義母は昔ながらの価値観を持ち、きちんとした生活を重んじる人。初対面のときはやさしい笑顔でしたが、同居してからはその表情は厳しいものへと変わっていきました。
家事下手な嫁を「しつける」義母
台所で洗い物をしていると、義母がうしろから声をかけてきます。
「家事は丁寧にね。こういうところから差が出るのよ」「家事が下手な嫁をしつけるわ」
私は幼いころに母を亡くしており、家事はすべて自己流。「合っているか」を誰かに確認したことがないまま、今まで生活してきました。義母は料理の火加減から、洗濯物の干し方にいたるまで、一つひとつ厳しくダメ出ししてきました。
「それもこれも全部ダメ。ほら、もう一度最初から」
けれど、その横で夫は手伝うこともなく、ただ笑いながら言うのです。
「お前はほんと不器用だよな」
夫は結婚してからというもの、事あるごとに私を見下してきます。義母に叱られると凹みますが、夫に見下されることが、何よりつらくて仕方ありませんでした。
限界を迎えた日
ある日の夕食時、ちょっとした味付けのミスを夫が嬉しそうに指摘しました。
「また失敗したの? あ~あ、お前は本当に料理へただな」
この心無い夫のひと言に、これまで積もり積もった不満が、一気に爆発しました。
「もう無理、我慢できない。離婚して出ていきます!」
夫はヘラヘラ笑いながら「こんなちょっとしたことで? 情けないなぁ~」と言うだけ。すると、このやりとりを見ていた義母が……
義母の本音と謝罪
「あなた、やっぱり限界だったのね」
義母はまっすぐ私を見つめ、続けました。
「今まで厳しく言ってしまってごめんなさいね……実は私も若いころ、同じように家事を注意されてつらい思いをしたの。つい口調が強くなってしまっていたわ。あなたを困らせるつもりではなかったのよ」
私は驚いて義母を見つめました。
「あなたはずっと我慢しすぎていた。つらいことを誰にも言わずに背負い込むタイプね。あなたが自分の気持ちを言えるようになるまで待っていたの」
そう言うと義母は夫に向き直り、強い声で言いました。
「変わるべきは嫁ではなく、あんたよ。妻を支えるのが夫でしょう!? 家事ひとつできないくせに、偉そうに口ばっかり出して。これからは、私が教えるから覚悟しなさい!」
夫は驚き、そして気まずそうに視線を落としました。私はそのやり取りを見ながら、義母が味方でいてくれようとしていたことに、ようやく気付きました。
離婚をどうするか
夫がしばらく沈黙したあと、小さな声で言いました。
「……ごめん。お前が離婚を考えるくらいつらかったなんて思ってなかった。俺は離婚したくない。やり直したい。努力するから」
私はすぐには返事ができませんでした。怒りも悲しみも消えていなかったからです。その夜は別の部屋に移り、義母とも話し、冷静に考える時間を取り、翌朝、私は夫に言いました。
「今すぐ離婚するとは決めない。本当に変われるか見せてほしい」
その言葉に夫は深くうなずきました。こうして私は“離婚宣言”を撤回し、やり直してみるチャンスを選びました。
家族になっていく時間
それからの日々はゆっくりと変わりました。夫は義母に呼ばれて家事を教え込まれ、少しずつ自ら家のことをするようになりました。義母も相変わらず口調は厳しいけれど、以前よりも気づかいが増えました。
「ここはこうしたほうが良いけれど、慣れればすぐできるようになるわよ」
そんな言葉が増え、叱責ではなく“支える姿勢”を感じるようになりました。
私自身も、少しずつ自分の意見を言えるようになり、3人の暮らしは次第に「家族」らしいかたちになっていきました。家族は、最初から完成しているものではなく、時間をかけて“育てていくもの”なんだと知りました。これからも、夫や義母と協力しながら、支えあっていきたいと思います。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。