入社して3カ月がたったころでした。仕事が終わったので、定時で上がった私。家の最寄駅に着いたときに、教育係から着信がありました。
電話に出ると「あなた、なんで帰ったの? 先輩社員たち残ってるのに……」と教育係。
「仕事が終わったので……」と言うと、教育係はやれやれといったように「あのね、先輩たちが残っているときは、『何か手伝えることありませんか?』って聞くのが普通なの。この会社でやっていきたいなら、そういった気を回せないとだめよ」と言ってきたのです。言っていることはごもっともだと思うのですが、私は仕事が終わったことを報告し、何度もほかに仕事はないか確認したのです。
こんな風に理不尽な言いがかりを言われることが日常的に続いていたので、私はなんだかやるせない気持ちになっていました……。
仕事を任せてくれない教育係
そんな私に、さらに教育係は続けました。
「それに、私からあなたに書類整理をお願いしてたわよね? あれ、1週間はかかるでしょ? まずはその仕事を優先して終わらせて、そのあと手伝いを申し出るくらいじゃないとねぇ……」
私が「あぁ、それなら終わりました。昨日、報告したはずですが……」と言うと、「私でさえ1週間はかかる仕事なのよ? うその報告はダメよ……1年目からそれじゃねぇ」と教育係は信じてくれません。
「本当に終わりましたので、確認してもらえませんか?」「自分なりに整理のルールをまとめてから取り組んだら、思ったより早く終わったんです」と言うと、「明日以降確かめるわ。でも……もし本当に終わってたんだとしたら、なんで『ほかにできることはないか』って聞いてこないの?」と教育係はため息をつきながら言いました。
「昨日終わった時点でおうかがいしましたが……『任せられるような仕事はない』っておっしゃってましたよね?」と返した私。
「だからって、口答えするの? 新人のくせに生意気ねぇ」と吐き捨てるように言われたとき、私は言葉を失いました。
「そういうときは、時間をあけてもう1度聞きにきてちょうだい。どんどん仕事は増えるんだから! あなただけがぼーっとしてたら、ほかの社員と不平等でしょう?」と続けて言う教育係。今日だって何回も仕事はないかと聞いたのに「新人に任せられるようなのはないわね」と言ってきたのは彼女のほうなのに……。
こうした理不尽なやりとりや、否定的な言い方をされることは日常茶飯事で、「こんなこともわからないの?」「あなって使えないわね!」など、人格を否定するような言葉も多かったのです。
「明日からは気をつけます」と言うと、「よろしくね」と返してきた教育係。私は、教育係が電話を切る前にボソッと「はぁ……本当に使えない新人ね……」と言ったのを聞いてしまったのでした。
教育係からのクレームと頼りない部長
翌日――。
部長から「話がある」と会議室に呼ばれた私。呼び出された理由がわからないまま会議室へ行くと、部長は腕を組んで椅子に腰かけていました。
「……はっきり言うけど、君の勤務態度について問題視する声が出てる。部署内からな」
私は一瞬、耳を疑いました。
「具体的には、『仕事をしていない』『協調性がない』『報告が曖昧で信用できない』……そういった指摘があがってる。ちょっと看過できないレベルだね」
「ちょ……ちょっと待ってください! 私はちゃんと仕事しています……!」思わず声が上ずりました。仕事を真面目にやっているのに、そんなふうに言われるなんて……。
「いったい誰がそんなことを……?」と問いかけると、部長は鼻で笑って言いました。
「さあ? 私の口からは言えないが……君が一番わかってるんじゃないのか?」
思い当たるのは、あの教育係しかいませんでした。
「そんな……私は、むしろ仕事をしたいんです。振られた仕事はちゃんと終わらせていますし、毎日何度も『他にできることはないか』って聞いています。朝一番に出社してメールもチェックして、メモも欠かさず取りました。自分なりに学ぶ努力もしてきました。でも、『新人に任せられる業務はない』としか言われなくて……」
精一杯の思いを言葉にした私を、部長は無表情で見つめたままでした。
