まさか自分が不妊治療をするなんて
“避妊をしなければ子どもはできるもの”と思っていた私にとって、不妊治療を選択すること自体とても衝撃的な現実でした。初めて不妊治療を知ったのは子どものころでしたが、不妊治療に対してポジティブな印象は持っていませんでした。
現在では、不妊治療はそれほど特別なことでもありません。しかしながら、子どものころに感じたことは、不妊治療を始めるときの足かせになりました。子どもは欲しいけれど不妊治療はしたくないという矛盾した考えでは、子どもをもつことは叶わないと思い、28歳のときに思い切って治療を開始することにしました。
不安な不妊治療だけではなく不育症も
私にとっての不妊治療は、とてもつらいものでした。治療をおこなっても結果が出ないと、もっと頑張ってしまいます。しかし、不妊治療は頑張っても結果が伴うものではありません。頑張っても頑張っても結果が出ないことに対して、憤りや不安を感じる日々が続きました。
そんななか、待望の妊娠、流産を繰り返し、不妊治療をしながら不育症の治療が始まります。不妊治療を始めたときは、流産することや不育症の可能性など考えることはありませんでした。
繰り返す流産で不安定に
待望の妊娠と悲しい流産を短いスパンで繰り返しました。妊娠しても出産できるわけではないということを身をもって体験し、出産までこぎつけても幸せな出産が待っていてくれるとは限らないと考えるようになってしまいました。そういった不安の増幅から、出生前診断を視野に入れるように……。
私にとっての出生前診断とは、増幅した不安から逃げ出すための検査でした。NIPT(新型出生前検査)を受けましたが、期待は裏切られ、再検査、羊水検査を受けることに。いろいろありましたが、最後は羊水検査で陰性が出て、無事に37歳で赤ちゃんを出産することができました。
羊水検査陰性の結果も素直に喜べず
最終的に羊水検査で陰性が出ましたが、その結果を素直に喜ぶことはできませんでした。それなりの安心はありましたが、結果に対する疑いの気持ちが消えることはありませんでした。
安心を得たいがためにおこなった出生前診断は、かえって不安を増幅することになってしまったのです。動機や、すべての結果に対して受け入れる覚悟など到底持ち合わせていなかったことが反省するポイントだと考えています。
自分の不安にしか意識が向かなくなり、更に自分に都合のいい結果が出るものだと頭のどこかで思っていました。しかし、実際はそんなに甘い話ではありません。そのときの出来事に必死過ぎて、陽性が出たときのことなど考えられていなかったのです。もし陽性だったら私はどのような判断をしていたのだろうと思うと、今でも胸が苦しくなります。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。
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イラスト/sawawa
監修/助産師REIKO
著者:仲本まゆこ
自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。