年末のあわただしさがピークを迎えていたころ――。
昇進が決まったばかりの私にとって、今年の仕事納めは人生の正念場でもありました。しかし、夫にとって私の仕事は、相変わらず暇つぶし程度の認識でしかなかったのです。
「新幹線の予約、俺の分だけでいいのか? 親戚の前で俺に恥をかかせたいわけじゃないだろ?」
夫はリビングのソファに深く腰掛け、テレビに目を向けたまま鼻で笑いました。夫は、年末、私が出張で義実家に行けないことを不満に思っているのです。
仕事で行けないと何度も伝えていたはずなのに、彼はまるで「聞き分けの悪い子ども」を諭すような、ゆったりとした口調で続けました。
「いいか、俺はお前のために言ってやってるんだ。嫁がいないなんて、親戚にどんな目で見られるかわかってるのか? 俺が甲斐性なしだから、お前が必死に働いているみたいじゃないか」「今からでも仕事を休んで、みんなに『遅れてすみません』って頭を下げればいい。あとは俺がうまくフォローしてやるからさ。それだけで丸く収まるんだぞ?」
彼は本気で、それが私に対する「やさしさ」だと信じ込んでいるようでした。自分のメンツを守るために私のキャリアを犠牲にすることを、彼は「折れてやっている」とすら表現したのです……。
突きつけられた「道具」としての離婚届
年末、出張先のホテルにて――。
夫からは何度も「本当に来ないのか?」「今ならまだ間に合うぞ」といったメッセージが届いていました。そして深夜には、義母からもメッセージが。
「あなたどういう教育を受けてきたの? 嫁が夫を1人で帰省させるなんて、世間様が許さないわよ」「仕事、仕事って、そんなに働いて偉くなったつもり? 女の仕事なんて、所詮は家の外での暇つぶしでしょう」
その攻撃的な文面から、義母が私を完全に見下しているのがありありと伝わってきました。
「嫁の分際で年末に帰省しないなんて!」
「離婚されたくなきゃ、今すぐ来なさい!!」
「……じゃあ離婚で」
「え?」
「離婚されたくなければ、今すぐ来い」という言葉は、かつて夫からも言われた呪いのような言葉でした。
実は、以前夫婦げんかをした際、夫は私を屈服させるために、署名済みの離婚届を私に突きつけてきたことがありました。「お前の代わりなんていくらでもいる。嫌ならこれを出せ。できないなら俺に従え」と――。
彼は私を怯えさせ、支配するための道具としてその紙を使っていたのです。そして、私はその紙をお守りのように持ち歩いていました。
「……わかりました。お義母さんのそのお言葉、そしてさっき届いた夫からの『勝手にしろ、さっさと出してこい』という連絡。すべて同意と受け取らせていただきます。離婚しましょう」
「離婚」の2文字をあらためて私が送ると、義母は面食らったようでした。
「は? あなた……」
私は義母をブロックし、これ以上返信するのはやめて、その夜、私は仕事の合間に役所の夜間・休日受付窓口へ向かいました。かつて私を脅すための道具だったあの紙を、私は自分の自由を取り戻すためのチケットとして提出したのです。
親戚の言葉と、剥がれ落ちた嘘
翌日――。
法事の段取りの確認という名目で、夫の親族の中で唯一、私の仕事を「頑張ってるわね」と応援してくれていた叔母に連絡を入れました。すると、叔母はひどく申し訳なさそうな、沈んだ声で打ち明けてくれたのです。
「義姉さんから聞いたんだけど……本当なの? 『うちの嫁は男狂いで、この年末も仕事と嘘をついて不倫相手と旅行に行っている。金使いも荒くて、息子が苦労している』って、親戚中に言いふらしていたのよ」「……でもね、みんなおかしいと思っていたの。あんなに一生懸命働いているあなたが、そんなことするはずないって」
義母は、私が「仕事で帰省できない」という事実を隠蔽するために、私の人格を泥まみれにする嘘を平然とばら撒いていたのです。義母の卑劣なやり口を知ったとき、悲しみよりも先に、「この人たちとは、同じ空気を吸うことすら耐えられない」という強い拒絶感が湧き上がりました。
私が否定すると、夫の叔母は「そうよね、そんなわけないとは思っていたわ」「私からも訂正しておくから、安心してね」と言ってくれました。私が離婚届を出したことを告げると、さすがに驚いていたようですが「無理もないわね」と苦笑いしていました。
空っぽな謝罪と、決別の問い
離婚届が受理され、すべてが終わったころ――。
元夫から「母さんが親戚に絶縁されそうで、ノイローゼ気味なんだ。一度戻って、誤解を解いてくれ」と連絡がありました。相変わらず、私を傷つけたことには一切触れず、自分たちの保身ばかり。
「やり直そう。俺も悪かったと思ってるから、全部水に流そう」
すがるような元夫の声に、私は1つだけ問いかけました。
「ねえ、具体的に何に対して謝っているの?」
「それは……その、全部だよ。お前を怒らせたこととか……」と口ごもる元夫。
「『全部』じゃなくて、具体的に言って。あなたが私のキャリアを『お遊び』と笑ったこと? 離婚届で私を脅して支配しようとしたこと? お義母さんが私の名誉を傷つける嘘を言いふらしたのを、黙って見ていたこと? それとも、自分のメンツばかり気にしてること?」
元夫は何も答えませんでした。答えられなかったのでしょう。私が何に傷つき、何に絶望したのか、その1つも理解していなかったのです。彼は「自分たちが困っている状況」をなんとかするためだけに謝っているのであり、私という人間に対しての謝罪の気持ちはなかったのです。
「この人とは、一生わかり合えない」――その確信は、何よりも清々しい結論でした。
その後――。
私は弁護士を通じて元義母からの名誉毀損と、元夫からの精神的苦痛に対する賠償の手続きを進めました。彼らは地元に居づらくなり、遠くへ引っ越したと聞きましたが、もはや私の人生には関係のないノイズでしかありません。
信じていた家族からの裏切り、そしてありもしない嘘による孤立。10年という月日を捧げた場所で、私の誇りは足蹴にされ続けました。自分を殺してまで守るべき「家庭」など、本当はどこにもなかったのです。
しかし、自分の尊厳を守るために冷静に事実を確認し、法的な手段も含めて毅然と行動したことで、私はようやく長い眠りから覚めたような感覚を味わっています。
あの日、夫が私を支配するために書かせた離婚届を、私自身の意志で窓口に提出した瞬間――あの夜の冷たい空気と、心に灯った小さな解放感は一生忘れません。
以前の私は、誰かに文句を言われないように、顔色をうかがうことばかり考えていました。でも今は、自分の頑張りを自分で認めてあげられる。それだけで、朝の空気がこんなにおいしいなんて知りませんでした。
「家族」という形に縛られていた自分を脱ぎ捨てて、手に入れたのは、自分の足で立っているという静かな自信です。
【取材時期:2025年12月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。