「実は入社してすぐのころ、仕事が早く終わったときに、自分なりに考えて、共有フォルダの整理や備品のチェックなどを始めてみたことがあるんです。与えられた仕事以外、『新人に振るものはない』と言われ続けていたので……でも、さすがに社会人としてはその仕事が終わった以上、何かしないとって思ったので、自分で仕事を見つけようとしていたんです。でもそれを見た教育係の先輩に、『勝手に頼んだこと以外のことをしないでちょうだい!』ときつく注意されてしまって……。」
「指示を仰げば『振るものはない』でも動けば『勝手なことをするな』って怒られる。もう、何が正解なのかわからなくなっていたんです」
部長は私の相談を聞きながらあくびをしていました。それでも私は続けて部長に尋ねました。「書類整理も……先日終わらせた件、確認されましたか?」と。
すると「はぁ……そんな細かいことは俺は知らんよ」と部長はため息まじりに言ったのです。
「まぁ、しかしな。うちに長年勤めてる彼女の報告を無視するわけにはいかないんだよ。わかるだろ?」
私は何かを言おうと口を開きかけましたが、部長は手を上げて遮りました。
「要するにだ。君さ、自分では頑張ってるつもりかもしれないけど……この会社で求められてるのは、『空気を読める人間』なんだよ。『やってますアピール』とか『真面目』ってのは、正直、評価とは直結しないからさ」
「それに……いちいち報告されても、俺は忙しいんだよ。『やってます』って言われても、正直どうでもいいからさ」
「彼女と波風立てずにやってくれれば、それでいいんだよ。無理なら……まあ、仕方ないよな。……このままだと本当に、この会社での居場所なくなるよ?」
「彼女に逆らわず、言われた通りに動くのが一番いいってわけだ」
そう言って、部長は私の肩をポン、と軽く叩いて、さっさと会議室を出て行きました。
その瞬間、私の中の何かがぽろぽろと崩れていくのを感じたのです。評価なんてされない。『気に入られるかどうか』だけで、すべてが決まる世界――ここに私の居場所はないんだ……。そう思ったとき、心の底がすうっと冷え、感情が凍りついていくような感覚に襲われました。
せっかく採用されて喜んで入社したはずの職場。それなのに、入ってわずか半年で、もうやっていく自信を失ってしまうなんて――そんな未来は想像していませんでした。
やがて私は出社前になると、おなかが痛くなったり、手が震えたりするようになっていました。朝、駅の改札を通っただけで涙が出てしまったこともあります。「大丈夫、気のせい」と自分に言い聞かせていたけれど、心はもう限界に近づいていたのだと思います。
理不尽な扱いを受けた私の決断
3カ月後――。
「ちょっと! あなた今どこにいるのよ!?」と電話をかけてきた教育係。私が「今? 今は出かけていますが……」と正直に答えると、「はぁ? なんで仕事中に出かけているのよ。デスクにいないと思ったら……」と教育係はあきれたように言ってきました。
「仕事が終わったら私に報告して、次の指示を仰ぎなさいっていつも言ってるわよね?」「私やまわりを見てごらんなさいよ……こんなに仕事に追われてるのに、どうして手伝おうっていう気持ちが起きないの?」
「お言葉ですが、いくら聞いても仕事を振ってくれなかったじゃないですか……」「それに私が進んで何かをやろうとすると、『勝手に動くな』って怒りましたよね」と言った私。その言葉は教育係の逆鱗に触れてしまったようでした。
「あなたのことを給料泥棒って言うのよ!さっさと辞めたほうが会社のためだわ!」
私は冷静に「はい、ご安心ください。今日で有休消化最終日なので」と答えました。すると教育係は「……は?」と驚いている様子。どうやら部長から聞いていないようです。
実は、家でも私の様子はおかしくなっていました。毎日ため息をついてばかりだった私。心配した夫が「なにかあったの?」と聞いてくれたので、私は会社でのことを洗いざらい話しました。「愚痴っちゃってごめんね……」と謝りながら、「もう、何もかもがうまくいかなくて、ごめん……」と思わず泣いてしまいました。
