とある平日の午後11時すぎ――。
そろそろ寝ようかと思っているところに、義母からの着信がありました。
「お父さんが大変なの! 突然倒れて、さっき救急車で運ばれて……」
義父が急性心不全で救急搬送されたという知らせ。眠気は一気に吹っ飛びました。
しかし、義母の声は動揺しておらず、むしろなんだかうきうきしたような様子だったのです……。
お見舞いのドレスコード
私へのお小言はあったものの、義両親は仲睦まじい夫婦でした。そのため、私にはなぜ義母が高揚したような様子で話すのか、理解できませんでした。
それでも、一大事には変わりありません。すでに夫は仕事先から病院に向かったようだったので、私もすぐに行くと伝えたのですが、返ってきたのは予想だにしない言葉でした。
「今夜は息子と私が付き添いますから、あなたは来なくて結構。どうせ今来ても、取り乱して見苦しい姿を晒すだけでしょう? それよりも明日、きちんと身なりを整えてきなさい」「明日は会社の役員や関係者もお見舞いに来るかもしれないもの。うちの嫁なのですから、髪の毛1本の乱れも許されません。私たちがこれまで築き上げてきた信頼関係を汚さないように」
義母は元客室乗務員という経歴を盾に、常に「見られる側」としての立ち居振る舞いを私に強制してきました。私自身もTPOは守っているつもりでしたが、義母にとっては不十分だったようです。
さらに義父が経営する会社が成長するにつれ、義母はますます人を外見で判断するようになっていました。私が「外見だけで人の中身は判断できない」と言っても、「庶民出身のあなたには、うちの一族が背負う重みが理解できないのでしょう」とため息をつかれるだけ。
結局義母は、翌日のお見舞いのときの格好について何度も私に釘を刺したうえで、一方的に電話を切ったのでした。
義父が搬送されたという話を聞いたときから、その晩のうちに病院へ行ったほうがよいと考えていた私。夫に連絡を入れて相談することにしました。
「母さんが来なくていいって言ってるなら、いいんじゃない?」とどこか他人事の夫。私はもやもやとした気持ちが拭いきれず、義母が指定してきたお見舞いの"ドレスコード"についても打ち明けました。
夫は私の気持ちをわかってくれるはず――そんな甘い期待は、すぐに打ち砕かれました。
「母さんは必死なんだ。父さんが倒れた今、会社の信用を守れるのは、僕たちの隙のない姿だけなんだよ。母さんの言う通りに身なりを整えることが、君が唯一できる貢献だろう」
夫の言葉には、私へのいらだちが混じっていました。私はモヤモヤしたまま電話を切り、その日は眠れぬ夜を過ごしたのでした。
病床の写真の加工依頼
義父の意識は戻らぬまま、数週間が経過しました。その間、義母からの要求はさらにエスカレートしていきました。
最も困惑したのは、病床でチューブに繋がれた義父を囲んで撮影した「家族写真」の加工依頼でした。
「この写真は、主要株主や取引先への『良好な家族関係』をアピールするために使うわ。お父さんの顔色を健康的に修正して、背景の医療機器はすべて消しなさい。私たちが一丸となって支えているというストーリーが必要なの」
生身の人間としての義父の尊厳よりも、広報資料としての見栄えを優先する――その徹底した非情さに、私は強い嫌悪感を抱きました。
さらに義母は、存命中の義父の葬儀について、都内の名門ホテルを会場とした最高級プランの見積もり作成を私に命じました。
「お葬式なんて湿っぽいだけのものは、うちの家格には似合わないわ。一流の人間は、悲しみさえも華やかに演出するものよ。当日は弔問客を圧倒するような、最高の社交の場にするつもりですから」
彼女の中で、義父の死さえも自分の品格を誇示するためのステージに変わっていました。
「実務はあなたがやりなさい。ただし、当日の受付や接待は、私たちが選んだプロのスタッフに任せるわ。あなたのように品格の足りない人間が表に出ると、一族の格が疑われてしまうもの」
