余命宣告を受けた母
医師からは「すでに完治は難しい。余命も限られている」と告げられました。骨髄移植という選択肢もありましたが、70代の母には負担が大きすぎると判断され、抗がん剤治療を選択することになりました。
入退院を繰り返し、輸血を受け、日に日に痩せ細り、食欲も失っていく母の姿を見るのは、本当につらい日々でした。それでも母は驚くほど気丈で、余命を宣告されても「災害や事故で亡くなる人もいる。私は決められたときまで生きられるんだ」と前向きに受け止めていました。
突然の別れ
2023年の秋、母の容態は悪化し、入院か在宅医療かを選択しなければなりませんでした。母は迷わず在宅医療を選びました。残された時間を病院のベッドの上で、窓も開けられず、自由に動くこともできず、面会も制限された中で過ごすのは嫌だったのでしょう。
母にとって歌うことは生きがいでした。亡くなる4日前、微熱があるにも関わらず、合唱祭に出演したのです。「どうしても行きたい」という母の強い意志を感じました。
その翌日、母は1日中ベッドで過ごしていました。疲れが出たのだろうと思っていましたが、その2日後の朝、寝室で倒れている母を発見しました。すぐに訪問医療の先生を呼びましたが、すでに意識はなく、救急車で病院に運ばれたあと、夜中に息を引き取りました。最期のお別れを言うことさえかないませんでした。
なぜ母ばかり……やるせない気持ちに
白血病に3回も罹患するなんて、本当に稀なケースだと聞きました。パーキンソン病や橋本病、膝の痛みにも悩まされ、なぜ母にこれほど多くの病気が降りかかるのか、とやりきれない気持ちになりました。
「乗り越えられない試練は与えない」という言葉がありますが、母は本当に強い人でした。病気になってからも、外では弱さを見せず、いつも通りの振る舞いをしていたそうです。もしかしたら、そんな母の強さに、病気がつけ入ってきたのかもしれない、そんな考えが頭をよぎりました。
まとめ
どんなにつらくても、私たちの前では決して弱音を吐かなかった母。誰にもみとられることなく逝ってしまったのは、もしかしたら最後まで弱みを見せたくなかったからかもしれません。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
著者:北山遥/40代女性・パート。
イラスト:おんたま
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2024年10月)
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