夫はそっと背中をさすってくれました。そして「俺の稼ぎだけでもなんとかなるし……そこまでひどいなら、無理して続けなくてもいいと思うよ。もっといい会社があるはずだから、転職しなよ。今の会社は辞めた方がいい」と言ったのです。
せっかく入った会社をそう簡単に辞めるわけにはいかない、と夫の提案を拒否した私。いま思えば、意地になっていたのだと思います。しかし、ため息の数は毎日増えていき……夫と仕事のことについて話し合うことも増えました。夫が何度も背中を押してくれたこともあり、私はようやく退職を決意したのです。
入社半年を迎えて少ししたころに、退職届を出しました。ちょうど有給が付与されたあとだったため、人事から『残っている分はすべて消化してください』と言われ、そのまま有休に入ったのです。
私は退職の意思をまず部長に伝えました。「君が彼女にかかわると、ほら……なにかとややこしくなる。だから君からは伝えなくていいから。というか、面倒が起こるのは避けたいから、君は何も言うな。俺から彼女には話を通しておくよ」と言われたので、教育係にも伝わるものだと思っていました。実際、有給消化についても人事と部長には了承をもらい、スケジュールも伝え済みでした。
それなのに、部長は教育係に伝えていなかったのです。
教育係は「聞いてないんだけど! 普通は教育係の私に相談するもんでしょ?」と声を荒げてきました。それは私もそう思います。
「きゅ、急すぎるでしょ! 普通は教育係の私とかに相談しないと!」「そんなんじゃ、ほかの会社に行っても通用しないわよ」と慌てたように言ってきた教育係。さっきまで「会社を辞めろ」って言ってたのに……。
一瞬、部長には伝えてあったこと、部長から話すから私からは言わないようにと言われていたことなどを話そうと思いましたが、やめました。もうこれから私の人生で、関わることのない人だと思ったからです。
「ご心配ありがとうございます。今までお世話になりました。ありがとうございました」と言って電話を切った私。本当は言いたいことはたくさんありましたが、気持ちはせいせいとしていました。
その後――。
私が退職してからも、「あの資料データ、どこにあるか覚えてる?」「社内システムの設定ってどうだったっけ……?」と教育係からたびたび連絡が来ました。最初は元同僚としての礼儀もあり、わかる範囲で返信していましたが、やがて本来の私の業務とは関係ないことまで尋ねてくるようになり……。それにそもそも私は退職した身です。「これはもう対応するべきではない」と判断し、やむを得ず返信を控えるようになりました。
ときには電話がかかってくるときもありますが、「申し訳ありませんが、私にはわかりかねます」と言って、毎回すぐにその電話を切っていました。
同期によると、教育係と私のいた部署の業務は停滞し、会社全体までその影響が及んでいるそう。どうやら私の引き継いだ人は全然仕事ができないのだとか。かといって教育係も私が3日でできることを1週間もかけていた人。業務が停滞するのもうなずけます。
私の退職理由を知る人は少ないと思いますが、私が退職してすぐにトラブルが相次いでいるのだそう。今や部長や教育係は白い目で見られていると聞きました。
私は夫に支えてもらいながら転職を成功させました。今の職場は雰囲気も良く、教育係の人も「無理のない程度にどんどん仕事を振っていくから、いろいろ覚えてね」と言ってくれています。毎日楽しく働けるのが一番だと痛感しています。
私は、入社したときは長く勤めるつもりでいましたし、辞めたくなったときも、「少なくとも最低3年間はがんばらないとダメ」と自分に言い聞かせていました。夫のアドバイスがなかったら、私は今もあの会社で働いていたでしょう。そう思うと……正直ゾッとします。冷静に、客観的なアドバイスと共に転職に向けて背中を押してくれた夫には、とても感謝しています。新しい職場での初めてのお給料は、夫へのプレゼントに使おうと思っています。
【取材時期:2025年4月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。