彼女にとって、私は便利な事務作業員であり、同時に隠しておきたい「不純物」でもあったのでしょう。私は義父に同情しながらも、そのときはもう反論する気力すら失っていました。
ただ静かに義母の言葉にうなずき、命じられたことを淡々と行うだけ。まるでロボットのようだと自分でも思いました。しかし、これは私の心を守るため、そしてこのいびつな義実家から逃げ出すための手段だったのです。
義父の葬儀当日の決別
数日後、義父は息を引き取りました。私は義母の言葉通り、通夜・葬儀のすべてを欠席しました。
夫には事前に「自宅で喪に服す」旨を伝えていましたが、葬儀の当日に彼は怒鳴り声で電話をかけてきたのです。
「父さんの葬儀に来ないなんて……!」
「嫁失格だぞ! 」
「何にも知らないのね……」
私は冷静に、義母とのこれまでの経緯と、参列を控えるよう命じられた事実を述べました。しかし夫は「そんなの、真に受けるなよ。親戚もいるのに、僕の顔に泥を塗るつもりか?」と言って聞きませんでした。
最終的に夫は「君みたいな人と結婚したのが間違いだった」と言って、一方的に電話を切りました。
しかし、その1時間後――。
一転して、悲鳴のような声で夫が再び電話をかけてきたのです。
「助けてくれ! 今すぐ来てくれ! 母さんがとんでもないことを!」
葬儀だというのに、義母は1人だけイブニングドレスのような派手な装いで現れたというのです。義父の弟、夫にとっては叔父にあたる人物が「まるで葬儀を楽しみにしていたみたいな格好だな」と激怒しているそうで、葬儀はめちゃくちゃ。
「親戚から『嫁はまだ来ないのか』って聞かれたときも、『あの子はうちの品格を下げるから来るなって命じておいたの』って言うし! もうみんなドン引きだよ!」
夫は「今すぐ来て、この場を収めてくれないか」と言っていましたが、私の手には負えません。
「私みたいな嫁が行ったら、逆に混乱を招きそうなのでやめておきます」「品格を下げるような嫁を今さら呼ぶなんて、あまりに無様ではないですか」
私はそう答え、電話を切りました。そして、手元の書類に目を落とします。すでに私のもとには、弁護士を通じて作成した離婚協議書がありました。
見栄ですべてを失った義母と夫
葬儀後の混乱は、そのまま会社の問題へと発展しました。義母の葬儀での立ち振る舞い、そして以前から問題視されていた会社経費の私的流用の疑いが、親族株主や社外取締役によって厳しく追及されることになったのです。
夫もまた、母親を制御できず、かつ公私の区別がつかない人物として、次期社長候補のリストから正式に除外されました。
夫からは「お前が親族を説得してくれれば、まだ修復できる。家族の絆を見せれば、取締役会も納得するはずだ」という、なりふり構わぬ泣きつきが続きました。しかし、私は説得しようもないのです。離婚の意志と直接交渉の拒否を伝えると、夫は絶望したようにうめいていました。
離婚手続きはすべて弁護士を介して行いました。すでに自宅から実家へ荷物は運びだしていたため、夫と顔を合わせることはありませんでした。夫から離婚について聞いた義母は最後まで「弁護士を入れたなんて」「うちの家格に傷がつく」と騒ぎ立てていたようです。
その後――。
現在、離婚の手続きはすべて完了し、私は旧姓に戻って新たな生活を送っています。
あの日々を振り返って思うのは、誠実さのない「品格」がいかにもろく、残酷なものであるかということです。義母や夫が守ろうとしたものは、他者を見下し、自分たちを特別に見せるための、中身のないただの見せかけに過ぎませんでした。
TPOを守りつつ、自分の着たい服を着て、自分の意志にそって行動する――次期社長夫人としての生活よりも、今の暮らしのほうが私らしく生きていける気がしています。
【取材時期:2025年12月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。