切迫流産の体験談

1人目の妊娠時。そろそろ月1回の健診になる時期でしたが、先生からは相変わらず2週間後の指定。そんなもんかなと思っていたら15w健診時に「子宮頸管が24mm」で切迫流産の診断。1週間自宅で安静にして様子をみましたが16wの再診で20mmをきり即入院。15wの時に、子宮頸管縫縮の手術の話を聞き、主人とどうするか検討していましたが、16wで入院時に手術を受けることを伝えて2日後に手術しました。 手術後もお腹の張りが続き子宮頸管も短いため、ウテメリンの24h点滴が続き、トイレと洗面以外はベッドに寝たきりの生活になりました。仕事も急遽病気休暇を取得し、入院中にクリスマスも迎え、初めての妊娠で想定外の手術、入院でナーバスになっていました。

救いだったのは、毎日朝晩と赤ちゃんの心音チェックがあり元気でいてくれることが確認できたので励みになりました。また両家の両親とも理解があり心配してくれ、入院生活を支えてくれました。お正月は自宅で過ごしたいだろうと先生が退院の許可をくれ、12/31に退院。以降は、入院中と同じ生活をする約束で自宅で過ごすこと出来ました。家のことほぼ出来ない日々でしたが、主人が何でもこなして支えてくれ、感謝しかありません。

産休期間の2週間前に外出許可が出て、週2回の出社と残りは在宅勤務で引き継ぎを終えました。36wには抜糸をし(抜糸中に意識はなくなり気づくと先生と看護師さんが集まっていて恥ずかしかったです)、39w3dまで赤ちゃんはお腹の中で育ってくれ、自然分娩で出産しました。陣痛から2時間のスピード出産で、主人以外は病院に間に合いませんでした!

最後までお腹の中で頑張ってくれた赤ちゃんにも感謝しかありません。私の場合、身体の構造・体質的に子宮頸管が短くなりやすく、切迫になりやすいとため、第二子以降も妊娠初期から注意が必要、と出産後に先生と話をしました。3年後に第二子の妊娠・出産をしましたが、先生のお話通り、よりハードモードでした。(第二子体験談で記載します)

わんだふる さん

1人目は順調な妊娠生活で39wで出産。 2人目もそうなるだろうと当たり前に考えて仕事も普通にしていましたが、16w過ぎた辺りから何をしてても生理痛のような筋肉痛の様な不快な下腹部痛を感じる様に。子宮が大きくなるのに靭帯が痛む事もあるとネットで見て、出血もないしそれかなぁ、と思い普通に過ごしていました。18wの検診時、それとなく痛む事を先生に伝えると即内診、NST。結果、頚管長が3.4cm(普通は4cmはある)とこの週数にしたら異常な回数の張りがわかり、切迫流産で自宅安静とウテメリン6錠服用の指示。その日から仕事も休み、上の子もいるので実家のお世話になっていましたが、段々頚管長が短縮、張りもウテメリン8錠飲んでも抑まらず、31w~36w過ぎまで切迫早産で24時間点滴の入院になりました。退院後は37wまでウテメリンを飲み自宅安静の指示で、37w2 dに出産。

今3人目妊娠中ですが、妊娠判明からまた不快な下腹部痛があり、早く行っても小さ過ぎて分からないだろうから、と先送りしていた産婦人科受診を早めて病院へ。診察の結果、胎嚢確認は出来たものの、子宮内出血があり絨毛膜下血腫で切迫流産と診断。出血が多くなると胎嚢ごと押し流して流産してしまうと言われ、またもや仕事禁止になり、ズファラジンを処方され自宅安静指示。20w頃から頚管長も短縮し始めたけど血腫もなくなり、先生から許可されたので一旦仕事復帰したものの、すぐに頚管長が2~2.5cm台まで短縮。張りも頻繁になり26wからまた自宅安静、29wには頚管長1.8cmと3~5分間隔の張りが始まった為、切迫早産で点滴入院(ーー;) 現在31w過ぎましたが、張りもなかなか落ち着かず頚管長も1.7~2cmの間をウロウロ。退院までまだかかりそうです…。頚管無力症や感染症が原因ではないので、心当たりは仕事かな、と思います。野外の肉体労働でずっと立ちっぱなし、動きっぱなし、重い物を持つ運ぶ…、妊娠中の体には思いの外負担だった様です。職場が主人の実家で、義母は産む直前まで働いていた、と言われたので自分でも否応なく無理してしまった、お腹の子を危険に晒してしまったと反省。とにかく、入院生活は本人も周りもいろいろ大変ですので、現在自宅安静の方は無理せず遠慮なく赤ちゃんを守る為にもゆっくり横になって過ごされてくださいね。

