら、私は義母の生活をサポートしていきました。
座る、立つ、コップを持つ、ゆっくり歩く――簡単に見える動作でも、義母には大変な日もあります。時には義母が涙をこぼす日もありました。そのたびに私は「大丈夫、一緒にやりましょう。私、そばにいますから」と手を握って励ましました。
一歩を踏み出せた日
夫も、娘も、自然と義母を手伝うようになりました。娘は椅子を引きながら言いました。
「ばぁば、ゆっくりでいいんだよ〜」
その言葉に、義母は恥ずかしそうに笑いました。家族みんなで義母を支える日々が、いつしか当たり前になっていきました。
そんなある日、義母は手すりを握りしめ、少しずつ足を前へ。
「……歩けた」
義母の目から涙がこぼれました。夫も娘も、それを見て声を上げて喜びました。そして義母は、私のほうを見て「ありがとう。あなたのおかげよ」とお礼の言葉をかけてくれました。
あたたかな日々
義母はまだ完全ではないものの、自分でできることが少しずつ増えてきました。今では、私が洗濯をしていると義母が笑いながら言います。
「ほら、袖がねじれてるわよ」
「えぇ~? また!?」
そんなやり取りをしながら笑い合う、変わらない私たちの日常。
家族は、支え合いながら、励ましながら、ゆっくり育っていくものなのだと思います。
これからも、義母と、夫と、娘とこの家で4人の時間を重ねていきたいと思います。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。