古い価値観の義家族
同居する義両親とは表面上は穏やかに暮らしていましたが、義母は「女は家事をして当たり前」、義父は「嫁は夫に従うべき」といった古い考えを持ち、嫌みを言われることも少なくありませんでした。夫も直接きつく当たることは少ないものの、義両親の影響を受けやすいタイプ。
そんな中、「出産は帝王切開になるかもしれない」と話すと、義母は「陣痛に耐えてこそ母親になれるのよ。おなかを痛めない出産なんて母親失格」と批判。義父も「ラクをするな」と言い、夫まで「みんな普通に産んでるんだから、お前だってできるだろ」と同調しました。
私はただショックで黙るしかありませんでした。
出産直後の私を追い詰める言葉
義両親や夫から心ない言葉を浴びせられたあと、私は大きな不安を抱えながら出産の日を待つことになりました。相談しても夫は「気にしすぎだろ」と言うばかりで、味方になってはくれません。
義両親とも必要最低限しか会話をせず、孤独を感じながら毎日おなかに手を当て、「赤ちゃんだけは守らなきゃ」と自分を奮い立たせていました。
そして迎えた出産当日。長時間の陣痛に耐えましたが、途中で陣痛が弱まってしまい分娩が進まず、最終的には医師の判断で緊急帝王切開となりました。
命がけで娘を産んだ私に対して、夫や義母は「結局ラクしたな」「母親らしくない」などと心ない言葉を浴びせてきました。体も心も限界に達していた私は、ただ涙をこらえるしかありませんでした。
義祖母の言葉に救われて
退院後、義祖母が家に来てくれました。私の顔色を見て「少しやつれたんじゃない?」と心配そうに声をかけてくれたのですが、その場で義母が「あら、この子は帝王切開だったのよ。ラクして出産したんだから大丈夫よ」と笑いながら言ったのです。夫も「そうそう、切ったらすぐ産めたもんな」と軽く同調。
その瞬間、義祖母の表情が一変しました。「帝王切開がラクなはずないだろう! おなかを切るのは命がけなんだ!」と声を荒らげ、義両親と夫を厳しく叱ったのです。
その後、私を部屋の外に呼び出して「本当はどうなの? ここの家族とやっていけそう? つらい思いをしてるんじゃない?」と静かに尋ねてくれました。私は義祖母の前でようやく張りつめていた気持ちがほどけ、これまで我慢してきた思いを涙ながらに打ち明けました。
義祖母は真剣に耳を傾け、「あなたの人生なんだから、我慢ばかりする必要はないよ」とやさしく背中を押してくれたのでした。
離婚を決意した私
義祖母の言葉をきっかけに、私は離婚を考えるようになりました。しかし夫は「離婚じはしない。子どもは俺の子だ」と最初は拒否。私は両親にも相談し、何度も話し合いを重ねましたが、夫は私に家事や育児を丸投げで、態度を改める様子はありませんでした。
最終的に「このままでは娘を幸せにできない」と思い、私は強く離婚を求めました。義祖母も「これ以上彼女を苦しめるなら、いくら孫でも許せない。離婚を受け入れなさい」と夫に言い切り、夫は渋々同意。養育費を取り決め、ようやく離婚が成立しました。
離婚後、私は娘と実家で暮らし、子育てと仕事に追われながらも穏やかな日々を送っています。義祖母とは今でも連絡を取り合い、時々娘にも会いに来てくれます。「この子の成長を一緒に見守れるのが楽しみだね」と笑ってくれる義祖母の存在は、私にとって大きな支えです。
ある日、お風呂で娘に「ママのおなかのキズなあに?」と聞かれたので、「これはママの勲章なんだよ」と答えた私。義祖母にこの話をすると、「その通りだよ」と頷いてくれました。出産はどんな方法であっても奇跡です。命を生み出すことに優劣はないと、今なら胸を張って言えます。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。