「飲んでいなければいい人なのに」
「飲んでいなければいい人」と、日ごろから評されていた私の実父。その酒癖の悪さがたたり、親戚からは早々に見放され、母からは私の成人を期に離婚されるほどでした。その後、還暦を前に1人暮らしを始めることとなった父を気にかけ、私はたまに電話をしたり、帰省した際は顔を見せに行ったりしていました。
私が20代中盤で初めて車の免許を取ったときには、父を車に乗せて父方のお墓参りに連れて行ってあげました。親戚に見放されてしまった父ですが、1人で定期的にお墓参りに行っていたことを知っていたからです。
車に乗り込んできた父は、昼なのに少し酒臭かったようにも感じました。元々、モータースポーツが好きだった父は「お前にはドリフトは無理だな」と言いながらも、楽しそうにしていました。
それが、父を見た最後でした。
父方親戚からの突然の電話
父の誕生日には毎年メールや電話をしていたのですが、その年はどうしても忙しく、当日にしてあげることができませんでした。それでも、1週間以内にはしようと思っていた矢先のことです。
父方の親戚から突然の電話があり「あなたのお父さんね、亡くなったわよ」と言われたのです。あまりのことに言葉が出ない私に対し「娘のあなたには何の罪もないけれど」と言いながらも淡々と「墓にも入(い)れないし、葬儀も出さないから」と告げてきました。
私が何も知らないところで話が進んでいました。この時点で私は父の最期について、死因すら、何ひとつ知りませんでした。
父の最期を知りたい
せめて父が最期をどのように迎えたのかだけでも知りたく思いました。そのため、父がお世話になっていた病院に電話して聞いてみることにしました。
両親の離婚が原因で父の死について私の元へ連絡が来るのが遅かったことや、現在遠方に住んでいてすぐに行けないことなどの事情に加え、私が知っているありったけの父と私の情報を出し、なんとか電話口で身分を証明しようとしました。
しかし病院としては個人情報の保護のため、診療情報の詳細は言えないと言われました。病院の方は正しい対応をされていたと思います。
それでも「私が知りたいのは診療情報ではなく、医療に携わっていない周りにいる一般の患者さんから見てもわかるような”父の様子”であること」「どんなふうに父が最期の日を過ごしたのかを聞きたい」と強くお願いをしました。
すると、しばらくお待ちくださいと伝えられたあと、父の担当の看護師さんが電話口に出られました。そして「あくまで”私が見た話”としてお話しします」と、父の最期の日の様子を語ってくれました。
方言混じりで悪態をつくところなど、父そのものであり、聞いていて涙が止まらなくなりました。看護師さんには、父を看取ってくださったこととお話しして下さったことに対して深く感謝を伝え、電話を切りました。
その後、父の骨は市内のお寺で永代供養されることになりました。以降、実家方面に帰るときには必ず手を合わせに行っています。
また、父が元気なころに私を後ろに乗せて走っていた自慢のバイクをモデルにしたミニカーを購入し、その横に父の写真を飾っています。そして、私自身も中型二輪の免許を取りました。父が乗っていたバイクは大型二輪ではありますが、いつか父のように、ステキなバイクに乗れる日を夢見て過ごしています。
まとめ
父の誕生日に1本電話やメールを送っていれば……。それが私の人生最大の後悔となりました。それ以降教訓として、「明日相手が死んでも後悔しない」という心持ちで、大切な人との関係を築くようにしています。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:磯辺みなほ/30代女性。ゲーマー。発達障害持ちの夫と2人暮らし。大変なことも多い中、それ以上にネタと笑顔にあふれる毎日を送っている
イラスト/ほや助
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2025年3月)
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