「子どもまだ?早くしなさいよ!」義母の暴走が始まった
毎日のように玄関のチャイムが鳴り「こんにちは!居るんでしょ? 開けて!」と迫る義母。インターホンに写る義母の姿を見るたびに、私は胃がキリキリしました。
わが家に来て早々、義母は「孫はまだ?」「ちゃんと夫婦生活してる?」「早く産まなきゃ手遅れよ!」と、そんな言葉を毎日浴びせられる日々。 ズカズカと家に上がり込み、冷蔵庫を開けるのも当たり前。 私が断ろうとしても、「気にしないで〜♪」と笑って押し切る義母。
義母は、義母の妹と“孫の数”を張り合っていたんです。 妹にはすでに孫がいて、義母は「負けたくない!」と執念を燃やし、 私たち夫婦に異常なまでに“孫催促”していたのでした。
私の告白に義母が罵倒!
義母から毎日のように「孫はまだか!?」と追い詰められた私は、心も体も限界寸前でした。もう耐えられないと感じた私は、夫と一緒に不妊検査を受けることにしました。 検査の結果、私は今のままでは妊娠は難しいと言われてしまったのです。
検査後、夫は「母さんがしつこく迫るから……。本当に申し訳ない」 そう言って私を支えてくれました。 夫は昔から義母と衝突してきたタイプ。母親に強く言える人だったので、私は救われていたんです。 でも、その強さをもってしても義母の暴走は止まりませんでした。検査結果を義母に伝えると「なによそれ!! 今すぐ離婚しなさい!息子には新しい嫁をあてがうから!」と激怒! 呆然とする私に、さらに「親戚中にもうすぐ孫ができるって言っちゃってるのよ!」と怒鳴り散らされ、私は声も出せませんでした。
すると夫が「母さん!いい加減にしろよ!!」と反論し、ようやく私は我に返りました。 続けて夫は「母さんとは縁を切る。もう二度と俺たちに関わるな!!」と言い放ったのです。私たちは精神的にも限界を迎え、夫婦で話し合って引っ越しを決意。 連絡手段も断ち、絶縁することになったのです。
3年後…「戻ってこい!」義母が土下座で泣きついたワケ
あの日から3年が過ぎ、ストレスから解放された私は無事に娘を出産! 穏やかな日々を過ごしていました。
そんなある日、スマホに公衆電話からの着信が。電話に出ると「妊娠したって聞いたわ!今すぐうちに戻ってきなさい!」と聞き覚えのある声が……。着信拒否をしていた義母が、公衆電話から連絡してきたのです。すると義母は、同居していた義弟が家を出て行ったというのです。その内容は、義弟にまで「孫を産める嫁を探せ」とプレッシャーをかけ、生活費も当然のように要求していたようなのです。義弟に見放された義母は生活費も無く、さらに孫欲しさから「戻ってきてほしい」と、都合良く私に泣きついてきたのです。義母は「前のことは許してあげるから!孫に祖母がいないなんて可哀想でしょ!?」と自分勝手な言い訳を並べ始めたのです。あまりにも理不尽な発言に私は「今さら戻るつもりなんてありません」と告げ電話を切ったのでした。
その数日後。私たちが実母の家でくつろいでいると、玄関のインターホンが鳴りました。すると「息子たちがどこに住んでるのか教えてください! お金もないし、ひとりじゃ生きていけないんです!」と泣き叫ぶ義母の声が聞こえたのです。慌てて玄関に向かうと、そこには土下座して泣き叫ぶ義母の姿。すると実母は「孫が産めないからって離婚を迫って、今度は自分が困ったから戻ってこいだって? 全部自分の思い通りにしようとしてきた結果がこれなんだよ!自業自得!通報されたくなかったら、帰って!」とビシッと反論してくれたのです!母の言葉を聞き、義母は崩れ落ちその場を這うようにして去っていきました。
その後、義母はなんとか仕事を見つけ生活をしていると義弟から聞きました。私たちの前に義母が現れることはなく、穏やかな日々を取り戻しました。今は家族3人で仲良く平和に過ごしています。
◇ ◇ ◇
理想を押しつけて人を支配しようとする人は、いつか周りから見放されてしまいます。
家族であっても、踏み込んでいい境界線はあります。自分の価値観を他人に強制して、相手を追い詰めるような人とは距離をとる勇気も必要です。相手の“理想の人生”ではなく、自分の“本当の幸せ”を選び取る。それが、人生を豊かにするいちばんの方法なのかもしれません。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。