最後のチャンス
娘が生まれてしばらくしたある日、夫が「母さんを説得して、君のことを認めさせたい!」と言うのです。 しかし、私は素直には頷けませんでした。 思い返せば、これまで夫は義母と私の間に立ってくれたことがほとんどなかったから……。
結婚当初、義母に「息子を奪われた!」と面と向かって言われても、 夫は 「母さん、冗談きついなぁ……」と苦笑いするだけ。 私が義実家でいびられていても、ただ横で 気まずそうに笑っているだけで、「嫁を悪く言うな」とかばうこともありませんでした。 これまでのことを思い出し、私は「今まで何もしてくれなかったのに?」と呟きました。
しかし、夫は真剣な顔をして「母さんも孫を見たら変わるかもしれない。俺がちゃんと話すから!」と言ってくれたのです。私は最後のチャンスだと思い夫を信じることにしました。そして1週間後、義実家へ行くと「どうしてあんたまで来たのよ!」と怒鳴る義母。続けて義母は顔をゆがめ「私はね、あんたに息子を奪われたの! 嫁も孫も可愛くないわ!」と言い放ったのです。あまりにもひどい発言に、私の心は完全に冷え切りました。震える声で「わかりました。もう二度と顔を見せません! 孫にも二度と会わせません!」と、はっきりと絶縁を宣言しました。すると義母は笑顔で「それでいいわ」と快諾! その日から、夫だけが義実家に通い、私と娘は完全に絶縁状態になりました。
突然の介護宣言
絶縁状態のまま3年が過ぎ、娘は3歳になりました。 夫だけが頻繁に義実家に出入りしていました。週末は当たり前のように義実家へ行き、私と娘は半ば置き去りのような生活を送っていました。そんなある日、義実家から戻った夫が「母さんが入院することになったんだ」と呟きました。続けて夫は「退院したら1人じゃ暮らせないみたいなんだ。だからこの家で一緒に住むことに決めた」と言うのです。
まさかの発言に私は「え……?私と絶縁してる人だよ?」とあ然。すると夫は「そういうことだから、介護、頼んだ!」と信じられない発言をするのです!私は「何言ってるの? 絶縁したってこと忘れたの?」と詰め寄ります。しかし夫は「母さんも弱ってるし……嫁だろ?頼むよ」と言い放ったのです。
数日後、何の相談もなく退院した義母をわが家へ連れて帰ってきた夫。「今日からここが母さんの家だよ!」と笑顔で家中を案内します。義母は車いすに乗り、以前のような勢いは感じられず、弱々しい姿に。そして、か細い声で「よろしくね」とポツリ。そんな義母を見ても私の心は1ミリも動きませんでした。
嫁脅し発言の嵐……その後!
同居初日から、義母と夫の態度は「嫁が世話をするのが当然」というものでした。 夫は悪気もない顔で「着替えや食事、頼むな」と言いつけます。義母も「嫁は義母の面倒を見る義務があるのよ!」と言いたい放題で、私は呆れ果てて無言に……。その沈黙を「承諾」とでも思ったのか、義母はさらに「少しでも手を抜いたら嫁いびりされたって言いふらしてやるから!」と脅迫してきたのです。義母の態度に夫まで調子に乗り「そうなったらお前、離婚だぞ?それが嫌なら、嫁として介護しろ!」と強気な態度で迫ってくるように。
私は限界を感じて実家に電話しました。これまでの経緯をすべて伝えると、母が「それはもう、黙ってられないね」と静かに言うのです。そして、録音機を用意しておくよう指示してきたのです。
そして数日後。その日も義母と夫から暴言を浴びせられていました。すると、次の瞬間リビングのドアが開き「全部録音してるからね!」と私の母が現れました。私はポケットに忍ばせておいた録音機を掲げました。そして母は「嫁に義母を介護する義務なんてない! 息子であるあんたがやるの!娘と孫を連れて出ます!」と言い放ったのです。
私はその足で実家に戻り、離婚届を送りました。 夫は反省したのか離婚を承諾。私は今、実家で家族に支えられながら娘と幸せに暮らしています。
◇ ◇ ◇
「結婚したら嫁が親の面倒をみる」という古い考えは、もう通用しません。本来、親の介護を担うのは子どもです。「嫁だから」「女だから」と押し付ける価値観が、どれだけ家族を壊してしまうのか、しっかり考えなければならないのです。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。