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夫「出張中に恋人ができたんだ。出ていってくれないか?」→「OK!」快く受け入れたら夫が真っ青に…

義母とは価値観が合わず、結婚して何年も経っているのに私たちの間には溝があります。義父が亡くなったタイミングで、夫から「母さんがさみしそうだから一緒に住んであげたい」と同居を提案されたときも、本音を言えば不安でした。

それでも、「家族なんだから支え合わなきゃ」と覚悟を決め、義母との同居を決めたのです。

最も歩み寄れないのは、料理の味付けです。義母は濃い味が大好き。医師から塩分を控えるように言われても、聞く耳を持ちません。

 

そんな義母は私の料理が気に入らないようで「味が薄すぎて全然食べた気がしない!」と言い、マヨネーズや塩胡椒を遠慮なく追加します。私は医師のアドバイスをもとに工夫して作ったのですが、義母は不満なようで……。

 

嫁の役目

何度健康診断に引っかかっても義母は変わりません。「私はもう70歳よ? 好きなもの食べさせてくれてもいいでしょ?」「嫁なら姑の好みに合わせて料理するもの!」と主張します。

 

せっかく作った食事が捨てられているのを見ると、いつも悲しい気持ちになるのです。

 

せめて関与せずそれぞれの暮らしを維持できれば良いのですが、現実はそうはいきません。義母の分の家事は私の役目。通院の付き添いも私の担当になっています。

 

夫に相談しても状況は変わらず。「口は悪いけどさ、悪気はないっていうか……。父さんが亡くなって、ひとりで寂しいんだよ。もう少し理解して寄り添ってやってよ」と義母の肩を持ちます。「嫁なんだからそれくらいやって当然」とどこかで思っているのでしょう。


そんなに義母の肩を持つなら、お世話を半分請け負ってほしいとお願いすると「自分にはそんな時間がない」「そういうなら俺と同じくらい稼いでみろ」と言って拒否します。


夫の言葉からは、夫婦は平等ではない・自分のほうが偉いという考えが見え隠れしていたのです。

 

義母が倒れたのに!?

数日後の夕方、仕事をしている私のもとに義母から電話が入りました。「体調が悪い」と言う義母の声は、いつもと違い弱々しく聞こえます。


仕事を早退して急いで帰宅すると、義母はリビングの床に座り込むようにして、呼びかけにもすぐ反応できない状態でした。ただごとではないと思った私は、慌てて救急車を呼び、夫にも電話をかけました。


その日、夫は長期出張中。それでも母親の急病であれば、急いで帰ってきてくれると思っていたのです。

 

しかし夫は「どうしても抜けられない」「ちょっと疲れが出ただけじゃない?」「俺が帰っても何もできることはないからなー」と、まるで他人事。

 

「先生が話があると言っている」と伝えても、面倒くさそうに「聞いといてくれる? 俺じゃなくてもいいでしょ」と言い残し、一方的に電話を切りました。


検査の結果、義母は脳梗塞を起こしており、左側にまひが残る可能性が高いとのこと。今後の治療とリハビリ、介護についての説明は私ひとりで聞きました。 本当は今後の介護について、すぐに夫に相談したかったのに、その日は電話にすら出なかったのです。

 

義母はしばらく入院し、リハビリを経て、自宅での生活に戻ることになりました。左半身にはまひが残り、歩行には杖や手すりが必要です。トイレや入浴、食事介助も含め、日常生活には誰かの手助けが欠かせません。

 

施設への入所も検討したのですが、義母は費用面を理由に強く嫌がります。どのように支えていくかは夫が帰ってきてから相談することになっているので、当面は在宅で私がお世話するしかありませんでした。

 

夫の帰宅

義母の退院からほどなくして、夫が長期の出張を終え戻ってくることになりました。まもなく帰ってくるというそのとき、夫は電話をかけてこう言ってきたのです。


「あのさ……俺が家に戻る前に出ていってくれない?」あまりにも唐突な言葉に、思考が止まりました。


「どういう意味?」と聞くと、夫は気まずそうに笑いながら続けました。「今回のことで、俺もちゃんとしようと思って。お前がいると、全部頼りきっちゃうじゃん? だから、いい機会かなって……」

