初めて夫が怒鳴った日
ある日のこと。彼女は食卓につくやいなや、しょうゆを私のほうに飛ばしてきました。手が滑ったと言っていましたが、どう考えてもわざととしか思えません。これがわが家の日常茶飯事です。
すると、いつもは気まずそうに私に謝る夫が、ひどく怒って娘を怒鳴りました。彼の怒鳴り声を聞いたのは、後にも先にもこのときだけです。本当にびっくりでした。
夫は、娘の態度に激怒し、成人したら家を出ていくように言いました。今すぐのことではないと考えた娘は、痛くもかゆくもないという顔でごはんを食べ、片付けもせずに自室へ戻っていったのです。
夫は、自分と結婚したばかりに嫌な思いをさせていると、私に謝り続けていました。今思えば、夫は元気がなく顔色も良くありませんでした。
夫が大病を患っていることを告白されたのは、このすぐ後のこと。すでに医師から余命宣告をされていました。
他界した父の前で娘が放ったひと言
その話を聞いた私の頭の中は真っ白に……。夫がいなくなった後のことを考えると手が震えるほど苦しくなりました。
ボロボロ涙をこぼす私に、夫は苦労をかけると謝り、生きているうちに精一杯のことをすると約束してくれました。思えば、先日娘を怒鳴ったのも、自分が亡き後のことを考えたからだったのでしょう。
1年後、夫は逝去。葬儀を終えて、私が仏壇の前で泣いていると、娘がやってきて「他人は家から出ていけ」と冷たく言い放ちました。
彼女は、父親が病気と闘っているときも父親の余命を知ったときも、まるで他人事のようでした。他人の私を家に迎え入れた夫に、相当の恨みを抱いていたようです。
亡くなったばかりの父親の仏壇前で、ニヤニヤしながら遺産の話を始めたときには、悔しさすらありました。こんなふうに育ってしまったのは前妻の影響が大きいとは思いますが、夫、そして私の責任でもあります。
少しでもまともな人間になるように反省させるべきだと、強く思ったのです。
娘に隠していた秘密
「出ていくのは自分のほうだよ」私は、娘に真実を伝えることにしました。
実は娘は、夫の姉が不倫をしてできた子ども。義姉は出産後に「娘をよろしく」という手紙を残して行方をくらましたそうです。やさしい夫は義両親に代わり、姪を引き取って育てていたのでした。
いっときは養子にする話もあったようですが、そもそも前妻は引き取ることにすら大反対! 養子にするなどあり得ませんでした。そんな前妻は、子育てもいい加減。衝突を避けたいがために甘やかして育てたようです。
私たちが再婚するときも、夫とよく話し合いました。悩んだ結果、反抗期が終わった時点で真実を話そうと決めていたのです。しかし、娘の反抗期は18歳を目前にしても終わらず、今に至ります。
娘には夫が言っていた通り、成人になったら家を出てもらいます。また、遺産も娘には遺さないと遺言書にありました。厳しいようですが、これが夫の愛情。娘が生きる力を身に付けるためには、これしかないのです。
娘が最後に残した言葉とは
娘が成人して家を出ていく日、去り際に残したのは「人でなし!」 というひと言。最後まで娘の態度は変わりませんでした。
1カ月後、困った娘が泣きついてきて、これまでのおこないを反省していましたが、私がドアを開けることはありません。もう手遅れなのです。「世間は甘くない。これまでのことをすべて反省して、1人で生きていきなさい」 そう言って、別れを告げました。
血のつながりを超えた愛情を受けていたにもかかわらず、感謝の気持ちを持たず、自分のことばかり考えていたようですね。血がつながっていなくても、素敵な家族はたくさんいます。そんな関係性を築くチャンスはたくさんあったのに、残念でなりません……。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。