そんな中、夫が「親を家に呼んで泊まってもらう」と言い出しました。正直気が重かったものの、義両親が双子を見てくれれば私は少し休めるかもしれない、という期待もありました。次の週末、自宅に義両親を招くことにしたのです。
しかし双子がいる生活にてんてこ舞いで、家はぐちゃぐちゃ……。それでも私は、義両親に「だらしない嫁」と思われたくなくて、必死に掃除をしました。
寝不足の体に鞭を打って掃除機をかけ、洗濯を回し、キッチンを磨き、散らかった育児用品を片付けて——。途中で何度も目の前がチカチカしましたが「今日さえ乗り切れば」と自分に言い聞かせて、義両親を迎える準備をしたのです。
義両親がわが家へ
義両親は双子を見て、目を細めて喜んでいました。その光景だけを切り取れば、よくある幸せな家族の場面だったと思います。
けれど、その場で夫が突然「よく育児をしている父親」を装って話し始めたのです。夜泣きの大変さや家事をしながら泣かれるつらさを、まるで自分が毎日やっているかのように語りました。
私は言葉を失いました。夫が口にしているのは、私が日々飲み込んできた苦しさそのものだったからです。しかも義母は、夫の話を信じ「あなた顔色が悪いわね」と夫を気遣い「ママは何もしてないの?」と私に視線を向けました。
「少しは休めるかも」という私の期待は崩れ去りました。義母は私の育児や家事をなめるように見て、あれこれダメ出しをするのです。
ピンチ到来!
双子のお世話を続けていると、急に目の前が暗くなりました。立っていられず、その場に座り込んだところから、記憶が途切れ途切れになっていったのを覚えています。
気付いたときには、私は近くの病院に運ばれていました。診断は過労と極度の睡眠不足。
「今はとにかく休んでください」と言われ、私は点滴を受けながら天井を見つめていました。
その間、家には夫と双子そして義両親のみ。私がいなくなった途端、家の中は一気に混乱したそうです。
双子が同時に泣き出しても、夫はただ立ち尽くしていたそうです。ミルクの量や作り方、おむつのサイズや替えの置き場所、何ひとつ説明できなかったといいます。
義両親は最初こそ「疲れているだけよね」と夫をかばっていたそうですが、状況はすぐに明らかになりました。そんな夫の様子を見て、義両親も少しずつ違和感を覚えたようです。
夫が話していた「自分が育児をしている」という話が、現実とは違っていたことに、そこで初めて気付いたのだと思います。
夫に出した条件
私が帰宅したのは、翌日の午後でした。体はまだ重く頭もぼんやりしていましたが、家の空気が前日とは明らかに違うことだけはすぐにわかりました。
義母は私の顔を見るなり「ごめんなさい」と頭を下げました。義父も、「昨日の様子を見て、全部わかった」と短く言い、目を伏せます。私が倒れたあと、家の中は相当な混乱だったようです。
夫はその場で何も言えず、ただ黙り込んでいました。言い訳をしようにも、取り繕う言葉はなかったのだと思います。
私は、その場で夫を責めることはしませんでした。怒鳴る気力もありませんでしたし、何より心の中にあったのは怒りよりも「もう限界だ」という静かな確信でした。
私と夫は、これから一緒に生きていくためにいくつかの約束をしました。
まず、双子が起きている間はスマホを触らないこと。泣き声を「生活音」として流さず、今何が起きているのかを自分の目で見ること。
次に、育休中は家事をすべて夫が担当すること。「手伝う」ではなく、「自分の役割」として引き受けること。
そして、夜泣きは交代制にすること。どちらか一方が常に寝不足になる状況を、これ以上続けたくはありません。
離婚や別居はこの時点では口にしませんでした。ただ、これが守れなければ、今の生活を続けるのは難しい――そのことだけは、はっきり伝えたのです。
夫の育児参加
約束をしてから、夫は少しずつ家事や育児に向き合うようになりました。ただ、慣れないことも多く、私が細かく説明しなければならない場面も少なくありません。
そんな夫の様子から、やることを具体的に伝えられていたら違ったのかもしれない――そう思うようにもなりました。
子育ては、これから先も予想外の連続です。双子が成長すれば、また別の大変さが出てくるでしょう。そのたびに、今回のように二人で向き合っていきたいと思っています。
◇◇◇
育児はときに過酷なもの。それでも「自分が頑張れば回る」と無理を重ねてしまう気持ちに、共感した方も多いのではないでしょうか。
育児や家事は夫婦で分かち合うもの。しかし言葉にしなければ伝わらないことも多く、我慢を続けるほど溝は深くなってしまいます。倒れてしまう前に家族でしっかり話し合えるといいですね。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。