忘れていた記憶
幼いころ、母が悲しそうな顔をしていた時期がありました。私が「大丈夫?」と声をかけても、「大丈夫よ」と、どう見ても大丈夫ではなさそうな顔で返してきたのを、今でもおぼろげに覚えています。
そのころから、母は家族と別のタオルを使うようになり、食事では使い捨ての箸を使っていました。でもいつの間にか、以前のように同じタオルを使い、表情も穏やかになっていきました。短い期間の出来事であったため、そんなことがあったことも、すっかり忘れていました。
ところが最近、夫が口唇ヘルペスを発症し「タオルを分けなきゃね」と話していたとき、突然あの記憶がよみがえりました。遠方に住む母とは今も定期的に電話をしています。「あのとき、何があったの?」と聞いてみると、私が子どものころには知らなかった母の思いが明らかになりました。
血液検査で出た「陽性」
1990年代のある日、母は病院で血液検査を受けたところ、C型肝炎(血液などを介して感染し、慢性化すると肝硬変や肝がんの原因になるウイルス性の肝炎)の陽性反応が出たそうです。当時はちょうど、健康診断や献血などでC型肝炎の抗体検査が普及し始めたころでした。
けれど、インターネットがまだ一般的ではなく、C型肝炎に関する正しい情報はほとんど手に入らない時代。感染経路や症状の詳細を知るすべもなく、「肝炎=うつる病気」と考える人も多かったと思います。そんな中で陽性と告げられた母は、自分が家族に感染させてしまうかもしれないという不安でいっぱいになりました。
のちに精密検査を受けた結果、母はC型肝炎ではなく、検査の「偽陽性」だったことがわかりましたが、せめてもの感染予防として、タオルや箸を分けるようにしていたのだそうです。今思えば、そこまで神経質にならなくてもよかったのかもしれませんが、当時の母にとってはそれが唯一の「家族を守る手段」だったのだと思います。
けれど、母を苦しめていたのは、検査結果そのものだけではありませんでした。
無神経な父のひと言
検査結果を受け取った日、母は父にも報告しました。ところが父は、母の不安に寄り添うどころか、こんな言葉を返してきたのだそうです。
「お前、同窓会いつ行ったっけ?」
当時は、C型肝炎が性行為でも感染するというイメージが一部で強く、誤解や偏見も根強かった時代です。だからこそ父は、母が誰かと関係を持ったのではないかと、疑いの目を向けたのでしょう。母にとっては、身に覚えのない疑いをかけられる、言葉にならないほどつらい出来事だったはずです。
電話越しにその話を聞きながら、私は思わず「信じられない……」と声が漏れてしまいました。でも、そんな私の反応に、母は少し安心したように「でしょう、本当につらかったのよ」と、静かに言いました。あのときの悲しい表情の理由を、ようやく理解できた気がしました。
まとめ
今のように、C型肝炎の感染経路や治療法が広く知られている時代なら、母もあんなにおびえずに済んだかもしれません。父の誤解や疑いの言葉も、もしかしたら生まれなかったのかもしれません。情報が少なかった時代には、誤解のまま傷つく人や、信頼を失ってしまった人も少なくなかったのではないかと思います。
私自身、正しい知識を得ることで、自分や大切な人を守れる場面があることを、改めて感じました。また、過去の出来事ではあるけれど、母のつらかった思いに寄り添えたことに、少しだけ心が温かくなりました。
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※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
著者:磯辺みなほ/30代女性。ゲーマー。発達障害持ちの夫と2人暮らし。大変なことも多い中、それ以上にネタと笑顔にあふれる毎日を送っている
イラスト/おみき
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2025年10月)
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