cowboyママ さん

一人目は6週から出血が続き切迫流早産で37週まで薬を飲んで実家で絶対安静寝たきり生活でした。つわりも酷くて後期になっても点滴をして貰ってました。初めての妊娠で、周りに切迫体験した人もおらず、つわりも母は酷かったようですが中期は治まってたそうで産むまで吐いてた私は心が何度も折れました…(;o;) 絶対安静なのに姉が1~6才の子供を4人連れて実家に何度も遊びに来て、出血の電話をしたら看護師さんから「子供の暴れてる声がするけど自分の子供じゃないなら今すぐ帰って貰って!」と怒られ…姉に言いましたが夜ゴハン食べてお風呂入れて貰ったら帰るわ。と…おかげで姉とケンカになり今でも分かり合えず表面上の付き合いです。初期から切迫安静だったのに結局予定日4日過ぎて産まれました。

 

二人目は初期に少し出血はあったものの重度妊娠悪阻以外はいたって順調で迎えた妊娠後期、9ヶ月に入り里帰り先の病院へ行くと赤ちゃんの頭に触れる位まで下がっててエコーも撮れない位、子宮口も指1本開いてる!安静に!と言われたのですが、上の子が大丈夫だったしと安易に考えてしまい今まで通り子供のゴハンやお風呂してたら34週の健診で「今日明日にも産まれてしまうよ!」と泣く泣く子供を主人に連れて帰って貰い、ようやく寝たきり生活開始…結局36週0日で早産となってしまいました(^_^;)

 

三人目は今31週ですが、28週では順調だったのに30週には子宮口1cmで安静、31週で子宮口1.5cmで絶対安静…今回は見た目にもお腹下がってるし座るとお腹ハリハリ自分でも進んでると分かる位で毎日ビクビク過ごしてます。次の健診まで持つ事を目標に…保育器NICUは避けたいけど入院も避けたいなぁ…ワガママ願望な私です。休みの日は主人が子供を見に来てくれて、主人が休めない日は母が仕事休んでくれたり子供お風呂入れてくれたり…まだ続くつわりと安静で私も闘ってるとは言え毎回妊娠中は周りに迷惑かけてしまって気が滅入ります。

きゃね さん

妊娠10週に入り経過順調と言われていました。保険センターで母子手帳をもらった翌日、朝から子宮に少しちくちくする痛みを感じつつも朝方寒かったから冷えたのかなと思っていました。出勤前子供たちを保育園に送って車から降りた瞬間、ショーツにサーッと何か流れ落ちる違和感が。まさか…と思い出勤前でしたがトイレに駆け込むと薄いピンク色の水っぽい出血がありそのまま急いで病院へ行きました。

着く頃には赤色の鮮血が大量に出ていました。診察中もかなり鮮血がでていて、赤ちゃんは元気だけど水っぽいかんじの血がでているしと破水も疑われ、即入院となりました。すぐに抗生剤と子宮収縮を抑制される点滴がはじまりました。まだ小さな子宮は手で触れてわかるくらいに石みたいにカチコチになっていて、助産師さんからも万が一ってこともあるからと言われ頭が真っ白になったのを思い出します。

