家事や面倒ごとをすべて押しつけられ、一緒の食卓にもつかせてもらえない生活を続けていた私。私の心は疲弊してしまい、すでに義母たちに反抗する気力を失っていました。
義母から「娘の結婚が決まって、超エリートのお相手がうちにご挨拶に来るの!」「家事しかできない無能なあんたは家政婦みたいなもんなんだから、その間どっかに出かけてなさい!」と言われても、ただうなずくことしかできませんでした。
しかし、私が挨拶の場にいなかったことを義姉は不審に思ったようで……?
真っ当な考えの持ち主
「どうして今日、私の結婚挨拶の場にいなかったのよ!?」「私にも婚約者にも失礼だと思わなかったの!?」と、怒った義姉から電話を受けた私。
「ごめんね……」と謝るも、義姉は「ちゃんと理由を説明して!」と譲りません。仕方なく、私は義母に「家にいるな」「家政婦のようなお前は客人の前に出るべきじゃない」と言われたことを打ち明けました。
しばらく間をおいて、義姉は「嘘でしょ……よく嫁姑問題は聞くけど、うちでもそんなことが起きるなんて……」とつぶやきました。「それで、今日の実家もなんだかおかしかったのね……」と何やら合点がいった様子。
「お母さんがお茶を出そうとしてくれたんだけど、食器の位置すらわかってないんだもん」「それに、私があなたがどこにいるかって聞いても、お父さんお母さんどころかお兄ちゃんまで、『あいつはいいんだよ』『いてもいなくても変わんないから』って言うし……」
どうやら、私がいなかったことで挨拶の場の空気はかなり悪かったようです。義姉に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
「ごめんなさい。私のせいで恥をかかせてしまって……」と謝ると、「あなたが謝る必要なんてないでしょ?」「嫁を見下して家政婦扱いって……そんなダサいことしてるお母さんたちが私に恥をかかせたのよ!」と義姉。
そして、義姉は少し声を和らげ、「どうして出ていかないの?」と聞いてきました。私は素直に、「荷物をまとめようとした時点で気づかれるだろうし……」「それに、通帳も何もかも全部お義母さんと夫が管理しているから、出ていってもやっていけないし……」と答えました。
「な、何よそれ……めちゃくちゃ最悪な同居生活じゃない」と怯えたような声で言った義姉。私自身、長年この生活で感覚が麻痺してしまったようで、何も感じなくなってきてしまっていました。
「よし、わかった!少しだけ私に時間をちょうだい!」「すぐにできなくて悪いけど、私が実家から出て行くチャンスを絶対につくるから!」と明るい声を出した義姉。
そして、「出て行くなら離婚しかないからね」「だから、弟と離婚する覚悟を決めておいて」「一度出て行ったら後戻りはできないんだから」と真剣な声で言ってくれました。その言葉で、私はあらためて自分の置かれている状況と、これから自分がどう生きていきたいかを考えることとなったのです。
結婚式からの強制退場
3カ月後、義姉の結婚式当日――。
新婦である義姉の控室に、夫、義両親とともに行った私。義姉は私の姿を見て、すぐさま声を荒げました。
「ちょっとアンタ!ふざけないでよ!」「私たちの大事な結婚式なのに、その地味な恰好は何!?」「まさか、この晴れの日に私に恥をかかせるつもりなの!?」
私はすぐさま「ご、ごめんなさい」「控え目にしたんですけど、地味すぎましたか……?」と謝りました。しかし、「あーあ、やっぱりお母さんたちの言うとおり、あなたってパッとしない嫁なのね」「いるだけで結婚式の空気が悪くなるわ」と義姉の勢いは止まりません。
「私の結婚式にアンタの席なんてないの。見苦しい家政婦嫁なんて来なくていいから」
「今すぐ帰って、家事でもしてちょうだい!」
「わかったわ、お義姉さん」
「ピッカピカによ…。ね…?」
これだけ言われているのに、義実家の面々は義姉を一切止めません。それどころか、義母は「さすが私の娘!無能嫁の扱い方をしっかりわかってるわね!」と義姉を褒め出しました。
一瞬、義姉はショックを受けたような顔をしましたが、再び私に向かって「とっとと消えなさいよ!」と言いました。
その義姉の言葉を受け、私は顔を覆い、その場から走って逃げ、義実家へ帰りました。そして、義姉と前々から立てていた計画通り、記入済みの離婚届を置いて、荷物をまとめて自分の実家へ戻ったのです。
新たな人生の幕開け
その日の夜――。
「あんた今どこにいるのよ!?」「なんで離婚届が置いてあるの!?」と義母や夫から連絡が。
「いやぁ~素敵な日になりましたね」「ご自慢の娘さんは挙式、そして無能嫁の私は離婚」「義理とはいえ、姉妹そろって人生の大きな節目を同じ日に迎えられるなんて!」と言うと、義母は言葉を失っていました。
義姉と話すことが増えて、私も正常な感覚を取り戻したのです。もともと、私は言われたらとことん言い返すタイプ。長年の同居生活で失ったもののなかには、時間やお金だけでなく、私らしさも含まれていたようです。
「勝手に離婚するなんて絶対に認めないわよ!」と声を荒げる義母に対し、「反対してもいいですけど、そのときは離婚調停にうつるだけ」「同居中の暴言の数々も記録して証拠があるので、慰謝料も請求させていただきます!」「このあとの連絡は全部弁護士さん経由でお願いします!」と言い返しました。
その後――。
優秀な弁護士さんのおかげで、なんとか私は夫と離婚することができました。慰謝料も希望通りの金額をゲットできました!
逃亡のための資金まで貸してくれた元義姉には、結婚のご祝儀とあわせてそこそこの金額を渡しました。「もし結婚生活で悩んだときは、次は私が助けますね」と言うと、義姉は「余計なお世話よ!」と言っていましたが。
家事をすべて私に押しつけていた元義母。私がいなくなり、久々に仕方なく家事をしたところ、腰を痛めてしまったようです。一切の家事ができない元義父と元夫から「金は払う!頼むから戻ってきてくれ!」と連絡がありましたが、無視しています。
実家で手持ち無沙汰になった私は、今まで元義実家で培った家事スキルを活かせるのではないかと思い、家事代行の仕事を始めました。利用してくれるお客様たちはみんな優しくて、お礼も言ってくれます。お金もそこそこもらえるので、やりがいを感じています。
【取材時期:2024年11月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。