「子どもたちも小さいし……旦那も仕事忙しいから……」と妹。
「結婚式と新婚旅行の費用をお母さんに出してもらう代わりに、老後は同居してお母さんの面倒を見るって言ってたよね?」と確認すると、「ちょっと今は無理かな……」「子どものいないお姉ちゃんにはわからないだろうけど、子どもの世話って本当に大変なの」「だから、お姉ちゃんがお母さんの面倒見て!」と言い出して……?
妹の身勝手すぎる提案
しかし、私にも仕事があり、子どもはいなくても家庭があります。母にかかりきりにはなれません。そこで、「介護を私に頼むなら、結婚費用の800万円を返して」「それをお母さんの介護費用に回すから」と言ったのですが、妹はそれすらも拒否。
約束を果たそうともせず開き直る妹に呆れた私ですが、「じゃあ、施設費用については、お母さんの年金で足りない分は私とあなたで折半しよう?」と譲歩することに。すると、今度は「施設なんてお母さんがかわいそうだよ!」「お姉ちゃんの仕事、在宅勤務OKなんだし、家でお母さんを見てあげたらいいじゃん!」と、またも妹は勝手なことを言い出しました。
結局、「私も育児が落ち着いたら手伝うし、夫の昇進が確定したらお給料も増えるから毎月介護費用を渡すし!」「ちゃんと私もサポートするって約束するから!」と妹に押し切られてしまいました。
妹に甘い母
数時間後――。
母の病室を訪ねると、母はにっこり笑って私を出迎えてくれました。
「自分の体が自由に動かせないのはもどかしいけど……だいぶ元気になってきたわよ」と言う母に、気乗りしないながらも今後のことを相談することに。
すると「妹の新居で同居することになってるの」「だから、実家のことはあなたにお願いするわね」と言う母。しかし、私はついさっき妹から「母の面倒は見られない」と言われたばっかりだったのです。
にこにこしながら母は「あの子が新居を建てるときに、頭金の1,000万円を頼まれて出したのよ」「私の部屋も作ってくれてるの」と続けます。
私は先ほど妹から言われたことをそのまま母に伝えました。すると、母は「子育てが大変なのはわかるし、仕方ないわよね」「あの子はやさしいから、私が住み慣れた家で暮らせるように配慮してくれたのかも」と言い出したのです。
「落ち着いたら、必ず約束を守ってくれるはずよ」「あの子は昔からお母さん思いのやさしい子だったから」と言う母に、私はあ然。妹は結婚費用で800万、新居の頭金として1,000万ももらっておいて約束を破ろうとしているのに……。
言葉を失った私を見て、母は「あなたにもできるだけ迷惑をかけないよう、私もできることは自分でがんばるから」「一時的なものだし、あの子だってきっと約束を守ってくれるわよ」と声をかけてくれたのですが、私の受けたショックは和らぎませんでした。
それから、私は夫に相談し、自宅に母を呼び寄せて同居生活を開始。仕事や用事で家を空けなければならないときは、妹にサポートを頼むようにしていました。しかし、妹は「子どもの習い事が~」と言って、いつも拒否。私はできるだけ在宅で仕事を回せるように、キャリアを見直さなければならなくなったのです。
同居から2年ほど経つと、母は認知症を発症。ついに、在宅勤務でも私の仕事は回らなくなり、時短勤務に切り替えるしかなくなりました。その際にも妹に相談したのですが、「育児が~」と言って逃げ回るばかり。
「今、子育ての大事な時期なの!」「私だってそれなりに手伝いたい気持ちはあるのよ?」「もう少しで落ち着くと思うから、そのときにまた連絡するね!」
せめて姉妹で協力し合えれば負担が軽減されるのに……。収入も貯金も減っていくなかで、母の病院代ばかりが増え……。仕事と介護とで手いっぱいで、家庭のことがおざなりに。私は夫に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
1,800万円も母からもらっておきながら、私に母の介護を押し付けてきた妹。私はそんな妹に、腹が立って仕方ありませんでした。
自分勝手な妹の末路
そして、数年後――。
母が亡くなりました。
葬儀後、「お疲れ様~!」と声をかけてきた妹。悲しみに暮れていた私とは対照的に、晴れやかな笑顔を浮かべていました。
「葬儀も全然手伝えなくてごめんね?」「お母さんの遺産のことで話があるんだけど」と言い出した妹に、私はなんだか嫌な気配を感じていました。
「私、お母さんから直筆の遺言書を預かってるの」「そこには『全財産を次女に相続する』って書いてあるんだ!」「ちょうど新居を建てたときで、お母さんの部屋を作ってあげたらそれに感動して『先に介護のお礼を準備しておくね』って!」と妹。本当に母の介護をしていたのは、私だったのに……。
「遺産は全部私に譲るって遺言書に書いてあるんだからwお姉ちゃん、ざんねーん!」
「お母さんの意思だから、大事にしないとでしょw」
「大事にしましょ」
「え?」
勝ち誇ったように笑う妹に、私もにっこりと笑顔を返しました。
「お母さんは、私を裏切ってなんかいないよ」「だって、私の手元には新しい遺言書があるもの」
認知症が始まったころ、母は複数の証人を立て、動画を回しながら新たな遺言書をしたためてくれたのです。そこには、「全財産を、長年献身的に介護してくれた長女に相続する」と書かれていました。
さらに、母は新しい遺言書が疑われないよう、日記を残してくれていました。利き手が麻痺してしまったため、文字の練習も兼ねて左手で毎日書いてくれていたのです。
そこには、「次女から電話があったけど、『今年も実家には帰れない』と言われた」「孫とビデオ通話したいとお願いしたけど、断られた」「お年玉だけは催促されてなんだかむなしい」という妹への恨みつらみ。
そして、「今日も長女が体を拭いてくれて、髪もきれいに整えてくれた」「私が長女のキャリアを邪魔してる……」「早く次女と同居して、長女を解放してあげたい」とも。もちろん、新しい遺言書を作成した日の日記もしっかりつけられていました。
「お母さんが倒れてから、見舞いにすら一度も来なかったもんね」「さすがのお母さんも気づいたみたいよ、誰が本当に親思いの娘だったかって」「さっきあなたが言ったとおり、お母さんの遺志を尊重して、私が全財産相続します」
その後――。
私は宣言通り、母の遺産を全額相続。しばらくの間、妹は何も言ってきませんでした。諦めたのかと思いきや、突然「お母さんの介護を押し付けてごめんなさい!」「本当に反省してるの!だから10分の1だけでもお母さんの遺産をちょうだい!」と連絡してきた妹。
妹は専業主婦ですが、妹の夫は一流企業に勤めているエリート。子どもたちも私立の幼稚園や学校に通っていて、お金には困っていないはずです。
「実は、最近旦那がパチンコと競馬にハマってて……借金があるみたいで……」「昇進のプレッシャーで、いつのまにかギャンブルにのめり込んでたの」と涙声で言ってきた妹。驚きましたが、遺産はびた一文渡すつもりはありませんでした。
「私は大好きな仕事も諦めて、お母さんを必死に介護したの」「反省してるなら、私に唯一残った遺産を奪おうとしないでよ」「お母さんに最後まで尽くしたことは後悔してないけど、これからの人生は私の好きなようにさせてもらうから!」と言って、私は妹の連絡先をブロックしました。
しばらくして、妹たちが建てた家は売りに出されていました。地元の友だちによると、妹は私を必死で探しているようですが、私はとうに実家を売り払い、遠くの地へ引っ越しました。新天地で新しい仕事にも巡り合えたので、これからは自分らしく生きていこうと思います!
【取材時期:2024年11月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。