3、4日で出血はおさまり5日目には退院する事ができました。この時点で3ヶ月終わり、ここからが出産までの長い長い絶対安静生活の始まりとなったのです。退院してからは薬を一日3回欠かさずのんでいましたが一週間後再度大量出血、そして2回目の入院。3回目の妊娠生活でしたがここまでひどい切迫流産は始めてでした。
漠然と襲いかかる先の見えない不安と実家に預けっぱなしの子供たちのことや産まれてくる赤ちゃんの事を考えると心配のあまり涙が止まらりませんでした。
10日程入院し退院。まだ4ヶ月という時期なのにとにかくお腹が張るので、食事、トイレ、シャワーは体に負担かけないよう2日に一回さっと、それ以外は布団の中で毎日横になり過ごしました。子供たちの世話や家事は実家の母親と旦那にすべてお願いしなければならない状態でした。それから2週間後の検診、絶対安静生活ですごしていたにもかかわらず、子宮内にかなりの大きさの血腫ができている事がみつかりました。
血腫があることにより感染をおこしやすく万が一感染してしまうと陣痛がきて出産になってしまうと言われ、この日から薬も一日4錠、3日に一回腟錠で予防となりました。ただ母体はかなり深刻な状態でしたがあかちゃんは元気に育っているということが唯一の支えでした。
絶対安静5ヶ月目 、2番目の子供が水疱瘡にかかりインフルエンザAやBにも立て続けに家族がかかりとトラブル続きでしたが、7ヶ月の終わりようやく血腫が小さくなりはじめ8ヶ月頃にはエコーでみえないくらいに消えていました。
ようやく病院以外の外出許可がおりたのは9ヶ月に入った頃でした。しかし、今までの反動か少し家事をしたくらいで切迫早産になり再び横になる生活。ほとんど外出することなく10ヶ月を迎え薬を飲むのを止めた4日後の37週と2日で出産となり、無事に元気な男の子の赤ちゃんを出産することができました。 

みー さん

7週頃~量は多く無いが出血があり、それが3週間程続きました。工場で立ち仕事だったのが負担だったのかな?と思います。その時もすぐ休むよう先生に言われたので、仕事は辞めました(辞める予定だったのを早めた)。

その切迫流産とは関係無く、11週で今度は、朝 起き抜けに破水し、慌てて病院へ。何もあててなかったので、お尻を伝って布団を汚すくらいの、まぁまぁの量。少し血が混じっていたけど、おりものとは明らかに違って、シャビシャビで、ものすごくニオイが強かった。旦那もびっくり。ニオイでただごとじゃないと分かったよう。検査ではハッキリ羊水の陽性反応が出て、絶対安静を言われ、先生と相談して入院に。

幸い羊水量は減っておらず、子も元気だった。1週間入院。風呂トイレ以外は寝て過ごす。薬は12週~しか使えないのが基本のようで、抗生物質(感染対策)だけ処方されたが、お腹が張ることもあったので、張ると羊水を押し出す危険があるのでと、張り止めの薬も飲むことに。退院前の検査で、羊水の減りなどの異常も無く、退治も育ってることから、あの陽性反応は出血が混じったことによるギ陽性と判断されたが、あの時のニオイは、とても尿漏れでもおりものでも無い!と思っている。いま13週なので、まだまだ先が長く不安だが、やっとヒトらしい形になってきた我が子に、はやく健康に無事に会える日を待っている。

新米妊婦 さん

妊娠してもマラソン選手はトレーニングをしている!と知っていたので、普段運動をしない私は、タバコを辞めてから階段などの息切れが少なくなったのが嬉しくて、階段を駆けのぼったり、電車まで少しの距離軽く走ったりしていました。仕事中にお尻が濡れた気がして、トイレに確認しに行くと出血がパンツ全体に広がっていて青ざめました。赤ちゃんは元気だったのですが、絨毛膜下血腫と診断され、子宮頸管が短くなっているのと、子宮内の血が吸収されるまで安静となりました。妊娠3ヶ月から5ヶ月まで自宅安静で、出血を乗り越えて今は臨月です。最初の仕事場での出血は生理2日分位。少し水っぽい塊も出てきました。

りさ さん

あと2日で20週という時期の定期妊婦健診の内診で、子宮口(子宮頚管)が短い(標準で25mm以上のところ19mmでした)切迫流産のおそれ、と言われ、出産以外の入院を受け入れてもらえないクリニックだったので、近くの受け入れ可能な病院にその足でタクシー移動、即入院となりました。3日後にはそれ以上子宮口が開かないように縛る手術を受け、入院から9日間の安静の後、退院。23週を迎えた現在も炊事などの簡単な家事とか、荷物持ちがいる場合に限り近場での買い物ができるくらいの安静状態を続けています。

安定期に入り、つわりもなくなってお気楽な2人目妊婦ライフを思い描いていたのに、入院初日はまさに天国から地獄に落ちたような気分でした。検診のために一時預かりにお願いしていた上の子も、私の親に迎えにいってもらってそのまま実家に預け、里心が付いてはかわいそうと退院まで会うことができず、生まれてから1度も別々に夜を過ごしたことがなかったので、入院中はしょっちゅう泣いていました。上の子の妊娠中はそういった兆候も全くなく考えもしなかったし、なぜそうなるかの根本的な原因は分からないそうなので、みなさんも油断しないで下さい。

