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娘と一緒にお家で防災訓練!仙台在住ママが震災後から現在までを見て感じたこと

東日本大震災当時と10年経った今の仙台について、そして2021年2月の福島県沖地震をきっかけに改めて防災意識を強めたというママのお話です。家族の命をどう守るか話し合い、防災訓練もおこなっているそうです。

娘と一緒にお家で防災訓練

 

東日本大震災後、夫の仕事の関係で仙台に移住しました。今年で仙台在住、8年目になります。震災当時の話は、ママ友や職場の方から聞くことも多く、その話はどれも胸が痛む話ばかりです。震災から10年……仙台駅前では商業施設が新しくなるなど、仙台が復興へと近づくなか、2021年2月に発生した福島県沖地震で地震の怖さを再確認。家族の命を守ることについてを深く考えるようになりました。

 

東日本大震災当時

東日本大震災当時私はまだ独身で、都内の百貨店で働いていました。仕事中、上から下にドン!と下がるような感覚のあと、大きく揺れ始めたのを今でも記憶しています。地震が収まり、施設の安全確認、店内全員の避難に従業員が四苦八苦……。

 

お客様全員の避難後、従業員は店で待機です。数時間後の退社指示のときには帰るすべがなく、百貨店の休憩室で休むことになりました。そして、私を含め、その他の従業員も休憩室のテレビで初めて被害の大きさを知ったのです。テレビの映像はあまりにショックで、私のように呆然としている人、泣いている人もいました。

 

震災後の仙台

東日本大震災の2年後、私は結婚し、夫の仕事の関係で仙台に移住しました。そのときはもう仙台の街自体も賑やかになり、県外からの観光客も多く、“明るい元気な仙台”というのが私の住み始めたときの印象です。ですが、仙台で働き始め、震災当時の話を教えてもらうと、テレビで知る以上に「怖い」と感じました。

 

聞いた話のなかでも一番驚いたのは、地震のときは陣痛で「揺れを覚えていない」という夫の友人の奥さまです。赤ちゃんは無事に震災の翌日に生まれたそうですが、もし自分だったら……と思うと無意識に奥さまの手を握っていました。

 

娘と寝ているときに突然の大きい揺れ

私はいつも、21時に娘と一緒に寝てしまいます。2021年2月、震度6強の地震が起きた福島県沖地震の日も2人で寝ていました。激しい揺れで起き、とっさに娘と布団の上で抱き合いました。どんどん揺れが激しくなり、近くの机に移動したいのですが、揺れが強すぎて立つことができず……。

 

娘の上に覆い被さるようにして揺れが収まるのを祈りました。地震が収まると、私はしばらく震えていましたが、娘は泣き叫ぶことなく、揺れが収まるとすぐに寝てくれたことで冷静になれました。

 

娘と夜の防災訓練

福島県沖地震の次の日から、娘と一緒に大きい揺れがきたときの練習を始めました。学校や職場では何回も避難訓練をしていても、自宅での訓練は初めてだったので新鮮でした。初めにおこなったことは、大きい揺れがきたときの避難場所を作ることです。

 

上から落下物、横から倒れてくる物がない所、かつ出口に近い所に身を守るための机を置きました。そして布団から出て、ほふく前進で素早く机の下に潜る練習をしています。福島県沖地震では直前まで寝ていたこと、大きい揺れで足が動かなかったこと、知人が逃げようとして骨折した話など踏まえて、娘にほふく前進を教えました。

 

 

東日本大震災では自分ひとりの身の心配だけでよかったのですが、今は娘もいます。次に地震が起きたとき「どうしたらいいのかわからない」と混乱せず、家族3人がケガなく避難するために、自宅での訓練を続けていくつもりです。

 

 

監修/助産師REIKO


著者:半澤真弓

4歳の女の子のママ。ファッションやコスメが好きで、前職は百貨店に勤務。現在は夫の仕事の関係で東北在住、ワンオペ育児中。

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