貧乏をからかうクラスメイトと、その母親
ある日、娘と激安スーパーで買い物をした帰り道、同じクラスの子とその母親に偶然会いました。
私が激安スーパーの袋を持っているのを見て、その子が「ねぇママ、ほら見て。やっぱり貧乏だったでしょ」とわざと聞こえるように言い、母親も「かわいそうに〜。あなたは将来、ああいう生活しなくて済むように、ちゃんと勉強しなさいよ」などと、私たちを見下すような目で見てきたのです。
さらにその母親は私に向かって、「来週の参観日で、作文コンクールの結果が発表されるんですって! うちの娘は受賞するだろうから心配ないですけど。お宅の環境じゃ、お子さんに十分手をかけてあげられないだろうだから、厳しいんじゃないかしら?」と、鼻で笑いながら言ってきました。
こちらが言い返す隙もなく一方的に話し終えると、勝ち誇ったようにその場を立ち去っていく親子。
娘は下を向き、小さな声で悔しそうに「なんであんなこと言うの……」とつぶやきました。
私は胸が痛みましたが、娘の前で悲しい顔は見せたくなくて、努めて明るく振る舞うことに。
「いいのよ、気にしなくて。うちはうち。他人がどう言おうと、私たちは幸せだし、あなたが頑張ってることはちゃんと私が見てるよ。自信持って」
そう言って娘の手をぎゅっと握り、家まで歩いて帰りました。娘が少しだけほほ笑んでくれたのが、せめてもの救いでした。
参観日で浴びせられた、信じられない暴言
迎えた参観日。子どもたちが一人ずつ「将来なりたい大人」というテーマで作文を発表する時間がありました。
私の娘の番がきたそのとき、例の母親が突然、「先生! 先にうちの子の発表を聞かせてもらえません? 正直、他の子は参考にならないというか……」と周りの人に聞こえる声で言い出したのです。
そして、「ほら、家庭によってレベルがあるでしょう? ひとり親だと、やっぱり教育も十分に受けられてないでしょうから……、むしろ発表しないほうがその子のためかと」と、信じられない暴言を吐きました。
教室が一瞬凍りついたそのとき、担任の先生が冷静に告げました。
先生から告げられた、まさかの結果発表
「本当は子どもたちの作文を先入観なしに聞いていただきたかったのですが……先に結果を発表します。作文コンクールで優勝したのは……彼女です!」
そう言って、娘の名前が読み上げられた瞬間、教室はざわつきました。
例の母親は「そんなはずない!」と声を荒らげて信じようとせず、大騒ぎ。
すると、担任の先生が落ち着いた声で言いました。
「みなさん、子どもたちは日々、私たち大人の姿をよく見ています。そして、言葉よりも行動から多くを学んでいるものです。今回の作文コンクールでも、それがよくわかる結果でした」
そして先生は、私の娘の作文を紹介しながら続けました。
「この作品には、他者を思いやる心や、困難の中でも前向きに生きようとする姿勢が丁寧に綴られています。それは、ご家庭で日々どんな言葉をかけられ、どんなふうに育てられているのかが伝わってくる内容でした」
教室には静けさが戻り、あの母親もさすがに言葉を失った様子でした。
私は先生の言葉を聞きながら、娘のこれまでの頑張りと、日々の小さな積み重ねが報われた気がして、胸がいっぱいになりました。
「母のような人になりたい」娘の作文に涙
その後、先生にう促されると、娘は前に出て作文を読み上げ始めました。
「私の母は、困っている人を放っておかず、いつも前向きな気持ちで周りを明るくしてくれる人です。私は、そんな母を心から尊敬しています」
「私も将来、母のように強くてやさしい、誰かの支えになれる大人になりたいです」
その言葉を聞いて、思わず涙がこぼれてしまった私。教室中から温かい拍手が響き渡り、娘の表情も、少し誇らしげでした。
参観日が終わり、保護者たちが帰り支度をする中、あの母親が私たちに視線を送ってきたので、声をかけた私。
「あなたの娘さん、本当はやさしい子だと思いますよ。きっと“そうやって生きなきゃいけない”って、誰かから教えられてきただけ。だからこそ、今、あなたがどう接するかが大事なんじゃないでしょうか」
その言葉に、彼女は何も言わず、少しの間うつむいていました。
その後、学校からの帰り道で私は娘に言いました。
「大人だって、子どもと同じように間違えることはあるよ。でも大事なのは、そこに気づいて、どう向き合っていくかなんだよ」
「ごめんね」と言ってきたあの子の変化
その翌日、あのクラスメイトが、娘に近づいてきて「今まで、ひどいことを言ってごめんね」と謝ってくれたそうです。
そして放課後、彼女の両親も揃って私たちの家に訪れ、丁寧に頭を下げてくれました。
娘は「いいよ。仲直りしよう」と伝え、それから二人は少しずつ打ち解けて、今では一緒に遊ぶ姿も見られるようになりました。
幸せの価値は、お金の多さや見栄えの良さだけではありません。
日々の暮らしの中で、誰かを思いやる気持ちを持つこと。大切な人と支え合って生きること。
娘の姿から、私自身が改めて大切なことに気づかされた出来事でした
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
幼いうちに改心できたのならよかったけど。