きょん×2 さん

第二子妊娠発覚直後、上の子とずっと前から約束していたディズニーランドに家族で行きました。翌朝出血があり、病院に電話。子宮収縮抑制剤を処方してもらいました。特に生活に支障をきたすほどの安静はいわれなかったのですが、検査による通院回数が増えたのでお財布的に痛かったです。
第二子以降の出産だと、産まれたら今まで通りにかまってやれなくなるから今のうちにと無理してしまいがちかとは思いますが、ほどほどにしなくちゃいけません。

ぽぽ さん

一人目のとき、正月明けで仕事に行き、洗濯して出血に気づきました。病院で絶対安静を言われ、家事も仕事も入浴もできず、数日。出血止まって仕事に行ったら、怖いから、とクビになりました。子どもはその後異常なく、安産で生まれました。単に胎盤がはがれかかったようでした。

瑠璃3 さん

うすい出血、茶色いおりものが出たため、切迫流産で1週間自宅安静となりました。病院では、出血があればいつでもすぐに連絡するようにと言われ、多少不安になりましたが、無事乗り越え、出産に至りました。

ゆうこ さん

肉体労働の多い仕事をしており、妊娠6か月のときに切迫流産になりました。その日は朝から下腹部が顔をしかめるくらいキリキリと痛みいつもと様子が違いました。脂汗をくらいの痛みを我慢してしまったがために、夕方トイレにいくと鮮血で出血していました。そのまま病院へ行き、止血剤を処方してもらい安静にするよう言われ、自宅へ。薬を飲んで安静にしようとしたら、生理の時の塊が出るような感覚があったのでトイレにいくと生理2日目くらいの量の鮮血出血!半泣きになりながら救急で病院にかけこんだら「切迫流産で入院!」と言われました。

先生からは流産の進行を止めるすべはないから安静しかないとのお話だったので絶対安静と次の日の受診を約束して帰宅。その後1週間は出血が続きましたし、止まったと思ったら再出血してあわてて受診したら「病院にくるなら安静にしてなさい!」とDrに怒られたりしましたが、絶対安静2週間で症状は去り、その後は安静にして過ごしました。絶対安静はトイレ以外は寝て過ごすので、子供の無事を祈って携帯で調べては安心したり、不安になって泣く、の繰り返しでした。

切迫流産は赤ちゃんの力とママの安静があれば大丈夫とDrに励まされ、ベビの力を信じて過ごしました。ベビの力が及ばないときには、キツい言葉だけど自然淘汰なんだとおっしゃっていました。そんなピンチを切り抜けたわが子は無事に生まれ、すくすくと育っていますよ!

yamihime さん

10週目の健診を受け、何の異常もなかったのですが、その翌日に生理2日目ほどの出血があり、急いで病院へ。胎児は元気でしたが、子宮内に血の塊があり、それが溢れて出たのだろうということでした。そのまま入院。特に投薬などはなく、安静にして、血の塊が吸収されるのを待つ状態でした。5日目に退院して、なるべく安静にしているように言われました。が、数日してまた出血。今度は鮮血ではなく、チョコレート色で古そうな血でしたが、診察の結果、まだ子宮内に血の塊があり、その状態が長く続くと感染症を引き起こす可能性もあるので、安静にしているよう言われ、結局、その後、会社を3週間休み、自宅でひたすら寝ていました。最初の出血から1ヶ月ちょっとで血の塊は吸収されたようで、その後は仕事にも復帰し、赤ちゃんも順調に育ち、予定日の前日に3135g,50cmの元気な女の子が生まれました!もうすぐ2歳です。
切迫流産の原因を医師に尋ねたところ、「はっきりとした原因は分からない。胎盤が形成される時期には無数の血管が子宮に根を生やしていくので、その過程でプチッと切れてしまった血管があり、出血となったのだろう」というようなことを言われました。私が行った何らかの動作や行動が引き金になったのではないだろう、とのことでした。
自宅で安静にしていた時期は、どうやったら血の塊が早く吸収されるのかなど、色々とインターネットで調べたりしましたが、結局は安静にするしかないようです。今となっては、勤めている会社や家族の協力で1ヶ月以上安静生活ができたこと、そして「出血などしたら、とにかくすぐ連絡するのよ!」と言ってくれていた病院の助産師さんにとても感謝しています。

マンゴーラッシー さん

 

 

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