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「抗体が少ない?」検査で発覚した思いもよらぬ事実とは? #2

不妊治療体験者の声を取材した連載、第4回目となる今回は、凍結していた3つ目の受精卵を体に戻すかどうか悩んだという松本あゆみさん(39・仮名)の場合。検査で発覚した思いもよらぬ事実とは?25歳で夫を養子に迎えて結婚、不妊治療で子どもを授かるまでのお話です。

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医師杉山 力一先生
産婦人科 | 杉山産婦人科 理事長

平成10年、北九州セントマザーに国内留学し体外受精の基礎を学び、平成12年に杉山レディスクリニックを開院。平成19年、産婦人科総合施設杉山産婦人科としてリニューアル。現在は杉山産婦人科グループ3院の理事長を務める。また、政府へ不妊治療助成金の増額を求め、菅総理との話し合いをするなど精力的に活動する。監修著書『男の子女の子が欲しい!あかちゃんの産み分けがわかる本』(主婦の友社)など多数。
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現在、子どもの約16人に1人が体外受精によって生まれています。今回は凍結していた受精卵を体に戻さないことを決断した女性の物語です。ケース4、松本あゆみさん(39・仮名)の場合。

 

産婦人科クリニックを受診するものの、あゆみさんの体に特に異常はなし。特に問題はないのに、薬を飲むことに抵抗を感じ、通院を辞めてしまったけれど……。

 

不妊治療を決意するも初診まで3カ月待ち

現状が変わらないまま、あゆみさんは33歳になっていた。本気で赤ちゃんを望んでから6年。高齢出産となる「35歳」が近づいていた。漠然とした不安が、いよいよ大きな焦りとなって襲いかかって来た。思い悩むあゆみさんに寄り添ってくれたのは、またしても母だった。

 

「近くに不妊治療専門の評判のいいクリニックができたってお友だちから聞いたから、行ってみたら?」

 

母が紹介してくれたクリニックは、県外からもたくさん人が集まる有名クリニックだった。連絡すると、初診の前に説明会に参加しなければならないとのこと。その説明会が2カ月待ちだった。

 

ようやく順番がめぐってきた説明会には、県内外から40人ほどが参加していた。人数の多さに圧倒された。質問をする人、熱心にメモをとる人。みんな真剣だった。説明会後、初診の予約を取ると1カ月先だった。質の高い不妊治療を、これほど多くの人が求めているという現実を知った。

 

「風疹の抗体が少ない?」不妊治療が始められない焦り

ようやく本格的な通院が始まった。夫婦で検査をすると、あゆみさん側に思いがけない検査結果が出た。

 

「風疹の抗体が少ない」

 

子どものころに風疹のワクチンを打っていたはずだったが、「まれに抗体が低下してしまうことがある」と伝えられた。

厚生労働省によると、妊娠20週頃までに風疹ウイルスに感染すると、胎児の目や耳、心臓などに障がいを持つ「先天性風疹症候群」にかかる可能性がある。


2013年を中心に国内で流行し、45人の先天性風疹症候群の患者が報告された。不妊治療に入る前に、ワクチンを接種することになった。ただし、接種後2カ月間は妊活や不妊治療はできない。

 

初診まで3カ月かかった挙句、ワクチンで2カ月待機。今すぐにでも授かりたかったのに、5カ月近く足踏み状態が続いた。夏に受けた説明会から季節は流れ、街はクリスマスでにぎわっていた。

 

人工授精にチャレンジするも3連続失敗……

待ちに待った不妊治療が始まったのは年末。早々にタイミング法は諦め人工授精に移行したものの、3回連続で失敗。3回目が終わったとき、医師から体外受精と顕微授精(顕微鏡下で精子を卵子の中に注入する)をすすめられた。

 

結論から言うと、授からない原因は夫にあった。

 

夫側の検査結果が良くなかったのだ。精子の質や量、動きがあまりよくないという結果だった。けれども夫を責めることはできなかったし、今もそのことを直接口に出したことはない。

 

人工授精のチャレンジはまだ3回だったが、成功の可能性が高くなる体外受精にステップアップすることに、大きな迷いはなかった。ただ、覚悟はいるなと思ったという。

 

「体外受精になると卵胞を育てるために自己注射が必要になるんです。筋肉注射も始まります。負担が増えるのは私ばかりなので、それなりの覚悟が必要でした」

 

