義母の冷たい言葉。さらに夫まで…
しかし、義父母と同居しながらの妊娠生活は、想像以上に厳しいものでした。
つわりで動けない私に義母は「妊娠は病気じゃない」「つわりくらいで家事をサボるな」と冷たい言葉を浴びせてきます。
夫に相談しても「母さんがいるおかげでラクできているのは事実だろう?」と言うだけ。
精神的にもつらかったのですが、自分の体調のことだけを第一に考え、なんとか臨月を迎えました。
そんなある日、義母から義姉が結婚したという報告が。
式場のキャンセルが出て、急きょ1カ月後に式を挙げることになったのですが、その日はまさかの私の出産予定日。
参列を辞退した私に、夫は「“予定日”なんだから、その日に確実に生まれるわけじゃないんだろう?」と不満顔。
さらに「お前が自分の都合で親族の行事をパスするなら、俺も出産に立ち会うのはやめるわ」と言い放ったのです。
出産を“私の都合”と、まるで私がわがままで欠席を選択しているかのような言い分にあぜんとしましたが、もはや言い返す気力もなく「わかった」とだけ返しました。
義父母にも散々嫌みを言われ、出産までの1カ月、心が休まらない日々が続いたのでした。
出産当日、孤独な陣痛
そして迎えた出産予定日=義姉の結婚式当日。
夫も義父母も私を置いて出かけてしまい、私は家にひとり残されました。
その直後、おなかの張りと痛みを感じ、それは徐々に強くなっていきました。
「これは陣痛だ」と思い、私は急いで夫に電話しましたが、どうやらスマホの電源を切っているようで、つながることはありませんでした。
私は孤独なまま陣痛に耐え、夕方ごろ病院から「来てください」と指示があったため、病院へ向かうことに。
ちょうどそこへ、夫と義父母が帰ってきました。
義母の最低発言で我慢の限界に!
義母は開口一番、私に向かってこう言い放ちました。
「やっぱり予定日当日に生まれなかったわね! 結婚式に参列できたじゃないの! 非常識な嫁は、この家から出て行きなさい!」
義母は私が今まさに陣痛に耐えいていることに気づいていないようです。
いよいよ我慢の限界を感じた私は、こう答えました。
「わかりました。私も、もうあなたたちと家族でいたくありません! でも、この家から出て行くのは、あなたたちのほうなので!」
私の言葉を聞いてハッとした様子の夫。重大なことを思い出したようです。
そう、この家は私が結婚前に自分で購入した、私名義の家。
夫は浪費癖があり貯金もなく、収入も私より低いのですが、義父母はそのことを把握していないようで、「どういうことなの?」と首をかしげています。
家を出て行くのは誰?
陣痛が始まり出産目前の私に詳しく説明する余裕はなかったので、家の名義は自分であることや、夫は貯金がまったくない浪費家で、家計を支えていたのも私であることを端的に伝えました。
ずっと「息子が買った家」だと思い込んでいた様子の義父母はみるみる顔色を失い、夫は冷や汗をかいています。
夫も義父母も焦りだし、取り繕うような言葉をかけてきましたが、もう相手にする時間はありません。「もう離婚するので、この家から出て行ってください」と言い残し、迎えにきたタクシーに乗って私は病院へ向かいました。
その後、私は無事に元気な男の子を出産しました。
退院してからは赤ちゃんのお世話で精いっぱいでしたが、出産前に伝えた通り、夫と義父母とは距離を置くことを決めました。
すぐに出て行ってもらうことはできませんでしたが、私が家の名義人であることは事実。
話し合いの末、夫と義父母はしばらくして家を出ていきました。
離婚についても時間はかかりましたが成立し、私は息子と2人で新しい生活を始めることができたのです。
妊娠中の不安に加え、義家族の冷たい態度が重なり、私は心身ともに追い詰められました。赤ちゃんと自分を守るために彼らと決別し、親子2人で新しい生活を選んだことは正しい決断だったと思います。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。