食卓で削れたのは“量”ではなく“思いやり”
ある夜、その日の夕飯は生姜焼きでした。大皿に豚肉が8枚、照りも香りも上々だったのです。私が味噌汁をよそい「いただきます!」と箸を持った瞬間、大皿は空になっていたのです。一瞬の出来事に私は「えっ、もうないの!?」と言うと、夫はテレビから目を離さず「あったかいうちに食べちゃったよ〜」とひと言。
別の日、パスタをそれぞれの皿に盛りました。私が水を飲んだ一瞬で、夫のフォークがするり。またか……と思った私は呆れながら「それ、私の分なんだけど?」と話しかけると夫はニヤニヤしながら「名前でも書いてるの? できたらすぐ食べるのが正解だろ」と言い放ったのです。夫からすると軽口のつもりなのでしょうが、私の胸の奥に小さな棘が残ったのです。思い返せば、付き合っていたころは大皿料理は仲良く半分こ、最後のひと切れは「食べる?」と譲り合うのが私たちの“普通”だったのです。ところが最近は、私の「いただきます」より先に夫の箸が動き、私のペースが置いていかれることが増え……。
同じテーブルに座っていながら、同じタイミングで、同じ気持ちで食べる楽しかった時間が崩れていることがしんどかったのです。一緒にいる時間が長くなると、思いやりも一緒に楽しみたいという気持ちも薄れてしまうのか……。私は第三者の意見が欲しいと思い、弟に相談することにしました。
弟と決めた作戦
仕事帰りのカフェで、私は弟にこれまでのことを打ち明け「一緒に食べているのに、私だけ置いていかれる気がするの……」と呟きました。弟は「言い合っても“おなかがすいてた”で終わるよ。だからその場で感じてもらうといいよ」と言うのです。
弟が考えた作戦はシンプルで「姉さんの誕生日に外食して! そこで今日は私の誕生日だから私が満足したら終わりにしようって伝えて。これからの向き合い方に決着をつけよう」と言うのです。私は「これで変わってくれるなら!」と思い作戦を実行することにしました。
私の誕生日当日、憧れだった高級焼肉へ。夫は上機嫌で席に私を促し「今日は俺のおごり。遠慮せず好きなだけ食べていいよ!」と言ってくれました。私は「ありがとう! 今日は私の誕生日だから、私が満足したら帰ろうね!」と伝えました。しかし、網にのった肉は焼けるたび夫の口へ一直線で、私の皿に肉が乗ることはなかったのです。がっかりした私は「私のお肉は? 好きなだけ食べていいって言ってくれたじゃん!」と静かに告げました。すると夫はあっけらかんとした顔で「冷めたら美味しくないだろ? 焼けたらすぐ食べるのが正解!」とひと言。私はトングをそっと置き作戦を実行する決意を固めたのでした。
作戦成功!それは……
私は笑顔で「じゃあ今日は、その“正解”でいこう」と言い、網いっぱいにお肉を並べ、焼けた順から次々と私の皿へすべて回収しました。そして「冷める前に全部いただきますね。だって“焼けたらすぐ”が正解だから」と夫に向けてひと言。
夫は最初こそ笑っていましたが、空の皿を眺め 「……あれ? 俺のは?」とポツリ。そこで私は「わかった? 同じ席にいるのに、私の皿は冷めていって、あなたの皿だけがどんどん満たされるの。会話も箸も、私だけ置いていかれる寂しさ……。これが私の毎日だったんだよ」と言い放ちました。すると夫ははっとした顔で箸を置き、目線を落とし「……目の前で全部食べ物を取られると寂しいね。会話の余裕もなくなる。これ、やってたのは俺だ。ごめん」と呟いたのです。
弟の作戦は大成功! 同じ席にいながら“別々で食べる寂しさ”と、2人の間にいつの間にか生まれていた距離を実感してもらうという作戦だったのです。私は「分かってくれて嬉しい。じゃあ独り占めは終了。これからは前みたいに半分こで“おいしい”を共有しよう。今日はその約束がしたかったの」と気持ちを伝えました。私の言葉を聞いた夫は背筋を伸ばし、「約束するよ。これからは半分こで一緒に同じ時間を過ごそう」と言って私をじっと見つめるのでした。 その後、私は「半分こ! 一緒に食べると美味しいね!」とお肉を夫の皿へ乗せました。夫は小さく「ありがとう」とだけ言い、目尻を和らげたのでした。
◇ ◇ ◇
“食い尽くし”は食欲ではなく、思いやりの温度の問題なのです。同じ席で同じタイミングに「おいしい」を共有できてこそ、食卓は2人の時間になるのです。前提は「一緒に楽しむ」こと。思いやりが一度テーブルに置かれれば、奪い合いは分かち合いに、食卓はまた二人の居場所になるのです。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
 
   
       
                           
                         
                         
                         
               
               
               
               
               
               
               
                 
                