私は幼いころに母を亡くし、ずっと父と2人だったので、夫や義両親の「力になる」「自分たちがいる」などという言葉は、とてもうれしかったです。
しかし、そんな私の気持ちは一瞬にして打ち消されました……。
ある日、夫が喜び勇んで、二世帯住宅の建設を報告してきたのです。義実家を建て直すことになり、義両親と相談して決めたそう。そして、なんと私の父の遺産をその費用に当てると言い出しました。耳を疑う発言に、私はがく然。
私に何の相談もなく話を進めたことにも怒りがわきましたが、何よりも、そろそろ遺産が入ると考えていたことに腹が立ちました。
遺産を楽しみにするということは、私の父の死を指折り数えて待っているようなもの。1日でも長く生きてほしいと思っている私に、こんな無神経なことを言ってくるなんて、ひどすぎます。夫のことも義両親のことも心底、見損ないました。
父の死を楽しみにする夫と義両親
日に日に弱っていく父。朝が来るたびに、私は不安に駆られます。病院から父が急変したと連絡が来たらどうしよう……。それくらい、私は追い詰められていました。
しかし、そんな私の姿は、夫を不愉快にさせるようで、「家ではそんな顔をするな、空気が悪くなる」と言われます。そして、せっかくお金が入るのだから、楽しく過ごそうと……。
父のお見舞いに行くようになってからの夫は、本当に楽しそう。父がもう長くないとわかり、お金が入るということが相当うれしかった様子です。
そして、9カ月後ーー。父は他界しました。
「遺産の入金はいつ頃になる?」
「二世帯住宅の支払期限が迫っているんだ」
大好きな父が亡くなり、悲しみに暮れる私に、夫はしつこく尋ねてきます。そんな夫に、私は衝撃の告白をしました。
「遺産は0円だけど」
「は?」
私の言葉に困惑する夫ですが、実は……。
遺言を確認して初めて知った衝撃の事実
私も父が亡くなって、遺言を確認して初めて知ったのですが、なんと父には多額の借金があったのです。父の遺言には相続を放棄してほしいと書かれていて、それを受けて私は借金を相続しなくて済むそう、弁護士に相談し手続きを進めています。
私の話を聞き、父の遺産をあてにしていた夫は真っ青に。そんな夫に、私は追いうちをかけるように離婚を切り出しました。「こんなときに何を言っているんだ!」と激怒する夫でしたが、こんなときだからこそです。
「お前だけ支払いから逃げるのか? 薄情者!」と言う夫に、私は「どっちが薄情者よ!」と言い返し、口論になった私たち。
口論の末、結局私たちは離婚することになりました。すでに着工してしまっていた二世帯住宅の建築をキャンセルできず、あちこちに借金をして、支払いに苦しむことになった夫。にっちもさっちも行かなくなり、離婚からしばらくして、私にまでお金を貸してくれとすがってきました。
自分も本当は悲しかったけど、私を励ますために気丈に振る舞っていただけだなどと言ってきましたが……。
実は、私は父が亡くなる少し前に偶然、夫と義両親の話を聞いてしまい、すべてを知っていました。夫と義両親は、父の遺産をあてにしていたどころか、私との結婚自体がそもそもお金目当てだったのです。
罰当たりな夫を待っていたのは…?
私の父は、複数の土地を所有している地主でした。そのため、いずれ亡くなる父の資産が自分たちのものになると考えて、私と結婚したのです。
本性がバレていたと知り、慌てて「そんなことはない!」と否定する夫ですが、もう離婚も成立しているので、慌てようが否定しようが私には関係ありません。
「何でこんなことに……」と涙を浮かべながら、夫は嘆いていましたが、人の死を喜び、人のお金をあてにするから、こんなことになったのだと思います。この経験は私にとってもつらいものでしたが、これを肝に銘じ、堅実に生きていこうと改めて思いました。ひとりになってしまいましたが、亡くなる寸前まで私のことを考えてくれていた父を思いながら、強く生きていきたいです。
◇ ◇ ◇
妻の父の死を楽しみにしていただなんて、あまりのひどさにあ然です。「何でも力になる」というやさしい言葉の裏に、そんな本音が隠されていたと知ったときは、さぞかしショックだったことでしょう。つらかったとは思いますが、別れられて良かったですね。この悲しみを乗り越えて、この先、幸せが訪れることを願うばかりです。
【取材時期:2025年3月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。