帰ってくるなり、「ついさっきお前との離婚届を出してきた!」と言った夫に、私は目が点。
「これで俺たちは今日から他人だ!」「部屋も引き払うから早く出て行けよ」と冷たい夫。しかし、離婚届は両者の合意がないと受理されないはず……。
同意のない離婚
もうすぐ結婚1年の記念日だというのに……。私はしつこく夫を問い詰めました。
「俺はもうお前のことなんか好きじゃない」「俺にはもっとふさわしい女がいるんだ、だから必要のないお前とは離婚したんだよ!」
夫は前々から自分の荷物をまとめていたようでした。その荷物を持ち、「それじゃ、元気でな!」と言って、家を出て行った夫。
たった一人、家に取り残された私は途方に暮れたのでした……。
街中で見かけた夫
翌日――。
私は離婚届を取り下げてもらうために、役所へ向かっていました。とぼとぼと歩いていた私。ふと顔を上げてると、見知った顔が2つ、道路の向こう側にありました。
それは、元夫と……私の幼なじみ。腕を組んで楽しそうに歩いていたのです。
思わず、元夫たちに見つからないように物陰に隠れてしまった私。しかし、私は何も悪くないはず。役所に行くのはやめて、すぐに家に折り返して心を落ち着けました。
そして、私は幼なじみに電話をかけたのです。
「さっき、あなたと私の夫が一緒に歩いてるのを見かけたんだけど……」と言うと、「えっ、もうバレちゃった感じ?」と幼なじみ。
「あんたがようやく彼と離婚してくれたから、ついさっき、役所に婚姻届を出してきたの!」
「まさか、ずっと私に隠れて浮気していたの!?」と言うと、幼なじみは「うふふふふ、あんたと彼が結婚して1週間後から付き合い始めたんだ!」とうれしそうに笑いました。
「私のほうがあんたより美人だもん!」「それに私の実家は会社経営していて、私は社長令嬢!」「母子家庭育ちの平凡な女より、ずっといいでしょ?」
昔から変わらず、私を見下す幼なじみ。私は深いため息をつきました。そして、離婚届の取り下げをする気も失せてしまいました。
逃したのは大きな魚
その後、すぐ――。
私は元夫に連絡しました。結婚1週間での裏切りに、次第に腹が立ってきたのです。
「幼なじみから聞いたわ、まさか結婚1週間で浮気するなんてね」と言うと、元夫は「だったらなんだっていうんだよ」と意に介する様子もありませんでした。
「貧乏育ちのおまえとはずっと離婚したかったんだ!」
「美人でスペックの高い社長令嬢をゲットした俺は勝ち組の仲間入りだ!」
「社長令嬢は私だけど?」
「え?」
母からの忠告もあり、結婚して1年経ったら実家について話そうと思っていた私。こんな形で告げることになるとは思いもしませんでした。
私はたしかに母子家庭でしたが、母は会社社長。父は母と結婚するなり「お前の会社を俺に継がせろ」「俺の実家に仕送りしろ」と態度を豹変させたそうです。ついには、父の親戚まで「お金を貸せ」と言って実家にやってくる始末。そんなトラブルが続いたため、母は私に「うちの会社や資産のことは誰にも言っちゃダメよ」と口を酸っぱくして言っていたのです。私も母の言いつけを守り、今日まで幼なじみにも、元夫にも一切言いませんでした。
「そ、そんな大事なことを隠すなんて……」と言う夫。しかし、社長令嬢とまではわからなくても、わが家がそこそこ裕福な家だということには気付いてもおかしくなかったのです。社長令嬢である幼なじみも住んでいるような地価の高いところで暮らし、幼なじみと同じく中学から大学まで私立校に通っていたのですから。
「で、でも彼女が社長令嬢なことには変わらないだろ!」「どうせお前の実家の会社なんてちっぽけなんだ!」と元夫。
「聞いてないの?」「幼なじみの実家の会社、今朝倒産したわよ」
わが家と違って、どこでも会社のことを自慢しまくっていた幼なじみ一家。そのせいで悪徳業者に目をつけられ、立て続けにトラブルに見舞われたそうです。最終的に社員に会社の運営資金を持ち出され、取引先にも裏切られ……結局倒産したと新聞に書かれていました。
「そんなこと、彼女から聞いてないぞ!」「どうせお前の負け惜しみだろ!」と言う夫に、「彼女は知らないでしょうねぇ……」「社長令嬢なのをいいことに、毎日遊んでばかりだもの」「実家の経営状況なんて知らないだろうし、ご両親もプライドの高い人たちだから言えなかったんでしょうよ」とため息交じりに返すと、夫はぐうの音も出ないようでした。
その後――。
幼なじみの両親は、幼なじみを置いて夜逃げしたそうです。幼なじみからは「家に泊めてよ!」「助けて!」と、元夫からは「俺とやり直してくれ!」「もう二度と浮気なんてしない!」と連絡が来ましたが、私は取り合いませんでした。
幼なじみの両親はやばいところからもお金を借りていたそう。しかも、一部の借金は幼馴染の名前になっていたらしく、最終的に幼なじみと元夫からは「お金を貸して!」という連絡しか来なくなりました。もちろん、一銭も助けてあげるつもりはないので、私は2人の連絡先をブロック。慰謝料のために連絡先を残しておいたところもあるのですが、さすがに今の状況の2人に慰謝料まで請求する気にはなれませんでした。
私は実家へ帰り、母との2人暮らしを再開しました。今は母から会社経営の手ほどきを受けています。母は私に会社を継がせるつもりのようですが、もし私が社長になっても自慢したりせず、今までどおりの生活を続けていきたいと思っています。
【取材時期:2024年9月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。