姉の悲報と叔母の反応
訃報を受けた私は、真っ先に叔母へ連絡をしました。私と姉は幼いころに両親を亡くしていたため、もっとも身近な大人が叔母だったからです。
事情を伝えると、叔母は驚きつつも「まさかこんなことになるなんて」と、現実を受け止めきれない様子でした。葬儀では、唯一残されたB美の姿に、叔母は戸惑いを隠せないようでした。
当時のB美は、髪を染め、ピアスをつけるなど少し派手な見た目で、叔母はその印象だけで「扱いづらい子なのかもしれない」と心配を口にしました。私は「まだ中学生なんだから、見た目より気持ちを理解することが大事だよ」と伝えましたが、叔母はどう接していいのかわからず、距離を置こうとしているようでした。
妻の覚悟と決断
葬儀から1カ月がたったころ、叔母の家で暮らしていたB美が家出をしました。思春期ならではの感情のぶつかり合いがあったようですが、叔母は「どう接していいかわからない。面倒なんて見られない」と困惑したままでした。
その日、私は状況を妻のA子へ「落ち着かず、親戚の間でもB美の受け入れ先が決まらないみたいだ」とメッセージで伝えました。すると、すぐに返信が来ました。
「うちで一緒に暮らせないかな?」
私は思わず固まりました。もちろん簡単なことではありません。しかし妻は、静かにこう言いました。
「私たちは不妊だとわかったけれど、誰かの居場所になれるなら力になりたい」
その言葉に胸が熱くなり、私も覚悟を決めました。2人で探し回り、無事にB美を見つけ、話し合いながら私たちの家で生活を始めることにしたのです。
数年後の「手のひら返し」
数年がたち、B美は音楽への才能を伸ばし、SNSなどでアーティストとして活動するようになりました。地道に努力を重ね、少しずつ仕事が増え、ローカル雑誌などに登場する機会もありました。
そのころ、叔母から突然電話がありました。
「雑誌で見た子、B美じゃない? すごいわね……!」
驚きと興奮が混ざった声でした。私は、「ここまで来るまで本当に頑張ってきたよ」と伝えました。しかしその後、叔母は遠慮がちな声でこう続けたのです。
「ちょっと相談なんだけど……生活が苦しくてね。少し助けてもらえないかしら」
私は胸がざわつきました。長く連絡もなかったのに、B美が活躍し始めたタイミングでお金の話になるとは思ってもいませんでした。「申し訳ないけれど、今の私たちにできることはないよ。B美にも関係のない話だ」と伝えると、叔母は不満を口にしましたが、私は静かに電話を切りました。
その一方で、B美は私とA子に「支えてくれたお礼に」と旅行をプレゼントしてくれました。私が涙ぐむと、妻は微笑んで言いました。
「血のつながりに関係なく、家族って作っていけるものなんだね」と。
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家族とは、血縁よりも「誰かを思いやり、支えようとする気持ち」でできていくものなのですね。偏見や都合で距離を変えてきた叔母は、結果として信頼を失ってしまいましたが、夫婦とB美の3人は、それぞれが向き合い、支え合いながら新しい家族の形を築くことができ、本当によかったですね。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※AI生成画像を使用しています
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