そして、その矢先に妊娠が判明。
私は悩みましたが、専業主婦になる道を選びました。家族を支えるための決断――だったはずです。
義母の「チェック」訪問
退職して間もなく、夫は態度を一変させました。専業主婦の私を見下すような言葉を平気で口にするようになったのです。
それに加え、義母が突然家に押しかけてくるようになりました。
「息子が仕事の間、あなたが家でゴロゴロしてないかチェックしに来てやったのよ」
私は笑って受け流そうとしましたが、心の中は傷つきっぱなしでした。
強引に決まった同居生活
ある日突然、「母さんたちと同居することになったから」と夫に告げられました。私の意思など聞く余地もなく、トントン拍子に話は進みます。
義母は「私は持病があるから、家のことはあんたが全部やるのよ」と当然のように言うので、引っ越し直前まで「同居はしたくない」と夫に伝えましたが、まったく聞き入れてもらえませんでした。
結局、同居が始まると、家事も義両親のお世話も、すべて私ひとりに押し付けられる日々が始まりました。つわりで体調が悪くてもお構いなしで、1日何度も呼ばれてお願いごとをされ、ゆっくり休むこともできず、本当につらかったです。
介護は嫁の仕事……?
そんなある日、義父が脳梗塞で倒れました。命は助かりましたが、半身不随に。
退院の日、夫が言い放ちました。
「介護は嫁の仕事だからな。お前は俺のウチに嫁いだんだし、俺と父さんたちのために人生を捧げるんだからな」
義母も「そうよ、仕事で他人の介護してるくらいだから、父さんの介護もしたいでしょ? そもそも嫁がお世話するのは当然よね、家族なんだから」と頷きます。
私は、その瞬間に心の糸がプツリと切れました。
「……じゃあ、離婚します。家族やめます」
その言葉が口から自然にこぼれました。
新しい人生のはじまり
私の決意を知って困り果てた夫と義両親は、「離婚なんて困る。考え直してくれ」と謝罪してきました。けれど、これまでの仕打ちや暴言、思いやりのかけらもないひどい態度を忘れることはできません。録音しておいた証拠を差し出すと、スムーズに離婚が成立しました。
実家に戻ってから、無事に元気な赤ちゃんを出産。その1年後、私は再び仕事に復帰しました。職場で利用者さんと笑い合う時間、娘や両親と過ごす穏やかな時間が、あの日の決断は間違っていなかったと思わせてくれます。
これからは、娘と自分自身の幸せを大切にして、生きていこうと思います。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。