 

画像提供:松本あゆみさん(仮)

 

夫は「そこまでしなくていいよ。2人だけの人生もいいじゃん」と気遣ってくれた。でも江戸時代から続く実家を継ぐ使命感と、“跡継ぎ”を求める親戚からのプレッシャーも感じていた。

 

「夫に養子にまで来てもらったのに、私の代で途絶えてしまうのは耐えられなかったんです。それに子どもが好きでしたから、少しでも早く授かりたいと思いました」

 

不妊治療を通し、お互いのやさしさで支え合うように

治療がステップアップしたことで、あゆみさんの負担は明らかに増えた。1日2本の自己注射、5種類の薬の服用、そして貼り薬。皮膚が弱いあゆみさんにとって、貼り薬もなかなかの苦痛だった。妊娠しやすい時期にかけて貼る枚数が増えていき、多いときはおなかや腕に8枚。体中貼り薬だらけだった。

 

通院回数も増えた。予約していても毎回3時間待ち。通院は変則的で、診察してみないと次にいつ診察すべきかわからず、計画的に仕事を休めないのもストレスだった。そんな不満を夫にぶつけても、いつもやさしく耳を傾けてくれた。

 

「自分のせいだ」と夫なりに責任を感じていたのかもしれない。
通院も嫌な顔一つせず付き添ってくれた。夜勤明けで一睡もしていないときもあった。だから自宅で自己注射するときは、できるだけ夫のいないときにこっそり打つようにした。


「痛い思いしておなかや太ももに注射を打ってる姿を、夫に見せつけるのも悪いなって思いました。夫が自分を責めてしまいそうだと思って」

 

あゆみさん夫婦は、不妊治療を通して絆が深まっていった。お互いへの感謝や思いやり。やさしさで支え合うようになっていた。

 

全身麻酔で採卵 顕微授精も1回目で成功

全身麻酔で卵巣から卵胞を取り出す、採卵の日を迎えた。やはり夜勤明けの夫が一睡もせず付き添ってくれた。結果、質のいい卵胞がたくさん取り出せた。

 

いよいよ次のステップは、精子を卵子に振りかける「体外受精」と、顕微鏡で拡大しながら医療の手で受精させる「顕微授精」だ。もう医療に委ねるしかなかった。

 

翌月、クリニックを訪れると医師が晴れやかな表情で言った。


「顕微授精、うまくいきましたよ!受精卵として成長してます。3つあるうちの一番いい受精卵を、おなかに戻しますからね」

 

すぐには実感が湧かなかったが、クリニックは受精卵の映像を用意してくれていた。細胞分裂した受精卵が3つ、それぞれ動いていた。夫婦2人で食い入るように見た。

受精卵を1人、2人と表現。命のもとを実感

映像を見せてくれた担当者は、受精卵を1つ、2つ、と数えるのではなく、1人、2人と表現した。

 

どきっとした。

 

「1人、2人という言葉を聞いて、あぁ、ここにあるのは”命のもと”なんだって実感しました。これを私の体に戻せば妊娠できるかもしれないって思うと、感動が込み上げてきました」

 

採卵から約2カ月、受精卵をおなかに戻す時期がやってきた。処置はあっという間に終わったが、「私のところに来てくれたんだ」という感動が体の底から湧いた。心なしか体がぽかぽかし、神秘的な気持ちになった。

 

次の受診日、診察室へ入るや否や医師がこう言った。


「おめでとうございます。陽性です」

 

クリニックを出てからようやく実感が湧き、涙が止まらなくなった。母にもすぐ電話した。受話器の向こうから、母のやさしいすすり泣きが聞こえた。

 

母子手帳をもらうころ、クリニックを卒業した。最初に参加した説明会からちょうど1年。同じ季節でも、クリニックの外の景色はまるで違う色に見えた。妊娠の経過も順調で、予定日を10日過ぎ、吸引分娩で元気な男の子を出産した。35歳の初夏だった。

 


無事に待望の第一子を妊娠、出産したあゆみさん。しかし、凍結している受精卵をめぐり、夫や親族と揉めてしまう事態に。果たして、その理由とは?

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      不妊治療を夫婦で頑張られましたね!お子さんの誕生おめでとうございます!

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    著者プロファイル

    ライター大楽眞衣子

    社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。

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