 

今までの経験から、夫がこんなことを言うはずがないと直感的に思った私。何か裏があると踏んで問い詰めると、次第に夫はボロを出し始めました。

 

「実は今回の出張で会社の後輩とずっと一緒だったんだよね。戻ったら別々に生活するなんて考えられないっていうか……」と夫。

 

つまり、夫は出張中に会社の後輩と関係を持ったそう。そのまま現地では夫婦のように過ごしていたと言います。その生活を帰ってからも続けたい、という話でした。

 

しかも、自分の浮気を私のせいにするから驚きです。「毎日聞かされる義母の愚痴にうんざりしていた」「あれでは家で気が休まらない」「そんな家庭、帰りたいと思えなくて当たり前だ」あまりにも身勝手な夫の言葉に、頭が真っ白になりました。

 

彼女には義母のことも話しているそう。夫は「『お義母さんのことも大事にしてあげたい』って言ってくれてるんだ。お前より愛嬌もあるし、母さんと絶対うまくやっていけるって。正直、お前とはもう無理だと思ってたし……」と続けます。


その瞬間、「ああ、この人は、もう私を妻として見ていないんだ」と悟りました。

 

夫の誤算

「わかった。荷物まとめて出ていくね!」と言った私。夫は嬉しそうな声で「ありがとな」と返します。

 

そして、私は努めて冷静にこう言いました。「お義母さんの介護、よろしくね!」


すると電話の向こうの夫は大慌て。無理もありません。夫は義母が倒れてからも一度も帰宅していませんでした。電話で相談しようとしても聞き流され、帰ってからにしてくれと話し合いを拒んでいたのです。


「倒れた日に電話したよね? 脳梗塞の後遺症で左半身にまひが残るかもって。その後何度も電話したのに、話を聞かなかったのは自分でしょ。お義母さん、トイレもお風呂もひとりでは難しいの。食事も見守りが必要だし、夜中にトイレに行くこともある」「今までは私がやってきたけど、これからは彼女と一緒に考えてあげて。あなたが選んだ相手なんだから安心だね!」


必要なことをすべて伝え、私は約束通り夫の帰宅に合わせて家を出ました。

 

夫と義母のこれから

私が家を出て、夫が彼女を連れて帰ってきた日の翌日、義母から電話がかかってきました。


「本当に出ていくつもりなの? 私を見捨てるつもりなの!? あんな子に世話になるなんてごめんだわ!」と泣きそうな声で話します。

 

義母曰く、夫が連れてきた彼女は義母を見てあからさまに嫌な顔をしたよう。トイレやお風呂など、汚れることや力仕事は無理だと言い切ったそうです。もちろん夫も満足な介護ができず、昨夜は散々だったと言っていました。

 

義母は震える声で、「あんな子より、あなたのほうがずっといい。今までのこと、本当に悪かった」と繰り返しました。

 

けれど、私の心はもう決まっていました。何度義母が謝っても、もう同じ生活に戻ることはできないのです。

 

その後、私たちの離婚が成立しました。どうやら、浮気相手は「介護なんて無理!」と逃げ出したそうで、一度夫は離婚の取り下げを提案してきましたが、そんなの虫の良い話です。

 

義母の介護は夫が責任を持って向き合うべきこと。いなくなって初めて、私が担ってきたものの重さに向き合うことになるのでしょう。

 

♢♢♢♢♢♢

 

ひとりで抱え込んだ日々、どれほどの負担と孤独を感じていたか、容易に想像がつきます。

 

「誰かがやってくれるだろう」という人任せな姿勢は、取り返しのつかない結果を招くこともあります。本当に向き合うべき場面から目を背けず、自分の耳で聞き、自分の意思で関わることの大切さを改めて考えさせられる体験談でした。


 

【取材時期:2025年11月】

※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

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    ライターベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

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